SSブログ

レディ・ナダ : すべてを受け入れるひとりの友になる [レディ・ナダ]


レディ・ナダ
Lady Nada


すべてを受け入れるひとりの友になる
Being an All-Embracing Friend



21 August 2014 - 11:33am
ジュリー・ミラー経由
Channeler: Julie Miller

Being an All-Embracing Friend
Ascended Master, Lady Nada’s Weekly Message ~ August 21 – 28, 2014
Received by Julie Miller August 21, 2014



皆さんがひとつの会話に携わっている時、たとえ一緒に話しているひとりの個人または人々の集団とその人々が話している内容に皆さんが純粋に興味を持っていることに既に気付いていたとしても、あらゆる物事に純粋に興味を持つことは極めて困難です。

 

美しい輝くこころの皆さん、人間でいることについての醍醐味は、皆さんが他の人間とは異なる状態になることです。

 

個人的に全能の神の心象の中で創り出されたひとりの存在である皆さんでいることのもうひとつの素晴らしい部分は、皆さんが少しばかり静的で他のあらゆる個人に対する完全な因習尊重の中の多次元的な心象を反映するだけではなく、また皆さんは同時に、多面的なプリズムのひとつの面のような心象の一部を反映することです。

 

決して皆さんの固有性を取繕うか、隠すか、覆いをしようとはしないでください。

 

皆さんの固有性は美しいものです。

 

皆さんの好き嫌い、強さと欠点、言動、趣味、そして信念でさえ、たとえその違いがほんの小さなものであっても、これからも他の人々とは異なるでしょう。

 

しかし親愛なる皆さん、結局は、皆さんが持つ皆さんのすべての違いは、皆さんが皆さん自身を提示する時に皆さんが皆さん自身を提示する方法であり、それは記憶され、重要になるものであることを、忘れないでください。


 


 

そのため、皆さんが他の人々かさらに別のひとりの個人と会話をしている間、その人々、その個人に興味を持つ方法を創り出し、良く聞く耳を養い、皆さんのこころが広がることを許して、他の人々の多様性を受け止めることが大切になります。

 

皆さんがどれほど懸命に試みるかは問題ではなく、事実通り皆さんは、長い間皆さんではない何かになる振りをすることはできません。

 

最終的に、その真実は、いつもそれ自体を明らかにします。

 

皆さんが他の人々と連絡を取り、会話をしている時、その目標はただ一致することではなく、また個性や言動のひとつの原因になることでもありません。

 

何らかの結び付きの目標は、共同体であり、共通の関心、好き嫌いを共有する人々をまとめることであり、その一方で、依然として他のそれぞれの人々の違うところを受け止めることです。

 

皆さんが皆さんの結び付きの範囲から人々を排除するまたは受け入れることを目的にするなら、皆さんは皆さんがお互いの間の違いに気付くことができる共同体の幾つかの形と理解を持つことが必要になります。

 

皆さんがお互いを好意的に受け止めるためには、皆さんはある程度の距離を置くことが必要になります。


 


 

美しい輝くこころの皆さん、共同体の目的の素晴らしいところは、ただ同じ興味を持つ人々の集いを目的としているだけではありません。

 

言うまでもなく、それはひとつの重要な構成要素ですが、しかし唯一の要因ではありません。

 

時にひとつの共同体または人々の集団で起り得ることは、出入りするか話し掛ける新しい人々を含めるまたは見付け出すことの重要性を、内部の人々が否定することです。

 

ひとつの共同体は閉鎖性を持ち、ただ特定の人々だけを含めるべきでしょうか?

 

極めて高い可能性として、もしも人が時間を取って異なる経歴、興味、信念等々を持つ他の人々を認識するようになるなら、その人々はこころの底で、充分に相互の友情、信頼、そして敬意というひとつの結び付きを創り出す、人々の明白な違いと類似性のすべてに気付いているでしょう。


 


 

皆さんがひとつの会話に関与して、その別の個人が止まることなく何かについて語っていた時、その人は事実通り切手収集またはスクラップ作りのようなことが大好きだからです。

 

切手収集やスクラップ作りは皆さんの趣味ではないかもしれませんが、しかし皆さんはその個人や彼らが話している事に興味を示します。

 

何故なら、皆さんは配慮し、そして皆さんは彼らの情熱を満たすものとそうではないものを認識することを望むからです。

 

この思いやりという要素が、共同体の接着剤です。

 

皆さんが他の人々と出会い、挨拶を交わす時、皆さんはひとつの特定の水準まで純粋な共同体に従事することができ、他の個人が話を聞いて貰っている、受け入れられている、配慮されていると感じるようにしています。


 

 


たとえ皆さんが混雑したバスに乗っているか、行列に並んでいて、誰かが会話を始めて、皆さんが数分の間話しているとしても、皆さんは、その個人が皆さんと共有しているものに対する興味を明らかにする機会を与えられています。

 

そして皆さんが答える番になる時、皆さんは皆さんの考えを忠実にそして好意的に伝える能力を持ちます。

 

皆さんは、一方的な偽りの会話で強い共有の結び付きを築くことはありません。

 

その結び付きは、その会話がどれほど長く続くかどうかにかかわらず、共有された相互の興味から築かれるものです。


 

 


言うまでもなく、皆さんは、ひとりまたは二人の個人が一方的に話し過ぎて、決して皆さんの考えと物の見方を共有できる暇を与えないように見える状況に気付くかもしれません。

 

猛烈な話し手達が共通の興味を創り出すことに対するひとつの心配または懸念を持たずに話し続ける理由は、単純に彼らは本能的に、この具体的な友情の成長と発展に対する皆さんの共同体に対する熱心さと献身に頼るからです。

 

永遠に話し続けるようにみえるひとりの個人でさえ、もしも切手収集またはスクラップ作りについての会話がほとんど興味のないものでありながらしかし同時に彼らの興味を高く評価するなら、傷付くことのない方法で中断する時が訪れるでしょう。

 

断定的に判断するか批判する状態が続くことはなく、ただ単純に、傷付けることなく依然として配慮と思いやりに溢れた誠実さと容認があるだけです。

 

もしかすると、このような言葉かもしれません。


それは信じられない!わたしは大した切手収集家ではないし、またスクラップ作りにもかかわっていないけれど、しかしわたしはあなたが興味を持ちそしてそれが素晴らしいことを明確に理解できる。

 

ここには傷付ける言葉はなく、ただ単純に評価という配慮ある小包の中に包まれた誠実さがあるだけです。


 

 


もしもその時皆さんが皆さんの興味を引くもの、皆さんを駆り立てるものを尋ねられるなら、皆さんは皆さんのこうしたものを共有します。

 

そして時が経てば、皆さんは、皆さんが最初に共有していたものから展開されるさらに共通した興味があることに気付き、それを自覚するかもしれません。

 

そしてそれが、友情の結び付きを深め、その共同体を強化します。

 

皆さんがこの個人またはひとつの集団の人々とでさえ経験するすべての会話から、皆さんは、既に皆さんを一緒にした共通の興味が成長して、敬意ある共有からさらに多くの成長があることに気付いて、驚くかもしれません。

 

美しい輝くこころの皆さん、友情は沢山の包括的な課外活動を必要としません。

 

皆さんはいつも外に出て、すべての種類の物事を行って友人になる必要はなく、時にただ別の人の横か真向かいに座ることで充分なものになります。

 

こうした物事、友情と共同体の発展は、皆さんの両方がひとつの無人島で孤立して、心地良さまたは友情を提示する個人が他に存在しない状況ではない限り、強要されるものではありません。


 

 


共同体についての最高の物事のひとつは、人々のひとつの集団の中で、今後皆さんが絶対的に興味を持たない時が訪れますが、しかし依然として共同体があることです。

 

その共同体が依然として持続する理由は、イエスが信条または興味にかかわらずすべての人々に愛を与えたように、他の人々に愛を与える配慮、思いやり、そして献身のおかげです。

 

イエスが神の愛に溢れる両腕を広げた時、それはすべての人々を受け入れるためであり、人々を排除するためではありません。


 

 


数多くの霊的な施設があり、皆さん自身の共同体または都市の中の一部の施設は、もしも一般社会が彼らの方法または信念に従うのであれば、一般の人々に扉を開いています。

 

その施設は、参加して腰を下ろし、話し、一緒にいることによって共通の関心を培う他の人々を希望し、求めるために、その扉を開いています。


 

 


まさに皆さんが教会の壁に取り囲まれている自分に気付ことがあるというその理由は、皆さんのイエスに対する愛を除いて皆さんは他に興味を持つことができないことは意味しません。

 

しかしそれでも、皆さんのイエスに対する愛はひとつの巨大なすばらしい関心です。

 

皆さんのイエスに対する愛は確実に新しい友情の始まりになるものであり、人々のひとつの共同体の範囲でその結び付きと安心感を強化するという事実を、まさに考えてください。


 

 


たとえ皆さんが違う場所に向かっているという理由でその友情がただ数分の間だけのものだとしても、わたし達は皆さんに、他の人々に手を差し伸べて、会話に携わり、誰かの友人になることを勧めます。

 

今後その人々がひとつの親切な遣り取り、雑談、興味の共有から心地良く感じるだけではなく、また皆さんもそのように感じるようになるからです。

 

ひとりの友人と考えられることは気分が良く、皆さんのこころを温め、皆さんの身体全体を通して歓びが広がります。

 

今は、他の人々、皆さんとは異なる人々を受け入れて、相互の興味、好き嫌いに気付くためには、最適の時です... 今は、お互いに対する愛で穏やかに融和するためには、最適な時です。


 

 


そしてその通りに...


And so it is…


 


わたしは高められた霊の指導者、レディ・ナダ...


...ジュリー・ミラー経由


I AM Ascended Master, Lady Nada…


…through Julie Miller





http://lightworkers.org/channeling/203683/being-all-embracing-friend

翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。

無償で運営されているサイトのみ転載は自由ですが、出典は明記するようにお願いします。

コメント(0) 

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。