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スフィンクス、闘いまたは逃走を語る [スフィンクス]


スフィンクス

The Sphinx


スフィンクス、闘いまたは逃走を語る
The sphinx speaks fight or flight



22 February 2013 - 10:45pm
ペトラ・マルゴリス経由
Channeler: Petra Margolis

The sphinx speaks fight or flight.


 

今日、わたしは、響きの良い言葉ではなく、皆さんにそれについて考えて貰うものを皆さんに与えるという意図を持って、ここにいます。

 

皆さんは皆さん地球の上を進むからです。

 

 

 

その重要な言葉は、このメッセージの中の意図です。

 

 

 

それは、数多くの人々が意図するもの、あるいは皆さんが意図できるもの、あるいはその意図が他の人々に属するか、皆さん自身に属するものを説明するために、数多くの人々によって用いられる、ひとつの言葉です。

 

 

 

人間は生まれつき、生きようとする意図に基づいて生きる存在です。

 

 

 

脅かされている時、人間は、別の方法で考えようともしない驚くべき物事を行う可能性があります。

 

生き残りは、単なる習性、第二の天性ではなく、それぞれの人間の内部の第一の天性です。

 

 

 

社会は既に変化しているため、実際に生き残る必要はないように見えますが、しかしある意味で、これは依然として最初の本能であり、数多くの皆さんの行動を規定します。

 

 

 

自我は、色々な意味で、生き残ろうとする意図を任されています。

 

 

 

一度人間が霊的に目覚め始めると、何かが変わりますが、しかし依然として、生き残ろうとする意図は人間つまり自我の部分であり、皆さんが考えるより多くの段階を踏むことになるでしょう。

 

 

 

生き残る必要性は、それぞれの種のためにそこにあり、そしてそれぞれの種は、生き残るために極端な手段を経験することになるでしょう。

 

 

 

生まれつき、人間のこころは自分達のごく近い親戚、特に自分達の子供を愛するために、そこにあります。

 

子供達は生き残る必要性の一部になっているからです。

 

 

 

とはいえ、人類は既に変化し、この生き方は既に変化していますが、しかしそれはほとんど人間の外側のことです。

 

何故なら、人間の内側はまだそれほど変化していないからです。

 

 

 

人間はある意味で、個人的な人間それ自身に基づくというよりも、さらに巨大な数々の脅威を生き延びるために、本能によって一緒に生きてきました。

 

 

 

これは、人間が協力し合うことを要求しました。

 

そしてこれはある意味で、支配が始まる場所です。

 

その支配は、ひとつの人間の集団を調和的に協力させることが必要になります。

 

 

 

その人間の数々の集団がさらに大きくなるに連れて、その支配体制は成長します。

 

さらに多くの人間達が一緒になり、さらに多くの人間達が支配されることを望むため、これが結果として、軋轢をもたらします。

 

そしてこれが結果として、同じ地域の中で暮らしている人間達の数々の集団の間の戦争をもたらします。

 

人間達の数々の集団の間の違いと同じように、さらに多くの意見が集団意識全体に混ぜ合わされ続けるからです。

 

 

 

次に、例えば皆さんの宇宙の中の他の数々の惑星からの種族のような地球の外部から、混ざり合った数々の影響が持ち込まれます。

 

その一部は、霊的な世界をもう少し理解することに関して、時々ひとつの利点をもたらします。

 

それと同時に、霊的な世界から直接現れる数々の影響ももたらして、皆さんは解消するために長い時間を必要とするひとつの混乱を経験します。

 

 

この瞬間に、皆さんはすべてこれを感じていて、そして皆さんは異なる方法を見付け出そうとしています。

 

しかし認識されているその方法は、皆さんが確認したい効果を持たない状態が続いています。

 

 

 

ひとつの個人的な水準では、数多くの皆さんが、皆さんの生き方や、現時点で皆さんがその人生を理解することを望む意図の強さを変えるために、莫大な量の力を利用しようとしてきました。

 

 

 

皆さんは、皆さんがそれを理解するように、今までこころの道筋に従ってきましたが、しかしそのこころの道筋は、色々な意味で強制されたものです。

 

 

 

皆さんは、こころが愛に溢れ思いやり深くなるように強要しようとしていますが、思いやり深く寛容なのはこころの本質であることを忘れています。

 

こころは学ぶ必要がありません。

 

人間それ自体は学ぶ必要がありますが、しかしある意味でその状態は、皆さんの人間のすべての部分と同時に皆さんの霊的な存在のすべての部分と釣り合いが取れています。

 

何故なら、このふたつは、実際にまさにひとつの存在だからです。

 

 

 

数多くの皆さんが、ただその覆いの背後にある小さな部分だけを確認することができるだけであり、それは皆さんが地球上に転生した時に、皆さんが受け取ることを選択したものです。

 

この覆いは、折りに触れて実際にその覆いの背後にある余りにも多くの物事を確認することから皆さんを護るためにそこにあり、わたし達はまさに、それぞれの個人に適切なやり方でそれを取り除くことを勧めます。

 

 

 

しかし時にその覆いを取り除くことを難しくしている部分は、人間の精神だけではなく、基本的な本能に関する限り、皆さんの内部にあるあらゆる物事です。

 

 

 

この基本的な本能の部分は、皆さん脳の内部、例えば爬虫類種の脳の部分にありますが、しかしまた本能は、皆さんのDNAの内部、皆さんの物質的な身体に最も近いエネルギーの身体の内部と同時に、誕生からその精神と思考過程の内部にも埋め込まれています。

 

 

 

人間の基本的な本能は、闘いまたは逃避の本能であり、ほとんどの人間は、闘いよりも逃避に傾きます。

 

 

 

目覚めは、皆さんがさらに多くの物事を確認することを許すものですが、しかし皆さんが確認するものは、必ずしも皆さんが確認したいものとは限らず、数多くの皆さんにとって逃避の本能がほとんど瞬時に介入して、人々にその覆いを取り去らせる代わりに、その覆いの背後に隠れるようにさせます。

 

 

 

それはこのように見えないかもしれませんが、しかし数多くの宗教の教えが逃避と逃避の本能に基づいています。

 

何故なら、数多くの教えもまた、支配に基づいているからです。

 

そして皆さんが闘う代わりに逃避する時、支配はより簡単なものになります。

 

 

 

わたし達が一部のエジプトの教えに目を向ける時、わたし達は同じように用いられているこの支配の形を確認します。

 

たとえば、死後の世界に入ることができるようになるためには、こころがひとつの羽毛のように軽くなることが必要だということについての教えです。

 

 

 

数々の教えは、さらに多くの大衆を闘い続けさせるためには、決して逃避の支配を利用しません。

 

これによってわたしが意味していることは、近頃は数多くの人々が、皆さんを支配の状態に維持するために闘いについての怖れを用いる、という事実です。

 

 

 

たとえ彼らが自分でそうでなはいと言うとしても、数多くの人々が怖れている、その闇という怖れです。

 

 

 

数多くの人々がより疑問の多い教えの代わりにより心地良い教えだけに従う時、その証拠は普通経験してみないと分かりません。

 

そしてもしも人々が教えに疑問を持ち続けるとすれば、人々はある偏った方法で尋問されることになり、その通り、皆さんはこの状況は好きではありません。

 

 

 

数多くの人々が、こころに従い、こころの状態になる上で、無理をしようとしていますが、しかし、そのこころはただ存在の小さなひとつの部分に過ぎず、感受性はただこころの内部だけにあるのではなく、存在全体の内部にあります。

 

 

 

ただこころの感受性に従うだけでは、数多くの皆さんが期待し続けているものは達成されることはないでしょう。

 

これは古代エジプトの教えのひとつだったものであり、特に石棺、内部、暗闇の教えです。

 

 

 

皆さん自身を完全に暗闇の内部に沈めることは、闘いまたは逃避の本能を遮断することであり、これはこころだけではなく、また闘いと逃避という基本的な本能御を保有する皆さんの他のあらゆる部分との情報の遣り取りが必要です。

 

何故なら、これがその覆いを完全に取り去る上で支援することになるからです。

 

これは、さらに多くの真実が前面に現れることを許すようになるものですが、しかしさらに重要なことは、それは、皆さんがより完全な認識と理解の方法で真実を確認することを許すようになる、という事実です。

 

 

 

エジプトの中の数多くの神や女神が、動物の頭を持ったひとつの人間の身体によって象徴されていたことは、ひとつの理由があります。

 

そのすべては、ある意味で、それぞれの人間の内部にある基本的な本能を象徴します。

 

 

 

それは、死後の世界の理解に向かう道筋の上で遭遇する、数々の課題を象徴します。

 

霊の世界です。

 

 

 

あらゆる物事が皆さんの内部にあると言われる時、これは真実ですが、しかし人間は逃避し、闘争本能が、数多くの人々が実際に完全な内部のあらゆる物事に気付くことができないようにするでしょう。

 

 

 

これが、数々の先駆者、教師、導きが存在する理由です。

 

しかし今地球上に存在する多くの人々、皆さんが従うこうした人々のすべてが、闘いと逃避の両方の教えよりも、逃避だけの教えを利用し続けています。

 

 

 

世界には、より自覚的になっている皆さんに焦点を合わせた数多くの教えが存在しますが、しかし数多くの人々が、実際に、ただ感じるか認識する代わりにあらゆる物事を理解することができる、その要点に触れていません。

 

同時に、その認識は何度も闘いと逃避の本能に基づくものになっていて、その状態は皆さんが本当に認識することを妨げることになるでしょう。

 

何故なら、数多くの人々が、必要とされる時の釣り合いの取れた闘いと逃避の本能よりも、逃避の本能を用いることに慣れているからです。

 

 

 

これでわたしが言いたいことは、数々の教えは、数多くの人々が逃避の本能を用いるという事実に基づいている、ということです。

 

彼らはこの本能を悪用します。

 

何故なら、これは、彼らが教えるもの、彼らが教える方法、そして彼らの信念体系に従うように彼らが他の人々に影響を与えることができる強さに関して、さらに多くの支配を許すからです。

 

そしてこの状態が、数多くの人々を彼らの教えに執着させることになるからです。

 

 

 

その上、数多くのメッセージが、まさにこの計画に該当します。

 

何故なら、彼らはほとんどの場合、ただ彼らが起っていると確認するものだけを皆さんに伝えるからであり、同時に言うまでもなく、彼らが起っていると確認したいものを皆さんに知らせるメセージになっているからです。

 

そのメッセージは、ほとんどが逃避の本能に焦点を合わせます。

 

 

 

数多くの人々が、その人々の気分を良くするものを追求することになるでしょう。

 

数多くの人々が、その人々に不安、悲しみ、怒り、気分を悪くするもの、時には吐き気を催すようにするものを追求するようなことは、ほとんどしないでしょう。

 

 

 

数多くの人々が、無知という自分自身で築き上げた覆いを超えて確認することはないでしょう。

 

何故なら、その人々は、生き方に基づいた逃避本能の現実性に今まで従ってきたからです。

 

 

 

その通り、皆さんが皆さんの周りのすべてで人生を構成する数々の教え、メッセージ、認識、そして信念体系の中を進む時、皆さんは個人的に築き上げた皆さん自身の覆いを持ちます。

 

 

 

ただこうした覆いを通り抜けることが、それ自体でひとつの目覚めになることができます。

 

 

 

それは深い内面の探索が必要であり、それはこころの内部だけではなく、皆さんに利用できる、あるいは現時点で皆さんが到達できる、その皆さんという存在のあらゆる部分です。

 

 

 

これは、皆さんの人生の中で苦難または困難な状況を経験することとは無関係です。

 

それは、皆さんの物質的な身体と霊の身体の中に存在する、闘いと逃避という基本的な本能と関係があります。

 

 

ここが、皆さんがそのこころ、精神、脳、自我、皆さんのDNA、そして皆さんの物質的な身体と霊の身体と結び付けられているあらゆる物事と連携することが必要になる部分です。

 

 

 

ひとつの根源から別の根源へ

ペトラ・マルゴリス

 

2013年2月22日
From one Source to another
Petra Margolis
February 22, 2013
www.ascendedmasters.org

http://lightworkers.org/channeling/177544/sphinx-speaks-fight-or-flight

翻訳森のくまさま...ありがとうございます。

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