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ヨシュア : 大いなる神秘 [イエス:ヨシュア]


ヨシュア
Jeshua


大いなる神秘
The Great Mystery



March 29, 2016
パメラ・クレーバ経由
Via Pamela Kribbe:



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宇宙の中にはひとつの大いなる神秘があり、そしてその神秘は、何もないのではなく、何かがあること、何かが存在することです。

 

宇宙の中には、生命、光、そして意識があります。

 

生命は、踊り、そして動きます。

 

このすべてはどのようにして生じたのでしょうか?


 


皆さんがまずその生命、光、そして意識の神秘に驚嘆することが、重要になります。

 

こうした要素は、孤立して存在することはできません。

 

生命があるところには、また光と意識があります。

 

光は、生命が明らかになるようにそれを調整します。


 


光の中にひとつの推進力があり、意識がそれ自体を内省して自意識を持つことができるようになるまで、意識がさらに高く引き上げられるようにします。

 

意識がその時点に達する時、生命はそれ自体を自覚することができ、そしてそれ自体に形を与えることができます。

 

生命は、選択し進歩することができ、そしてその結果、ひとりのわたし、ひとつの自己の構成としてのひとつの物事というものが存在します。

 

これがその魂の誕生です。


 


しかし、わたしは一歩退いて、生命、光、そして意識の原理を説明しようと思います。

 

それはどこから現れるのでしょうか?

 

生命の起源とは何でしょうか?

 

大宇宙の重なりの中に息衝く呼吸するひとつの虚空、太虚があります。

 

静寂の中のひとつの充溢です。

 

それが生命の起源であり、皆さんは、静かに呼吸をすることによって、その起源と結び付くことができます。

 

皆さんが静寂と沈黙の中で呼吸をして、皆さんの注意を呼気と吸気に向ける時、皆さんは存在の最初の源泉と結び付きます。


 


この静かな濫觴、すべての生命の基礎は、ひとりひとりの皆さんの中に存在し続けます。

 

それは、皆さんが何をして何をしないかにかかわらず、皆さんの内部で生き、呼吸します。

 

その起源、その濫觴、あらゆる物事がそこから誕生するそこにあるその虚空が、依然として皆さんの内部に存在します。

 

それが皆さんを自由にすると同時に、皆さんの人称の限界を解き放つことを自覚するために。

 

それは、皆さんの個性の相対的で二面的な特質を明らかにします。


 


その最初の虚空の中、その空間の中に、まだ個性はなく、固有の魂もありません。

 

純粋な存在性、つまり存在状態があります。

 

この存在性の神秘を感じてください。

 

それはあらゆる物事を取り囲みます。

 

この存在の基盤がなければ、皆さんは存在しません。

 

それは皆さんに浸透し、皆さんを育みます。


 


それは何でしょうか?

 

この静寂の中に、神の息吹が生きています。

 

神は、確定できず、定義できず、そして制約がありません。

 

それは姿を持ちません。個性化されないものです。

 

神はあらゆる物事に気付いていますが、しかしこの神である無限の自覚の大いなる場の中に、数々のポケット、つまり空洞があり、その中ではひとつの認識の欠如が主流を占めます。

 

その認識の欠如が、そこで生命が成長し繁栄できるようにします。


 


神、存在は、生命が意識しない場所を創り出してきました。

 

そこから、認識に対するひとつの願望が発達して、光に向けて成長することができます。

 

皆さんは、そういった神である意識の場の中のひとつの空洞の中に位置しています。

 

神は、個性が明らかになるように、比較的限定されたひとつの意識を創り出すことが必要になりました。


 


個性的な生命を創り出すために、神は二律背反的なことを行うことが必要になりました。

 

何故なら、その本質の中で、神はあらゆる物事になるからです。

 

存在するあらゆる物事、可能なものと不可能なものの両方が、神の中に在ります。

 

それで神は、その魂が誕生することを許す限定された意識のための場所を創り出すことが必要になりました。

 

その魂は、時間と空間を通してその道に気付く制限され、限定された意識であり、その魂がそこから誕生した神との融合をいつも探し求めています。

 

その魂の誕生は、忘却という闇へのひとつの跳躍でした。


 


その個人の水準で意識を創り出すことによって、新しい物事、神の中で創り出された大いなる物事があります。

 

成長し、活動的で成長しようとするひとつの生きている意識です。

 

そして生命は変化であり、成長というひとつの状態になっています。

 

意識があらゆる物事を含み、そしてまたすべての可能性を含む時、無自覚から自覚への動的な成長の可能性はありません。


 


唯一この動的な過程を通して、その魂の成長の螺旋の中で、光が創り出されます。

 

その魂の誕生から、その青春やその成熟まで。

 

そして、時間と空間の場の中のこの成長こそが、神の意識に加えられることになります。


 


魂は、神との愛の関係の中で生きます。

 

神は、その魂の根源であり、その基盤つまりマトリクスであり、その魂が目指して努力するその目標です。

 

そして神は、神がその魂の成長への衝動の中で結果としてそれがもたらす感覚の深さで満足感を見付け出すことができるように、その魂を創り出します。

 

その神秘は、神それ自体が、このようにして、魂がそれ自体の内部で持ち運ぶ個人の意識を通して、見て、触れて、体験できるものになることです。

 

それが、魂の誕生の目的です。


 


その魂は、少なくとも部分的に、意識の隙間の中で道に迷うことに魅了されます。

 

これが魂の道筋の上で必要になる理由は、魂が手を差し出して、完全な自由の中で、神聖なる意識に、その全知に、そのすべての認識に戻ることが重要になるからです。

 

それが、悪いと考えられる悪がその魂の旅の一部になる理由です。


 


その魂がその濫觴、その魂の名の本質、その魂の中の神へ手を差し出す時、その魂がその魂の自由を経験するのは、正確にその虚空、無限で包括的な神の存在の特質の中のことです。

 

その時その魂は、既に故郷に帰っています。


 


光と闇は、その魂の旅に属する要素です。

 

光と闇のその戯れが創り出された理由は、大宇宙の特定の部分の中で神は神の意識を撤収するか隠して、そこでその魂を自由に働かせるためです。

 

その魂の創造は実際にひとつの収縮、ひとつの意識の狭窄です。

 

しかしその過程はひとつの目的を持ちます。

 

何故なら、まさにその収縮の中にこそ、重要で価値あるひとつの運動、ひとつの実現の過程があり、そしてその過程こそが光を創り出すからです。


 


光は、個別化された意識が神聖なる源泉へと広がる場所に現れます。

 

その光がより強くなるほど、意識はより大きく成長し、一体性への収縮がより一層感じられるようになり、その結果収縮は徐々に完全な意識へと広がります。

 

この両方の極性の間の舞踏の中で、神はその最も大いなる表現に到達します。


 


 


ヨシュア

Jeshua



[コピーライト] Pamela Kribbe

www.jeshua.net
http://sananda.website/sananda-via-pamela-kribbe-march-29th/

翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。
転載される場合には、出典を明記してください。

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