SSブログ

エロヒムの霊的指導者、アルクトゥルス : 許しを通した解放 [エロヒム]


エロヒムの霊的指導者、アルクトゥルス
Elohim Master, Arcturus


許しを通した解放
Liberation through Forgiveness



25 October 2014 - 10:44am
ジュリー・ミラー経由
Channeler: Julie Miller

Liberation through Forgiveness
Message from Elohim Master Arcturus
received by Julie Miller October 25, 2014



許しとは本当は何でしょうか?

 

それは罪悪感の壮麗な解放、皆さんが創り出した特定の限界の解放でしょうか?

 

それはひとつまたはそれ以上の自己妨害的な態度、または今まで皆さんが不健全に反応し応答する状況を引き起こしてきた可能性がある過去に皆さんを繰り返し結び付ける他の何かでしょうか? 

 

それはこうした物事であり、それ以上のものです。

 

皆さんが許す時、皆さんは、歓び、穏やかさ、そして思いやりから生じるより明るい情緒と感覚の方を好んで、皆さんのこころから何らかの怒り、臆病さ、怖れ、悪意、そして不快感を解き放っています。


 


皆さんが許す時、皆さんが今まで何らかの方法で皆さんを傷付けてきたその個人を許すだけではなく、皆さんは皆さん自身を許しています。

 

皆さんの感覚が傷付けられるためには、皆さんはこの他の個人が皆さん自身の個人的な力を奪うことを許すことが必要でした。

 

皆さんがその出来事全体、皆さんのこの別の個人を許す時、皆さんは皆さんの個人的な力を取り戻していて、今後この過去の状況は、もはや皆さんに対するどのような苦痛に満ちた支配力も持たなくなるでしょう。

 

今後皆さんは、後の時点でそれを振り返り、どのような苦痛や怒りも感じることなく、それは過ぎ去ったことであり、皆さんの継続的な成長と発展のために提供されたその数々の課題に役立ったことをただ感謝することができるようになるでしょう。

 

言うまでもなく、皆さんは、今まで皆さんを虐待してきたその個人へのひとつの怨恨を手放さないという、否定性に踏み込む選択をすることができます。

 

しかし、情緒的そして精神的な痛みを持たないひとつの人生を生きることは、遥かに素晴らしいことです。


 


全体的な許しが達成することが困難なひとつの技能になることがある理由は、皆さんがその事件または過去の出来事を手放す準備が整うまで、そして過去の苦痛の中で生きる充分な経験を積むまで、皆さんは事実通り許すことができないからです。

 

その結果皆さんは、皆さんが経験した何らかの役割を受け入れて、もうこれ以上情緒的に執着することなく、神に対する明晰さで確認しながら、今まで皆さんがこの個人と状況に向けて携えてきた皆さんの痛み、怖れ、そして恨みを解き放つことによって、許すことができます。

 

一度皆さんがこうした執着を神に手渡してしまえば、今まで皆さんが行ってきたことは、神の尽きることのない愛と光を受け取る余地を作り、その愛と光がかつて別の個人とのひとつの過去の状況に関する否定性に占拠されたその空間を満たします。

 

たとえ今まで皆さんがその同じ個人と無数の出会いを経験しているとしても、そのすべての不正行為に対して人々を許し、その状況が生じることを認め、皆さんが行ったこととして皆さん自身が感じることを認め、そういった感覚がその苦痛の時点まで現れてこれほど長い間留まることが許されたことを認めたことに対して皆さん自身を許すことは、明らかです。

 

今まで許しはいつも相互的なものになってきて、単純な一方通行ではありません。


 


日常的に許しを実践することは、数多くの恩恵があります。

 

毎日、時に認識することなく、皆さんは数々の決断、人々、物事等々に愛着を覚えます。

 

それは最善ではないかもしれませんが、しかし時に大丈夫なように見えます。

 

あるいは皆さんは、数多くの物事について別の個人と会話をするかもしれません。

 

そしてたとえその人々が、皆さんが話したことに影響を受けないように見えるとしても、それはその人々が影響を受けなかったことを意味する訳ではありません。

 

親愛なる皆さん、また既に引き起こされている未知なる損害を許すことが重要になるのは、これがその理由です。

 

ただひとりの個人が外見的に反応または応答しなかったという理由は、彼らはたとえ僅かでも損害を与えられなかったことを意味しません。

 

許しの実践を始めることは、皆さんが今回の生涯の中で行う最良で最も健全な決断に充分に値するでしょう。

 

ただ皆さんの感覚が傷付けられた時だけではなく、皆さんが積極的に頻繁に用いる決断です。


 


今まで許しが情緒的で心理的で物質的な健康を改善するひとつの役立つ手段を提供してきたことは、秘密ではありません。

 

皆さんが許す時、皆さんは、穏やかさがかつて憎しみと怒りが存続した皆さんという存在全体に再び入ることを認めています。

 

愛は、皆さんの寛大なこころから事実通り純粋に現れて、皆さんの自己を癒し、皆さんの新鮮に回復した親切な行為、言葉、考え、活動、選択、そして皆さんの意図を通して、この愛に溢れた癒しを他の人々の向けることができます。


 


数多くの人々が、許しの力を過小評価し、ひとつの時間の浪費としてそれを非難します。

 

その理由は、その人々は事実通りその人々の否定的な感覚の下に在るものを怖れるからです。

 

時に特定の真実に直面している親愛なる皆さんは脅えていますが、しかしまた、一度皆さんがその勇敢な一歩を踏み出して過去の出来事を検討して皆さん自身をその出来事から自由にしてしまえば、非常に解放感を持つようになります。

 

時に許しの行為は、一部の人々にとってさらに時間が掛るものになるかもしれません。

 

何故なら、それは今までその個人または状況に結び付けられてきた否定的な情緒というその臍帯を切るその人々の即応性に左右されるからです。


 


簡単に許さない親愛なる魂は、共通してその物質的なこころを取り囲んでいる数々の問題を抱え込む傾向があります。

 

否定的な感覚や情緒は、皆さんの物質的なこころに対する不要なストレスを創り出します。

 

皆さんがより早く許すほど、今後皆さんはより心地良く感じることになるでしょう。

 

今後皆さんの免疫力が改善すると同時に、他の人々と社会的に交わる皆さんの能力も向上し、皆さんが故郷と呼ぶ世界の片隅は、より敵意が少ないひとつの場所になります。


 


皆さんは、毎日の実践から、許しの技能を高めることができ、そしてその度に解放と明るさという感覚で報われます。

 

至高の善に属して感謝を含む特定の選択を組み込むことによって、次に許しは皆さんの個性の不可欠な部分になります。

 

許しは、既に誰かが皆さんの道に少しの侮辱を投げ付けた時に皆さんが行う物事というだけではなく、許しは内面の深い癒しのひとつの方法です。

 

それは感謝を通して頻繁に気付かれる、穏やかさ、理解、そして愛に関する主要な救済者のひとつです。


 


皆さんの許す能力を向上させるためには、皆さんの日常の中で一部の深呼吸を実践する余地を作ることが、不可欠になります。

 

その状態で皆さんは新鮮で爽快にさせる考えと感覚を吸い込んで、今まで皆さんがしがみついてきた何らかの恨みまたは敵意を吐き出します。

 

もしも皆さんが視覚化に長けているなら、何度も撚り合わせられ結ばれているひとつの固い結び目をこころに描いてください。

 

皆さんが息を吸って吐きだす時、その結び目は少しずつ緩み、最終的にその結び目は完全に解かれます。

 

その時皆さんは、無へと解消しているその結び目の残されているものをこころに描き、その一方で皆さんは、より明るく解放されていると感じています。


 


皆さんが誰かまたは過去のひとつの出来事を許す時、皆さんは必ずしもひとつの和解を求める必要はなく、また皆さんは他の人々の行為を大目に見ないことを、忘れないでください。

 

皆さんが行っていることは、今まで皆さん自身の長引く苦悩に通じてきた情緒の執着を解き放っています。

 

もしも皆さんが面と向かって誰かを許すことができないなら、その時皆さんは、それがどれほど些細なものであろうとも皆さんが神に解き放ち、皆さんのその状況の部分を受け入れる時に、祈りを通して依然としてその人々を許すことができます。

 

あるいは皆さんは許しの手紙と呼ばれるものを書くことができます。


 


書くことは、抑圧された怒りや他の感覚を解き放つ最良の方法のひとつであり、それは誰に対しても、あるいは皆さんに対しても害を及ぼすことはありません。

 

皆さんが書く内容が皆さんが行うその方法を感じる理由であり、どのような情緒的な執着も持たずに、その事実通りの姿に対するその状況に対処しています。

 

人々の行為、言葉、選択に対してその人々を許すこと、そして同じ物に対して皆さん自身を許すことです。

 

今まで許しの手紙を書くことを好んできた人々にとって、今までその人々はその手紙が書かれた後ですぐに現れる解放的な感覚を認めることができました。

 

それでも皆さんが最終的に苦痛に満ちた皆さんの過去、皆さんが今まで手放すことができなかったひとつの過去の一部にさよならを告げる時には、時にその自由と解放の感覚は涙と伴に現れます。

 

もしも一部の理由のために皆さんがその許しの手紙を送ることを望まないなら、その時はその手紙を燃やしてください。

 

そして皆さんがその手紙を燃やす時、皆さんの深く暗く否定的な数々の感覚もまたその手紙と伴に燃え尽きている姿をこころに描いてください。

 

日常的に許しの記録を記述することは、皆さんの認知を綺麗で最近起った出来事にほとんど執着しない状態に維持する、ひとつの良い方法です。


 


簡単にそして単純に、まさに無関心な人々がいます。

 

その人々は他の人々に向けたその行為や言葉にほとんど配慮しないか感心を持たず、貧弱な選択に引き渡すその行為、感覚、そして考えに伴うその率直さと誠意の欠如で、虐待的になるひとつの傾向性を持ちます。

 

そういった個人達を克服してください。

 

その人々の否定性が皆さんから皆さんの個人的な力と気立ての良さを盗むことを許さないでください。

 

彼らの交わりから皆さん自身を移動させて、その経験に感謝するひとつの方法に気付いてください。

 

静けさの中で、皆さんはその人々の方法に対してその人々を許し、彼らの軽率な態度から汚染されていない自由を選択するために皆さん自身を称賛することができます。


 


何故皆さん自身を許すことが重要なのでしょうか?

 

さて親愛なる皆さん、その答えは極めて単純です。

 

それぞれの皆さんは異なる完璧さと不完全性に溢れていて、そのひとつは皆さんがどれほど速く物事を克服することができるか、あるいは皆さんの頭の中で皆さんがどれほど長く物事を検討するかということです。

 

皆さんが誰かを許す時、皆さんはひとつの慈悲ある行為を実証しています。

 

皆さんは、皆さんが同じ慈悲ある行為に値すると考えますか?

 

皆さんは皆さんもまたさらに理解、思いやり、そして敬意に値すると考えませんか?

 

他の人々がこうした物事を皆さんに与えることを待たず、その人々に皆さん自身を与えてください。


 


たとえ許しが罪悪感の排除であり、特定の人々や特定の出来事に関連する否定的な情緒に対する執着を手放すことだとしても、それもまたそれぞれの皆さんに与えられて皆さん自身にも与える、ひとつの貴重で神聖なる贈り物です。

 

それは、過去の数々の出来事や状況、そして人々に対する数々の記憶にしがみ付いているその痛みと苦悩からの自由を解放し、個人的な安全と穏やかさ、幸せ、そしてその人生の肯定的な側面を大いに楽しむ、その天稟です。


 


わたし達は、皆さんが許しを皆さんの日常のひとつの不可欠な部分にすることを勧めます。

 

皆さんがそれを行う時、皆さんは皆さんが行ったことに満足することになるでしょう。


 


わたしはエロヒムの霊的指導者、アルクトゥルス、ジュリー・ミラー経由





http://lightworkers.org/channeling/206365/liberation-through-forgiveness

翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。
転載される場合には出典を明記してください。

コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。