SSブログ

クワン・イン:思いやりを贈ること [クワン・イン]

クワン・イン
Quan Yin

思いやりを贈ること
Giving Compassion by Lady Quan Yin



14 February 2011 - 8:14pm
ナタリー・シアン・グラッソン経由
Channeler: Natalie Sian Glasson
Sacred School of Om Na and Wisdom of the Light
Weekly Channelled Message
www.omna.org
Giving Compassion by Lady Quan Yin
Channelled through Natalie Glasson-13/02/11


地球上のすべての聖なる光の宝石の皆さんに向けて、わたしは祝福、愛、そして思いやりを送ります。

わたしは柔らかな愛という女神のエネルギーで皆さんを包み込み、地球上に存在している皆さんの心象を勇気と敬意を備えた皆さんの真の神聖なる自己として、わたしの精神の内部に保有します。

わたしは今、皆さんに対してわたしのこころを開き、皆さんと共有して前に流れ出すように創造主がわたしの後押しをしている導きを許しています。

何故なら、新鮮な大気の息吹が皆さんの精神とこころを刺激しているからです。

わたしが皆さんと共有したいと思っている叡智の振動を受け入れて消化するために、皆さんが自由な精神とこころを守り通すという意図を維持することだけを、わたしは求めています。

その振動を具体化するかどうかにかかわらず、皆さんの選択を可能にするものこそが、皆さんに神聖にして優雅な自由意志です。

地球上では今、混沌と苦悩が続いている地域を支えるために、思いやりのエネルギーが必要になっています。

それが国々の内部あるいは個人の内面であろうとなかろうと、世界中で必要になっています。

思いやりは、ひとりの人格が自由なこころで癒しに資するために他の人に贈ることができる、聖なる贈り物です。

創造主の臨在や、明らかにすることができる真実を魂が自覚できるようにする支援や慰めとして、思いやりはその役割を果たすことができます。

その個人が愛されているかあるいは見知らぬ他人かどうか、皆さんがそれをひとつの集団に対して贈っているのかあるいは国に対して贈っているのかどうかは問題ではなく、思いやりは数多くの歓びに満ちた奇跡を創り出しながら、非常な強さで共有することができるものです。

思いやりは、皆さんが適切と感じるその同じ広さで伝播させることができる、想い、意思、そして理解です。

それは苦悩している人々に限定される必要は無く、自分達の啓発を達成しつつある人々に対する贈り物として贈ることができるものです。

(自分自身が啓発されて創造主との統合に向かっていることを彼らが自覚している場合でさえも、彼らは依然として苦悩の位相を経験している、と数多くの人々が考えています)。

皆さんの存在のすべての水準でわたし達が創造主に完全に身を委ねるまでは、そしてさらにわたし達の魂や単子すらも委ねるまでは、わたし達は本当に自由ではないため、この事例の中にも真実は存在しています。

皆さんは皆さんの存在の聖なる核心そのものから、思いやりを贈る力を備えています。

思いやりは、いつも贈り続けなければならないものであり、それはエネルギーの転移になります。

それは思いやりのエネルギーとして存在しているため、人はそれを贈ることができ、また他の人は受け取ることができます。

皆さんが贈るか受け取るか何れにせよ、その感覚と経験は良く似たものになり得ますが、しかし最も重要な意識の焦点は、贈り手と受け手のエネルギーの覚醒と解放になります。

たとえ一日のうち僅か数分であっても思いやりの贈り手として行動することは、人類に対する素晴らしい恩恵になり、また皆さん自身に対してもそれは同じことです。

思いやりは贈ることができるという理解と伴に、わたし達はわたし達自身に対しても思いやりを贈ることを決して忘れるべきではありません。

何故なら、わたし達はいつもわたし達が他の人々に与えているものを必要としているからです。

皆さん自身に思いやりを贈ることは、皆さんのエネルギーを回復させ、皆さんを幻影から目覚めさせ、将来の見通しが立たない時代の導きの光としての行為になるでしょう。

皆さん自身に対する敬意と称賛になり、また不必要な傾倒を解消するための支援となる癒しの光の基礎として、皆さんは日々皆さん自身に対して思いやりを贈ることができます。

皆さんやあるいは他の個人が苦痛、苦悩、混乱に陥り、否定的な情緒の中に沈み、自分自身を誤解し、利己的自我に導かれ、疎外感を覚え、あるいは自分達の前向きな道筋が解らなくなった状態が確認できる時、思いやりが必要になります。

思いやりはまた、皆さんあるいはある個人が幸せで、歓びに満ちて、一体感を覚え、至福を感じる時にも必要になります。

後者の思いやりの必要性については、奇異な意見と思われるかもしれませんが、しかしわたし達が真実の新しい思いやりの意味を理解し始める時、わたし達の存在から永遠に流れているエネルギーとして、わたし達はその現実性におけるその必要性を自覚し始めます。

過去の思いやりは、他の人々の環境に対する深い悲しみか、あるいは理解という感情、そしておそらく人々の苦痛さえ引き受けることとして理解されてきました。

皆さんは、皆さんができるすべての方法で他の人々に役立ち、彼らを導き支援し、皆さんの共感を提供するという深い望みとして、思いやりを理解することができるかもしれません。

思いやりは時に、他の人々が皆さんとは異なり皆さんより哀れだと理解しながら、彼らに対する同情という感情として明らかにすることができます。

数多くの人々が異なる方法で思いやりを経験しますが、しかし、わたしは地球上での思いやりとして新しい理解と行動の方法を明らかにしたいと思っています。思いやりは、いつでも贈り経験するための恩恵として存在しています。

わたしの見解では、思いやりは純粋な愛、皆さんあるいは他の人々についてのすべての断定的判断から自由な愛を表現することです。

思いやりは支援の意思を維持している自由なエネルギーの流れであり、人を癒し変容させるというよりも、人々を安心させることに優れている激励の光です。

その時、達成のエネルギーとして、また苦悩を克服し、乗り越える洞察力を生み出すために、個人の魂はこの光を用いることができます。

思いやりのエネルギーは、その受け手の魂に希望、充実感、閃き、そして一体感をもたらします。

皆さんは単純に、苦悩の解決や解消によってではなく、実現することが必要になる成長と達成を支援することによって、支援の手を差し延べているだけです。

それは、温かい毛布の中に乳児を包み込み、栄養のある食べ物を提供することに似ています。

その乳児は成長し、自分自身の速さで発達するようになります。

皆さんはただその成長を支援しているだけであり、皆さんはその乳児のために成長することはできません。

もしも皆さんが他の人々に思いやりを贈ると、皆さんは他の人々に現れることが必要になる成長や理解を受け入れさせることができます。

もしも皆さんが皆さん自身に思いやりを贈っていると、皆さんは覚醒あるいは啓発を促進する過程に役立つ光、愛、そして理解で、皆さん自身を支援していることになります。

思いやりは成長を支援する素晴らしい贈り物です。

今地球上でそれが共有され表現されることが必要になっているのは、この理由のためです。

思いやりは、心臓のチャクラから流れ出ている愛ですが、しかしそれはまた聖なる承認でもあります。

皆さんが思いやりを贈っている時、皆さんは人格に内在している神としての聖なる存在を承認しています。

また皆さんは、聖なる存在達の勇気を承認し、自覚しています。

それは、聖なる存在達は苦悩あるいは苦痛の経験を引き受けて、創造主の光により近付くようになるからです。

苦痛あるいは苦悩というそれぞれの経験は、ひとつの贈り物であり、皆さん自身や創造主についての新しく素晴らしい物事を皆さんが自覚できるようにするために、皆さんが創り出してきたひとつの教示、あるいは教訓です。

ですから、わたし達が他の人々に目を向け、その経験を理解する時、わたし達は他の人々の内面に燦然と輝く霊の存在や、すべての幻影あるいは怖れを解き放ち、創造主の臨在を受け入れるための決意を承認する必要があります。

人々の存在という真実や、人々が自分達の霊的な次元上昇や光の覚醒を支援し発展させるために引き受けている教訓のために、わたし達は個人ひとりひとりを称賛する必要があります。

個人の苦悩がひとつの教えであり、人々が引き受けなければならない自然な経路であることを承認することあるいは理解することによって、皆さんはすべての悲しみや哀れみの感情を解き放ち、人々が達成している素晴らしい働きと経験を喜ぶことができます。

それはまるで、皆さんが単純に創造主の神聖なる意志として人々の状況を受け入れているようなものです。

この自覚を持つと、わたし達は他の人々の内面に存在している神性を承認し、人々の成長の過程を受け入れているため、まるで思いやりという愛がわたし達を置き去りにしてきたように感じられるかもしれません。

それはまるで、わたし達が無情あるいは無配慮な存在であるように見えてしまいますが、しかしこれは真実ではありません。

皆さんが人々の存在という真実のためにひとりの個人を理解する時、そして人々の苦悩は本質的なものではなく、単純にひとつの試練あるいは教訓であることを理解する時、皆さんはまた彼らがこうした方法で彼ら自身を認識する支援をしていることになります。

それはまるで、幻影という覆いが消え去って行くようなものです。

この個人はその時、現在本当に起っていること、自分達が学ぼうとしているもの、自分達の苦悩あるいは問題がその自覚のために消滅すること、それを単純に理解しながら、その事実を確認することができるようになる可能性を秘めています。

皆さんが個人の道筋を承認し、皆さんのこころから愛を拡大させ人々を支援する時、皆さんが他に何かできることがあるかどうか、支援を申し出るものがあるかどうか、皆さんはそれを皆さんの内面に尋ねることができます。

ある場合には、個人が苦悩を経験する必要があるため、皆さんはそのすぐ側を歩む必要があるでしょう。

あるいは別の時には、皆さんは声を掛けるか、素晴らしい支援になる何かをする気にさせられるでしょう。

わたし達が思いやりを共有する方法の変化は、人類の成長のひとつの結果です。

人々は自分達の現実性、創造、そして成長に対する責任を取り始めています。

そしてそのために、これは時に、わたし達が役立とうと思っている時に実際には人々の道筋の妨げになっている場合があることを意味しています。

わたし達は、個人ひとりひとりの存在そのものに対して、愛情に溢れ、協力的で、感謝の気持ちを持ち、わたし達は役立つ存在になることができるかどうかをまず内面に問い掛けて見る必要があります。

人々が歩んでいる道筋を称賛し、人々を愛することは、皆さんやその受け手にとって素晴らしい恩恵になります。

思いやりの理解と伴に、今みなさんのこころからひとりの個人あるいは世界に対してその思いやりを注いでください。

苦悩していない人々でさえ、人々の真実に対する皆さんの内面からの承認について感謝するでしょう。

皆さんが他の人々の内面の真実を認める時、皆さんは皆さん自身の内面の真実を認めています。

皆さんのこころから愛を送ることによって、個人の神聖なる存在感とその地球上での使命を称賛しながら、皆さん自身を有益な存在にしてください。

次に、人々が歩んでいる道筋を認め、人々は自分達自身や創造主について素晴らしい物事を発見していることを認識してください。

人々が今経験している事柄の真実、そして創造主の意志の理由と目的を人々が理解できるように、皆さんの愛で支援して、人々が創造主と同調するように働きかけてください。

その時、何か他にできることはないかどうか、伝えるべき有益な言葉はないかどうか、それを皆さんの内面に尋ねてください。

皆さんがこれを達成する時、皆さんは思いやりの眼を通してすべての物事を見ることができます。

そして人々は、思いやりの眼を通して皆さんを見るようになるでしょう。

最終的に、すべての人々がお互いの内面の聖なる真実を称賛するようになり、さらに、霊的な道筋の前進を支援するために、その支えとなる愛を提供するようになるでしょう。


思いやりに溢れた愛と伴に、
With Compassionate Love,


レディ・クワン・イン
Lady Quan Yin



http://lightworkers.org/channeling/124851/giving-compassion-lady-quan-yin

翻訳:森のくまさま...ありがとうございます。 

nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。