アルクトゥルスの集団のメッセージ、2015年2月15日 [アルクトゥルスの主、集団、存在達]
The Arcturian Group
The Arcturian Group Message February 15, 2015
マリリン・ラッファエーレ経由
Channeled by Marilyn Raffaele
もう一度、アルクトゥルスの集団から挨拶を送ります。
わたし達は、変容について、ひとつの外見的に単純な主題、しかし真実の理解に対して重要な主題について、話をしたいと思います。
変容は、ひとりの個人が夢から目覚める時に、その個人を通して、そして個人として流れます。
それは、二元性と分離の真っただ中にいる間に、“新しい目で確認し新しい耳で聞く”能力として明らかになります。
変容は、人が依然として保有するあらゆる偽りの概念と信念を認めて、それを真実に置き換えることを許します。
それは、“わたしは間違っていた”と話す能力をもたらします。
変容を許すことができない人々は、さらに高い次元のエネルギーの意識に向かうその人々の次元上昇を遅らせます。
変化の怖れは行動を変えて、3次元の概念と信念の継続を支えます。
変化に抵抗する数多くの人々は、世界の“指導者達”としての地位に就き、あらゆる種類の変容を喪失だと理解します。
彼らの個人的な権力と富の喪失です。
彼らの指導的な立場のせいで、彼らはしばしば、こういったいわゆる “指導者達”が信じるあらゆる物事を盲目的に受け入れて、こうした過程の中で個人的な力を手放す追随者達を魅了します。
親愛なる皆さん、皆さんは今、皆さんの霊の旅の中のその要所にいます。
皆さんはそこで、皆さんの先天的な力を受け入れて、取り戻すことが必要になります。
数多くの皆さんは既にこれを行っていて、他の数々の生涯の中でこの意識の状態を達成して、既に所定の位置にあるこの意識状態と伴に今回の生涯に入っています。
“もう沢山だ、わたしはもはや古く廃れた分離の概念の中で生きて、行動し、存在し、または考えることを選択しない”、と口にすることを、決して怖れないでください。
既に一部の皆さんは、そこでこれに腹を立てる意志を持つ人々がいることに気付いているかもしれません。
友人達は少なくなるかもしれませんが、しかし親愛なる皆さん、もしもこれが起っても心配しないでください。
何故なら、エネルギーはそれ自体を模索し、今後直ぐに皆さんの共鳴と同じ人々を皆さんに引き寄せるようになるからです。
わたし達が今変容について伝える理由は、皆さんは起る変容を確認する状況に非常に近付いているからです。
沢山の物事が明らかにされることになり、そして皆さんは、内部と外部の両方で準備を整える必要があります。
何故なら、今後皆さんは、怖れから自分達の古く心地良い世界を理解する方法を手放すことができない人々を支援するように求められる人々になるからです。
人類は、今後政府、教会、両親、友人、または一般的な社会が人々のためにあらゆる物事を配慮するようになると信じながら日々怠惰に漂うことを、もはや許されません。
皆さんはその意識であり、従って、外部世界の実体であり、そして物事は急速に変化しています。
今は、3次元のエネルギーの内部で学び、他の人々を支援することを選択した、神聖なる存在としての皆さんの固有性を主張する時です。
その過程を許してください。
一部の人々にとって、その過程を許すことは、単純に行為者の代わりに存在者になることを意味するのかもしれません。
古い数々のエネルギーが表面化して消える間に、自分自身が静かで寛いだ状態になり、頻繁に内面に向かうことを許す状態です。
他の人々は、立ち上がるように導かれ、何らかの方法で頼りにされる自分自身に気付くかもしれません。
変容は帰順であり、変化に目を向けることです。
帰順は、一部の未知なる“非現実的な神”の概念に対して自己を諦めることではありません。
霊的な帰順は、人が真実に帰順しているという明確な理解を持っている自然な結果です。
それは、本当に数多くの道筋を進むことができる真実の探求を始めようとするひとつの強い内面の衝動で始まりますが、しかし最終的には内部の真実に気付くことに通じます。
それはそれが皆さんのありのままの姿になるため、皆さんはこの過程を回避することはできません。
数多くの人々がさらに深い数々の真実を“疑い”、まさにその真実を受け入れることを拒絶して、その代わりに、より“聖なる”または知的な他の人々は自分達よりも多くの物事を認識している、と信じることを選択しています。
親愛なる皆さん、それは違います。
すべての人々が内部の神聖なる声を持ち、それは単純に承認し、聞き、信頼することに関する問題です。
その時が今です。
バレンタインデー!
その通り、わたし達は皆さんの習慣に気付き、わたし達は皆さんに参加します。
何故なら、それは愛を称える日ではありませんか?
愛は存在するすべてです。
何故なら、一体性は決して分断されることがないからです。
それはただ、一体性は分断されることがある(分離である)という信念に過ぎません。
その信念が、今まで戦争、不和、苦悩、欠乏、限界等々という外的な顕在化という結果をもたらしてきました。
バレンタインデーは、神聖なる愛の恋愛的な面と協力の面を称えます。
恋愛的な愛の“邪悪さ”を説き、“神聖”になるためには皆さんは恋愛の概念を慎まなければならないと説く、数々の教えがあります。
無意味なことであり、これは、“神聖”になるためには皆さんは苦悩しなければならないと伝えている同じ教えの一部分です。
こうした教えは、人々を支える霊の法則を持たない、人類が創り出した信念です。
しかしその一方で、恋愛的な愛は、もしもそれを“機能させよう”とするなら、さらに深い水準で理解されなければならないものです。
そしてこれは、かなり数多くの人間関係に不足した要素です。
二人の人の間の引き寄せる力は、皆さんが結婚するあるいは双方と親密な人間関係を確立するように運命付けられていることを、いつも意味する訳ではありません。
引き寄せる力は、しばしば過去の人生の結び付きの結果として起り、皆さんにとってひとりの良い協力者にならないだろうと皆さんが直観的に認識する誰か対しても、頻繁に起ります。
ひとつの強烈な過去の人生の歴史を持つ二人の人間(男性と男性、女性と女性、あるいは男性と女性)が出会う時、瞬時の引き寄せまたは瞬時の排斥のどちらかが生じることがあります。
数多くのゲイのカップルが、異性愛者としての他の数々の生涯の中で一緒になっていました。
結び付きは死で終わることはありません。
何故なら、皆さんは意識であり、単なる物質的な身体ではないからです。
結婚または献身的な人間関係は、しばしば恋愛的な協力関係として始まったか始まらなかった過去の不完全な一部の人生の問題を解消する目的のために、当事者双方の誕生前の選択の結果として起ります。
解消されることを必要とするそういったエネルギーは、母と子供、父と子供、友人と友人、奴隷と主人等としての古代の役割の中に起源を持ちます。
現在の人生の人間関係は、その中で閉鎖をもたらすひとつの簡単な道筋を提供することが可能です。
これは、一方または両方が“何故わたしはこの個人と結婚したのか?”と疑問に思う人間関係の中で、しばしば当てはまります。
親愛なる皆さん、いつもさらに深く目を向けてください。
この時点で本当に偶然はありません。
皆さんがあらゆる状況から学んでいるもの、あるいは学ぶように運命付けられているものを検討してください。
例えただひとりの個人がそれを願うだけでも、カルマの閉鎖は起ることがあります。
もしも彼または彼女が相手を目覚めていない神聖なる存在であると認めて、またもはや断定的判断と憎悪のエネルギー(それは単純にカルマ的な状況を増大するために役立つだけ)の範囲で生きることを選択しないことができるなら、その結果二人は既に無条件の愛の場所に到達して、カルマの解消が起ります。
もしもそれが終ったことを認識しながら、二人が選択するなら、ひとりの個人はここでその状況を手放すことができます。
時に二人の人間は、何らかの理由がなく、すべての水準でお互いに強烈に引き寄せられますが、しかし一部の理由のために、これは決してひとつの人間関係へと展開しません。
この状況は、その誕生前の計画の中で、今回の生涯の中でお互いに一緒にならないことを選択した一部の人々に起ります。
もしも二人が一緒だったら、二人が単純に一緒にいることで満足しようとしたなら、その過去の強烈な人生の結び付きと愛が、二人が自分達自身の自覚と力を探究しそれに向けて霊的に成長することを許そうとしないことを、二人は理解します。
恋愛的な愛は、本当の愛に根差して地に足を付けたものになることが必要です。そうでなければ、それは単純に、悲しいことに数多くの人々が本当の愛と考える、動物の引き寄せに過ぎません。
この愛の概念は、映画媒体、書籍、テレビ番組、雑誌、広告等々のすべての分野の中で、そして特にバレンタインデーの日に、激しく推進されます。
賢明な者は、単なる性的な誘因は愛ではなく、その一面に過ぎないこと、“付け加えられた”物事であることを認識しています。
性的な誘因それ自体は、種を繁殖させるために必要な人間に根差しています。
それは、愛がなくても達成することができます。
ただ性的な誘因だけに基づいた親密さは、決して強烈で深いエネルギーの結び付きと充足を支えることはありません。
それは、両方が外見を超えて、他の個人の瞳を通して輝きを放つさらに深い現実性を理解する意識の状態になる時に可能になるものです。
愛の人間関係は、決して他の人々の見た目や装いに左右されません。
そして、誰かを皆さんの完璧な相手という概念に押し込めようとすることは、実りのない、とても人間くさいことです。
健全な人間関係は、類似のエネルギーの共鳴を持ち、二人の中のその共鳴は、近い世界観を持ちますが、しかし必ずしもお互いに全く同じように考え、信じる訳ではありません。
何故なら、すべての人々は、その個人的な必要性に従って学び成長するためにここにいるからです。
友人または配偶者になっている良くお似合の二人は、既に同じ意識状態を達成しています。
喧嘩、浮気、怒り、不安、そして虚飾の人間関係を楽しんでいる、目覚めていない意識状態から生きている人々を観察してください。
二人は、両方がいわゆる同じエネルギー波動の波長になっています。
それが二人の意識状態であり、人間関係が機能することに関する二人の概念です。
別の個人の魅力や願いによって、皆さんがその個人のより低い意識水準に入るように惑わされる時があるかもしれません。
確かに自由意志によって許されるといっても、それは決して最終的に望ましい幸せな結果になることはなく、その代わりに普通は、急で短い強烈な時間の後で、一緒に傷心に終ります。
人は、たとえそれがどれほど説得力を持つように見えるとしても、単純に小さくなった意識状態に後退することはできません。
愛と協力関係に関して、沢山の誤解があります。
政府、宗教、家族、そして友人達は、自分達のしばしば非常に狭い概念に一致するなら愛は唯一有効だ、と継続的にわめきます。
相手は特定の肌の色、性別、教育、経済状態、または他の受け入れられる特徴に属していることが必要になります。
愛は、数多くの人々として明らかになっている一体性の自己の経験です。
愛は今までもこれからも、決して人類の概念に左右されません。
完全で幸せで欠けたものがないと感じるために、ひとりの個人がもはや“人間関係を必要としない”時期が訪れます。
何故なら、既に人々は霊的な一体性と完全性に属する意識を達成しているからです。
既に人々は、内部にいる自分達の双子の光彩に気付いています。そして今交際することは、個人的な選択になります。
幸せな人間関係は、唯一お互いが自分達自身の真の価値と力を理解し、受け入れる時に現れます。
何故ならその時、もはや外部の評価の必要性がないからです。
人の真の正体の無自覚が、目覚めていない状態を引き起こし、自分自身の外部に自分達の完全性を探し求めます。
“もしもわたしがこの見た目が良く、豊かで、洗練された人と結婚するなら、わたしは可愛くて立派にならなければならない。”
数多くの人々が、依然として、可能性としてひとつの協力関係を持っていることが死または飢えを回避する唯一の方法だった時代の古い細胞の記憶を持ち運びます。
そしてこれは、自分自身がひとりになることを決して許さないひとつの協力関係から別の協力関係に飛び移る人々に、頻繁に反映されます。
もしも皆さんが皆さん自身の中でその状態に疑いを持つなら、こうした古い細胞の記憶が消えることを認め、許してください。
皆さんが内部でより強く成長するにつれて、皆さんは、恋愛関係での過去の失敗した試みを振り返って、たとえその時に皆さんは胸が張り裂けて傷付いていたとしても、こう話すことになるでしょう。
“神さま、わたしをこの人間関係から救ってくれてありがとう。”
人間の精神は、恋愛と性に関する世界の概念に条件付けられて、皆さんがそれを異なって教えるまでこのように反応します。
もしもひとりの人生の協力者を持つことが皆さんにとって完全性を表すなら、皆さんは、考えや苦闘を経ずにこれを皆さん自身に引き付けることになるでしょう。
何故なら、それは皆さんの意識状態、皆さんの霊の完全性の実現の自然な明示になるからです。
ひとりでいることは、一部の人々にとって完全性を表します。
真の、深く、そして長続きする人間関係は、恋愛、素晴らしい性関係、そして、硬直し、構造化され、清教徒的な意識状態が罪深いと判断したすべてを実際に含みます。
しかしこうした物事は今、付随的な物事であると認識されます。
わたし達アルクトゥルスの集団は、バレンタインデーのために、すべての皆さんに愛、歓び、楽しみ、そして気付きを送ります。
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