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メルキゼデク:心配からの自由 [メルキゼデク]


メルキゼデク
Melchizedek


心配からの自由
Freedom from Worry



February 16, 2014 at 3:11pm

Freedom from Worry
Melchizedek’s Weekly Message ~ February 16 – 23, 2014
Received by Julie Miller February 16, 2014

 

 

皆さんの人生全体で再び適用されることが頻繁に必要になる、学ぶための技能で最も困難なもののひとつは、過度の心配から皆さん自身を自由にすることです。

 

事実通り心配になっているものを、理解してください。

 

それは不愉快で苦痛に満ちていると理解されるひとつの未来の心象であり、そして皆さんは数々の結果を、まるでそれが既に起こってしまったかのように理解します。

 

心配は皆さんから歓びを取り除き、そしてもしも皆さんがその間ずっと毎日欠かさず心配するなら、皆さん自身の把握は歪み、かつて明確に理解されたものがすっかり曇らされて不明確なものになります。

 

その上心配することは疲れるものであり、やがて過度の心配から、皆さんの活力あるエネルギーは消耗させられることになるでしょう。

 

 

 

 

心配が役立つことができる方法を含めて、心配を広めている数多くの異なる信念があります。

 

つまり皆さんは、皆さんの心配する精神を完全に掌握していません。

 

皆さんがひとりの心配性にならないようにする方法を学ぶ前に、皆さん自身の前提は心配が皆さんに意味するものに関するものであること、そして皆さんが心配する傾向があるものとその理由を学ぶことが、不可欠になります。

 

心配が皆さんに充分に役立つと実際に考える、皆さんの何らかの部分があるのでしょうか?

 

数多くの親愛なる魂が、心配は皆さんを成熟に導くひとつの不可欠な部分である、あるいは、心配は皆さんが数々の解決の難しい問題点を解決するために役立つ、と本当に考えます。

 

実際には、過度の心配は健康的ではなく、皆さんに充分に役立つこともないため、こうした具体例は真実ではありません。

 

 

 

 

親愛なる皆さん、過度の不安になっているものは、皆さんが対処しているどのような状況にもかかわらず、より肯定的で適切なひとつの見通しを獲得することに関する皆さんの無力さの、ひとつの証拠です。

 

また、心配が行うことは、皆さんがひとつの機能する解決策に気付くために役立つ代わりに、それが皆さんを数々の問題の中で行き詰ったままにすることです。

 

皆さんのすべての時間をその問題に特定しようとすることに費やす代わりに、一部のエネルギーを選んで、それを何処か他の場所に置いてください... すべてのエネルギーではなく、その状況から一部の圧迫と緊張を充分に取り除くだけのエネルギーです。

 

わたし達は、数多くの親愛なる魂が、ただこの行動が否定的な数々の難題または人生の一部である不運から彼らを保護するとどことなく感じるという理由だけで、心配する姿を観察してきました。

 

 

 

 

ひとりの心配性にならないことに取り組む時に皆さんが最初に行う物事のひとつは、皆さんの心配する衝動の背後の理由は数々の事実の誤解と思い違いに基づいている、という状況を、理解することです。

 

皆さんが何らかの状況に由来する皆さんの怖れを取り除く時、皆さんは、その不安を創り出したものは皆さんの未知なるものに関する怖れから現れたことを、急速に究明します。

 

皆さんは、実際にそれが不要な時に、万が一のことのための起こり得る数々の筋書きを創り出しました。

 

皆さんが今後これほど沢山心配することによって達成するものは、幸せと歓びの欠如だけであり、それは皆さんが現在の瞬間の中に存在することを妨げるだけです。

 

何故なら、たとえそれがちょうど昨日または数日前に起こったことだとしても、皆さんはいつも、過去に基づいて何かを考えているからです。

 

皆さんを心配に導き、皆さんが自ら余分なエネルギーの出力を必要としない数多くの物事を心配することを許す理由に導く、その皆さん自身の信念と価値観に皆さんが目を向ける時、皆さんはまさに、皆さんは実際にこれほど沢山のことを心配するこの内面の要求を終わりにすることを望み、人生の果実を楽しむことを望むことに、気付くかもしれません。

 

 

 

 

皆さんが既に心配性にならないことに一部の真剣な考えを与えていた時、わたし達が皆さんに勧める最初に行う物事のひとつは、未知なる物事に対するひとつの率直な熱心さを創り出すことです。

 

何故これほど数多くの親愛なる魂達がこれほど沢山心配する傾向があるその理由は、その魂達が未知なる物事を怖れて、一貫してそうなる可能性があるもの全体を心配するからです。

 

そして実際に未知なる物事または不確実性からの逃げ道がない理由は、皆さんはすぐにすべての答えを与えられることはないからです。

 

何故なら皆さんは、皆さんの数々の問題点を解決し、皆さんの数々の難題に取り組みように意図されているからです。

 

今後その難題が、未知なる物事から皆さんを救い、ほとんどの場合、皆さんが始めた時よりも皆さんを強くすることになるでしょう。

 

その上心配は、人生が今まで皆さんに提供してきた数々の状況によって引き起こされた何らかの躊躇いを変える能力は、持ち合せません。

 

皆さんは余りに沢山心配し続けていて、皆さんの否定的で厄介な考えが皆さんから離れないことを皆さんが自覚する時、親愛なる皆さん、これは一部の認知の再構築を適用するひとつの良い時期です。

 

その状況で皆さんは、皆さんの考えに疑問を持ち、沢山の何故という種類の質問を尋ねています。

 

親愛なる皆さん、皆さんの間には、自分達のどのような考えにも決して疑問を持つことがなかった数多くの人々がいることを、皆さんは認識していましたか?

 

彼らは今まで決して、彼らの心配または厄介な考えの背後にある理由の正当性を確認しようとはしませんでした。

 

皆さんを不安にさせてきたその状況から一歩離れて見ることは、もしも皆さんの心配な考えが有効で役立つものなら、皆さんが査定することを許します。

 

皆さんがひとつの考えに疑問をもつ時、皆さんは、心配が皆さんに提供したものとは別のひとつの異なる視点を確認するための、ひとつの黄金の機会を与えています。

 

その結果皆さんが心配を超えて進もうとする理由は、皆さんは既に、心配は必要ではなかったという結論に達しているからです。

 

 

 

 

親愛なる皆さん、わたし達は、皆さんが正直になって考えることを望みます。

 

皆さんは、皆さんの道筋を横切るあらゆる状況や出来事に対して、前もって不明確なあらゆる詳細を認識することを望みますか? 

 

もしも皆さんが既にすべての未知なる物事と人生が提示しなければならないすべての不確実性を認識しているなら、その時数々の困難と難題が不確実性の縁まで溢れていることを理由にして、その困難と難題を克服する方法をどのように学ぶことになるのでしょうか?

 

その結果、もしも皆さんがそこから脱却するためのどのようなものも持ち合せていないとすれば、皆さんはどのように成長しようとするのでしょうか?

 

皆さんがまさに今持つ沢山の叡智は皆さんに与えられるものではなく、皆さんの叡智の大部分は人生経験から現れたものであり、もしも皆さんがあらゆる単一の不確実性とあらゆる未知なる物事を認識していたとすれば、おそらくこの多くが起こり得なかったことを、まさに思い描いてください。

 

親愛なる皆さん、満たされて歓びに溢れた人生を経験することは、非常に起こり得ることであり、その一方で、人生を受け入れることは、不明確な瞬間に満ち溢れています。

 

そして、皆さんが受け入れて入る数多くの道の領域が存在し、それは、皆さんの人生の至るところで学び、成長し、発達する皆さんの恩恵のためにあるものです。

 

まさに皆さんが不明確な何かに達するという理由から、これは皆さんがひとつの否定的な結果を思い巡らせなければならないことを意味するのでしょうか?

 

親愛なる皆さん、皆さんが今まで経験してきた数多くの凄まじい物事は、心配から現れたのであり、生きることから現れたのではないことを、明確に理解してください。

 

 

 

 

わたし達は、数多くの親愛なる魂達にとって、心配が既にひとつの人生の習慣的な部分になっていて、彼らの日常の数多くの側面に影響を与えることを、既に気付いています。

 

皆さんは皆さんの日常の只中で、ひとつの気掛かりな考えを持つかもしれませんが、それは今後皆さんの現在の瞬間からひとつの動揺を引き起こし、皆さんは厄介な考えに引き寄せられるため、皆さんの努力の産物を妨害することになるでしょう。

 

心配はひとつの習慣であり、それは、それが突破するか減少させることが困難なものになる得る苛酷さに、左右されます。

 

しかし、もしも皆さんが皆さんのこころと魂で一体となって取り組むことを信じるなら、どのような物事でも可能です。

 

実際に、ほとんどの親愛なる魂が、彼らの心配するものに関して彼ら自身の信念と価値観に向けた彼らの数々の前提に疑問を持ち始める時、彼らは、彼らが心配していた物は彼らに何らかの良い事として役に立っていなかったこと、そして彼らをより疲れさせながら彼らから貴重なエネルギーを奪っていたという事実に、急速に気付きます。

 

 

 

 

心配する習慣を減少させるために、皆さんはこれを、唐突にではなく、徐々に行います。

 

もしもひとつの厄介で懸念すべき考えが皆さんの精神に入り、そして皆さんが皆さん自身でそれに行き詰っていると感じるなら、その時は、この厄介な考えは今後機能しないと、皆さん自身に伝えてください。

 

皆さんは、皆さんがひとりの心配性であるという事実を、否定することはできません。

 

皆さん自身に正直になり、皆さんは心配する傾向を持ち、それにもかかわらず、皆さんは毎日積極的にその習慣を減少させることが、重要になります。

 

ちょうど喫煙をやめようとする数多くの人々のように、彼らはこれを段階的な手順を踏んで行い、その一方で、彼らがもはやその味に耐えることができないかその欲求を持たなくなるまで、依然として一日あたり2,3本の煙草を彼ら自身に認めます。

 

まさに気が狂ったように心配する数分を皆さん自身に与えて、次に皆さんが徐々にその分数を減らすことが、不可欠になります。

 

もしも皆さんが皆さん自身で心配を捕まえるなら、その時皆さんは単純に、皆さんは後で心配しながらこれを行うことになり、その付きまとう考えを皆さんの精神から締め出すことを、皆さん自身に言い聞かせてください。

 

これは、皆さんの精神のガラクタの一部を完全に自由にして、そしてまさにもしかすると、皆さんが既に心配するために皆さん自身に与えてあるその時間を、忘れるかもしれません。

 

何故なら皆さんは、既に人生を楽しむ自由を皆さん自身に与えているからです。

 

 

 

 

皆さんが、すべての心配から皆さんの精神を通過していた精神的な混乱からの自由を皆さん自身に与える時、皆さんは集中力を皆さんの人生に戻していて、奪われたすべての生命力が戻り、そして皆さんは、より生産的で肯定的な方法でこの不可欠なエネルギーを適用することができます。

 

心配性にならないようにすることは、皆さんが受け入れて最大限に生きるために現在ここにある歓びに満ちた人生に感謝するさらに多くの時間を、皆さんに与えます。 

 

 

 

 

わたしはメルキゼデク、ジュリー・ミラー経由

I AM Melchizedek through Julie Miller 


http://ipeace.us/forum/topics/freedom-from-worry?xg_source=activity

翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。

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