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ヨシュア、絶対的な愛、無限の光について語る [イエス:ヨシュア]


ヨシュア
Jeshua


ヨシュア、絶対的な愛、無限の光について語る
Jeshua Speaks About: Absolute Love, Infinite Light



Posted on Sep 30, 2015
ジュディス・コーツ経由
Channeled by Judith Coates
September 2015



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さて、最愛なる者、わたし達はひとつの巨大な主題について話そうと思います。

 

わたし達は、神について話をすることになるでしょう。


 


なによりもまず、神はひとつの実体ではありません。

 

それはひとりの男性ではありません。

 

それはひとりの女性ではありません。

 

それはそれでさえありません。

 

神は描写を超えていて、それにもかかわらず人間の精神はそれを認識することを望み、それを定義し、再定義し、そして変えることを望みます。

 

それは良い事です。

 

何故なら、皆さんが変わる度に、皆さんは意識の拡大をさらに多く受け入れることを許すからです。


 


皆さんは神、まさにここで表現している神のひとつの本質です。

 

皆さんは、さて、それは非常にちっぽけな神の比率に違いない、と口にするでしょう。

 

それは皆さんの自己像に左右されていますよね?

 

わたしは、皆さんはまさにここで神のすべてであることを伝えることになるでしょう。

 

皆さんはいつもそれを活性化するとは限りません。

 

皆さんは、いつもそれに、そのすべてに同調するとは限りませんが、しかし皆さんは、ひとりの人間としての経験を積んでいる神です。


 


これは、皆さんが今までに体験した最初の経験ではありません。

 

何故なら、皆さんはその経験に、神についての最も美しい物事のひとつを加え続けるからです。

 

神を封じ込めることはできず、人間の何らかの言葉、人間の何らかの言い回しで定義することもできません。

 

それはそのすべてを超えていて、そしてそれにもかかわらず、皆さんはもう一度役割を果たすために現れ、もう一度創造するために現れ、もう一度ひとつの定義を推測するために現れるその本質であり、そしてそれにもかかわらず、ひとつの定義を推測する中で、皆さんは既に神を限定しています。


 


わたしは頻繁に、神は愛だと話してきました。

 

そして皆さんに、愛は皆さんの経験の中で神の広がりを理解することに非常に近いことだと伝えてきました。

 

皆さんが誰かと恋に落ちる時、皆さんは小さな自己を忘れます。

 

皆さんは、二人がいる場所、二人が行っていること、二人が考えていることを知りたいと思い、そして皆さんは二人がもう一度会うことを待つことができず、こう尋ねます。


あなたは今日何をしていた?

 

あなたは誰と話をした?

 

あなたが今日考えたことは何?

 

皆さんは、別の個人との愛の中で、皆さん自身、その小さな自己を忘れます。


 


わたしは神を説明するために人間の言葉を使わなければなりませんが、しかし神は精神によって認識されることは不可能です。

 

神は、定義によって認識されることはありません。

 

神は、言葉によって認識されることはありません。

 

しかし言葉はひとつの感覚、拡大の感覚、普遍性の感覚、受け入れられていることを考える必要さえなく受け入れられているという感覚に関する、数々の端緒になることがあります。

 

ひとつの考えがある訳ではありません。


 


神の愛の中に、考えはありません。

 

皆さんが人間の言葉の中で認識するどのようなものをも超えているという感覚のひとつの存在性です。

 

しかし人間の愛は、皆さんにひとつの手掛かりを与えることができます。

 

従って、今まで皆さんはわたし達の聖なる母、地球の分子、地球の塵を組み立てて、ひとつの身体を作ってきました。

 

皆さんはエネルギーをひとつの姿に纏め上げて、その愛を表現し、話し抱き締めることができるようになり、別の人の瞳を見詰めて、別の人の瞳の中で皆さん自身を忘れます。

 

小さな自己を忘れることができる状態です。


 


これは、別の人間の個人との関係である必要はありません。

 

それは、一匹の最愛のペットとの関係にも当てはまります。

 

皆さんはペットの目を覗き込んで、そして皆さんは一時的にあるいはそれよりも長い間皆さん自身を忘れます。

 

皆さんは、ペットとの愛に夢中になります。

 

そして皆さんは、ひとつの考えにもならない考えで、わたしはわたしが大好きなこれとひとつだ。

 

わたしはその個性とひとつだ、あるいはわたしはそのペットひとつだ。

 

わたしはありとあらゆる物事への愛でひとつだ、と考えます。


 


皆さんは、皆さんの偉大なる霊的指導者達が経験したように、彼らのすべてがその中で生きるものは愛だという、ひとつの場所にいます。

 

それは、断定的な判断のない愛です。

 

それは、精神を持たない愛です。

 

それは考えを持たない愛です。

 

それが判断をしない理由は、判断するものが何もないからです。

 

あらゆる物事がそのように存在し、そしてあらゆる物事は判断されません。

 

それが愛です。


 


ご存知のように、皆さんが誰かと恋に落ちる時、皆さんは判断しません。

 

皆さんは、今後その人々が皆さんを断定的に判断しなくなることを皆さんが望んでいる姿と同じように、その人々を断定的に判断しない場所の中に留まります。


 


何故なら、もしもその人々が皆さんと恋に落ちるなら、その人々は事実通り断定的に判断しないからです。

 

考えはありません。

 

ただ普遍性の感覚、わたしは故郷に戻っているという感覚だけがあります。

 

時に皆さんは、別の個人でそれに気付きます。

 

時に皆さんは、一冊の本のひとつの文章の中でさえ、それに気付きます。

 

そこでは数々の光が存続し、そして皆さんはその瞬間に皆さんが故郷にいることを認識します。

 

あるいは、誰かが皆さんに何かを話すかもしれません。

 

そして皆さんは不意にその感覚の中に受け入れられ、そして皆さんは故郷にいることを認識します。


 


それはそこにいることが最も素晴らしい本当の場所です。

 

何故なら、皆さんが事実通り探し求めているものは、容認の感覚、判断しない感覚、愛の感覚を認識することになるからです。

 

その状態で皆さんは、皆さんが完璧であることを認識します。

 

今、皆さんの世界は皆さんにそれを伝えません。

 

皆さんの世界は、皆さんは皆さん自身をさらに良くするためにいつも努力していなければならない、と伝えます。

 

皆さんが小さな幼児だった時期から、両親は皆さんに、皆さんは少しも完璧ではない、と話してきました。

 

皆さんは余り気分良くありませんでした。

 

幾つかの違う意味で、両親は皆さんに、皆さんは余り良くないと印象付けようとします。


 


たとえ皆さんが皆さんの学校から帰宅して、皆さんが最高得点を貰ってきたとしても、両親は、その皆さんをより良くするという願いの中で、まあ、それなら、あなたは来月も確実にもう一度満点を取るようにしなさい、と口にすることになるでしょう。

 

そして皆さんは、でもわたしはすでにその場所に着いていると思う、、と口にします。

 

そしてその通り、皆さんは既に到着しています。

 

しかしそれは皆さんを完璧だと理解することを望んでいる両親の方法であり、そして皆さんは既に完璧です。


 


それは、その両親の見当違いの愛です。

 

わたしはそれをそのように話すことになるでしょう。

 

その状態でその両親は、自分達の完璧さの発想に従って、自分達は皆さんを導き、皆さんを型に嵌めこみ、皆さんを方向付けることができなければならない、と感じます。

 

しかしそれは、皆さんが皆さん自身の完璧さを実現するために際限のない状態に放置されることが必要になります。

 

皆さんは、後でそれを認めるかもしれません。

 

しかしそれは、皆さんがその相手になっていて、その時にその両親が行っていたことを皆さんに具体的に示しているその個人との繰り返しの状態にならない場合のことです。

 

そして皆さんは一度、もしかすると2度か3度の間、最終的に皆さんが、皆さんは神の空間から皆さんと一緒に充分な記憶を持ち込んでいることを認識し、そして皆さんは既に完璧であることを認識するひとつの転生を経験するまで、その人生を生きるかもしれません。


 


既に皆さんは、最も素晴らしい存在として生涯の間溌剌と進んでいるように見える人々と出会っています。

 

そして皆さんは、あの人達はどんな秘密を知っているのだろう?と疑問に思います。

 

その人々は、自分達の完璧さを認識しています。

 

その人々は、自分達が完璧にここに現れていることを認識しています。

 

しかしその人々は、まだ少数に過ぎません。

 

何故なら、皆さんの世界は非常に強力で辛辣なひとりの現場責任者になっているからです。


 


皆さんの世界は、皆さんが認識するように、数々のするべきだで溢れています。

 

わたしの2千年前の世界もまた、その中で数々のするべきだを持っていました。

 

流水の近くで腰を下ろしてその水を眺めることが必要だった時がありましたが、それは水が水自体を判断しないからでした。

 

それは、ただそうなっているものを具体的に示しただけでした。

 

永遠に流れている水の姿の中の分子のエネルギーです。

 

わたしは、その水の姿から、わたしもまたエネルギーであること、わたしはある特定の姿ややり方でわたし自身を作ってきたものの、しかしわたしは間違いなく父の働きであることを理解しました。


 


わたしは、人間の父を超えた愛に溢れる父に属する皆さんに話し掛けました。

 

何故なら、人間の父は時に少しまたはかなり沢山失敗することがあるからです。

 

そのためわたしは、わたしが話している父、アバは、永遠に愛に溢れていることを皆さんが理解することを期待します。

 

何故なら皆さんは、転生し、歩き回り、創造し、経験している愛そのものだからです。


 


もしも皆さんが愛なら、愛は皆さんに相応しいものです。

 

そしてわたしは皆さんに保証しますが、皆さんは愛に溢れた状態になることができます。

 

皆さんが一緒に転生した他の人々に対して愛に溢れた状態に、しかしさらにそれ以上に皆さん自身に対して愛に溢れた状態になることです。

 

もしも皆さんが自分を愛さないなら、誰が皆さんを愛するようになるのでしょうか?


 


皆さんが自分のために瞑想や静かな時間を取って、皆さんの今の普遍性と穏やかさに親しむ時、皆さんは、神の愛、他の何も認識せず断定的な判断を認識せず、考えを持たず、ただ穏やかな存在性と絶対的な愛だけを認識する、絶対的な愛の普遍性に触れ、その中で生き、その中に住んでいます。


 


世界は皆さんに、まあ、そういった言葉は素晴らしいものだが、わたしが既に行うことに同意してしまった物事はどうなるのか?

 

わたしがしなければならない決断はどうなるのか?

 

人々はわたしが決断することを待っている、と話すことになるでしょう。

 

わたしは皆さんに保証しますが、今後皆さんが皆さん自身のために穏やかで静かな状態で少しの時間を過ごすようになる時、正しい物事を決めようとする精神錯乱の試みの中で走り回る必要が無い状態で、その答えが皆さんのところに現れるようになります。

 

皆さんのところに現れるひとつの静かな認識が存在することを、皆さんは認識することになるでしょう。


 


皆さんが穏やかさの中に留まることを許してください。

 

何故なら、それは皆さんの生得の権利だからです。

 

それは皆さんが現れた時からのものであり、そしてそれは、皆さんがその身体を明け渡してその身体がこれ以上必要でなくなった後で、皆さんが行くことになる場所です。

 

皆さんは完璧な穏やかさに進むことになるでしょう。


 


わたしは今、皆さんが数々の物語を持つことを認識しています。

 

皆さんの宗教や哲学的な組織、さらの多くの物事を認識しているように見える皆さんの権威ある者達は、皆さんがその身体を明け渡した後で起る物事に関する数多くの物語を皆さんに与えてきました。

 

しかし、幸いにも、皆さんはひとつの光に行くことを示唆する一部の手掛かりが、既に皆さんのところに現れています。

 

その坑道の終りにはひとつの光があり、そして皆さんはその光へと進みます。

 

闇はありません。


 


その光は、皆さん自身の光です。

 

たとえ皆さんがひとつの人間の転生に意識を集中している間だとしても、その光は、今の皆さんの光です。

 

皆さんは、無限の光です。

 

そして皆さんは、ひとつの光の場所から現れました。

 

皆さんは光を認識するひとつの意識から現れました。


そして神の中には、闇はない

 

さて、わたしはその引用を変えて、こう話したいと思います。

 

神の中には性差はない。

 

闇は存在しない。

 

ただ光だけが存在する。


 


皆さんがその身体を活性化している時、皆さんはまさに今光です。

 

皆さんの科学者達は、皆さんがオーラの写真を撮影する時、皆さんが皆さんのその周りのその光を確認することを、皆さんに証明しています。

 

その光は何処から現れるのでしょうか?

 

それは皆さんから現れます。

 

皆さんの情緒(運動するエネルギー)と意識に従ってそれが時々変わるのは、それがその理由です。

 

皆さんはある日撮影された一枚の写真を見るかもしれません。

 

そいて次の日に戻ってきて、写真を撮影します。

 

そしてその光は、違ったものになるでしょう。


 


皆さんは撮影されたオーラの写真を見る機会を持つその次の時、皆さん自身がとても歓んだ状態になることを許します。

 

何故なら、皆さんが幸せな時、人生に大喜びしている小さな子供のように、その時点でそのオーラは非常に大きく広がるからです。


 


皆さんは無限の光です。

 

皆さんは、無限の光から現れました。

 

そして皆さんが歩き回るために皆さん自身に対して創り出してきたその被膜に用がなくなる時、皆さんは無限の光に戻ることになるでしょう。

 

皆さんがこの現実性を終りにする時、次に皆さんは、光に、今の皆さんの光に戻ることになるでしょう。


 


皆さんは、今の皆さんのために最も素晴らしい数々の手掛かりを持ちます。

 

皆さんはそこでは、皆さんを皆さんのすべての罪から浄化することになるひとつの場所の中で、あるいはその燃焼によって皆さんを浄化することになるひとつの場所の中で、一定の年数を過すことになる、と信じる必要はありません。

 

ご存知の通り、わたしはそれについて、もしも皆さんが何かを燃やすなら、それは何に変わるのだろうと、いつも疑問に感じていました。

 

灰です。

 

そしてそれは清潔でしょうか?

 

皆さんはほとんどの場合、灰は少しばかり汚れた面があり、皆さんが少し洗い落としたいものだと話します。

 

そのため、わたしはいつもそのことについて、炎が皆さんを浄化することになる方法について、疑問に思っていました。

 

分かっています。

 

それはひとつの噂です。

 

それはひとつの物語です。

 

皆さんは信頼できる筋から、それは真実ではないと聞いています。


 


その発想は、皆さんをその体型と姿形に閉じ込めて、わたしよりもより良いことを認識しているに違いない人々に従わせるために、皆さんに与えられてきました。

 

彼らがわたしに話すことは本当に違いない。

 

わたしはその理由がまったく不明ながら、しかし彼らはわたしよりもより良い物事を認識する、と伝えられてきました。

 

それで皆さんの権威ある者達、皆さんの偽の指導者達は、皆さんを一定の状態に維持して、彼らが皆さんに従わせることを望むあらゆる物事に皆さんが従うようにするために、皆さんにそのすべての種類の物語を与えてきました。

 

そして要するに、それは皆さんの金貨を、その物語の保護に利用するためです。


 


とにかくこの世界の中では、その金貨がいつもその結論になっているように見えます。

 

金貨に悪いところは何もありません。

 

しかしながら、もしもその金貨の所有者が皆さんを所有するとすれば、その結果それがその問題が生じる場所になります。

 

しかし、たとえ数多くの金貨だとしても、金貨には悪いところは何もありません。


 


皆さんは、数多くの金貨を所有する人々の具体例を持ちます。

 

そしてその人々は、他の人々が彼らの提供と彼らの共有の展望から恩恵を受けることを許すことで、沢山の良い事を行います。

 

他の一部の人々は、自分は充分な金貨を持たなかったと感じた過去の数々の生涯のせいで、彼らにできる限り長く金貨を維持しようとするでしょう。


 


しかしその時、皆さんが皆さん自身の生涯から既に理解しているように、金貨は皆さんに、安心、幸せ、健康をもたらすことはできません。

 

それは、崇拝されるようにする偽りの信念、偽りの神です。

 

既にほとんどの皆さんは、金貨についてひとつの偏りのない理解に達しています。

 

それは、愛と思いやり、一体性という理想を促進するために用いられるべきです。


 


さて、既に皆さんが理解しているように、神を定義するために、皆さんは数々の手掛かりを持ちます。

 

しかし皆さんが思い付くどのような定義も、神の普遍性ではありません。

 

何故なら、神を定義することまたは限定することはできないからです。

 

神は、ひとつの小さな包みには収まりません。

 

神はこのようなものか、それ以上のものです。

 

そのためわたし達が神は愛だと話す時、それは神の感覚、広がりの感覚、穏やかさの感覚、そして完全な容認の感覚に対するひとつの糸口に過ぎません。


 


何故なら神は、もしもそれがひとつの人格だったとすれば、皆さんを観察して、欠点を確認しないからです。

 

そして神は、それ以上です。

 

既にわたしが伝えたように、神は、愛ではないどのようなものも認識しない、完璧な愛です。

 

そして皆さんは、ひとつの転生に現れた神の延長として、その光、愛のエネルギーです。

 

今まで皆さんは、神のエネルギーを明らかな光のエネルギーの姿にしてきました。

 

そして皆さんは、普遍性に起因するひとつの資質を選択して、皆さん自身のために、皆さんは皆さんの一部の宗教や哲学の指導者達が皆さんにそうだというような単なるちっぽけな塵、取るに足らない単なる小さな塵を遥かに超えたものであることを実証して、認識してきました。


 


皆さんは、遥かにそれ以上です。

 

皆さんがそれを受け入れて普遍性を取り入れることを許す時、皆さんは意識の内部に神の普遍性を含みます。

 

そしてその通り、皆さんは、ひとつの転生の中にいる間でさえ、それを認識することができます。

 

皆さんは、既にその意識を達成している熟達者です。

 

そして普遍性の意識を探し求めることの中で、それは、転生への誹謗があることを意味しません。


 


ひとつの転生を選択することは、何らかの悪い物事があることを意味しません。

 

実際に、皆さんの最も偉大な霊的指導者達は、今まで頻繁に、最も難しく最も多くの愛を必要とするひとつの転生を選択してきました。


 


皆さんは、愛と普遍性の空間に触れることができます。

 

それは今後、皆さんのあらゆる物事についての物の見方全体を変えることになるでしょう。

 

それは皆さんに、人間の人生が目的にするすべて、大文字の“L”の生命のありのままの姿に関するさらに広いひとつの展望を提供することになるでしょう。

 

皆さんは、既にもう一度愛自体をより小さなひとつの姿に参加させることを選択している、ひとつの絶対的な愛です。


 


皆さんは、既に物性の中で愛の普遍性を明らかにしている、無限の光です。

 

そして皆さんは、キリストの光と愛です。

 

皆さんは、必ずしも皆さん自身の中にそれを認めるとは限りません。

 

時に皆さんは、他の人々の中にそれを認めます。

 

皆さんは、他の人々の中にそれを確認することができます。

 

そして皆さんが別の人の中でそれを確認するためには、皆さんは皆さん自身の内部にひとつの評価基準を持つことが必要になります。

 

そうでなければ、皆さんはそれを確認することはないでしょう。


 


皆さんは、キリストです。

 

皆さんは、この転生の領域に現れて、その時に他の人々と関係を持つことができるひとつの空間に普遍性をもたらしている、神の普遍性です。

 

何故なら既に皆さんは、わたしはわたしのすべての部分を知りたい、と口にしているからです。

 

こうしたことは、すべて皆さんの部分であり、そしてそれ以上のものです。


 


いつも今の皆さんであるキリストとして進んでください。

 

キリストは、ただ2千年前に生きていただけではありません。

 

それは、ただひとりのヨシュアの中で具体化されただけではありません。

 

それは現代でさえ生きて動いていて、そしてそれは愛します。

 

皆さん自身が愛の中で生きることを許してください。

 

皆さんは絶対的な愛、神の無限の光です。


 


そうあらしめよ。


So be it.


 


ヨシュア・ベン・ヨセフ(イエス)


ジュディスを通した表現として


– Jeshua ben Joseph (Jesus)


in expression through Judith




http://cosmicgaia.com/jeshua-speaks-about-absolute-love-infinite-light/

翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。
転載される場合には、出典を明記してください。

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