イエス:怖れは、皆さんが皆さん自身の内部で確保してきた小さな実在しない空間。 [イエス:ヨシュア]
イエス
Jesus
怖れは、皆さんが皆さん自身の内部で確保してきた小さな実在しない空間。
Fear is a tiny and unreal space that you have set aside within yourself.
May 6, 2017
ジョン・スモールマン経由
By John Smallman
ただ一体性だけが存在します。
存在するすべては、永遠に、そしてどのような種類の中断あるいは遮断もなく、一体性の内部に最も愛を込めて含まれます。
外部は存在しません。
皆さんが幻影を構築して、内部に皆さんが皆さんのゲームを演じることを選択した数々の境界線を設けたように、内部と外部の両方は、ただ幻影の内部で役立つ仮想的な概念に過ぎません。
それが皆さんのゲームを演じるために非常に効果的な場所になっていた理由は、それが皆さんにはこれほど実在するように見えていたからです。
しかし、その現実感は、それ自体を貪欲に常食としながら、悠久の時の間持続してきた重苦しい痛みと苦悩の断片と一緒に現れています。
そして今は、その現実感がそうなっていた混沌、混乱、そして対立から、皆さんが皆さん自身を解き放つ時です。
すべてのゲームは幕を下ろすことが必要になります。
そうでなければ、それはゲームではなくなります。
そしてそれがその瞬間に達する時、皆さんがゲームに背を向けることによって、また皆さんの注意をその中で皆さんが持続する歓びの中で皆さんの永遠の在り方を経験する故郷である愛に向けることによって、皆さんは目覚めます。
皆さんが現在そうであるように依然として眠り、そして夢見ている間に、皆さんの個人的な空間、皆さんがそういった身のすくむ可能性に備えながらこれほど沢山の時間とエネルギーを費やすその空間に入り込もうとしてすべの種類の大惨事が勢揃いするように、幻影は、非常に現実的に、そして非常に威嚇的に現れ続けます。
目覚めるためには、皆さんはまさにそういった防御を手放すことが必要になります。
何故なら、それは皆さんが恐れるあらゆる物事を締め出す代わりに、皆さんの空間の内部でそういった物事を効果的に維持するからです。
それがそういった物事を締め出すことができない理由は、外部は存在しないからです。
怖れは、皆さんが皆さん自身の内部に確保してきたちっぽけで実在しない空間であり、皆さんはそこで、愛から、皆さんの永遠の故郷である神から、分離したままでいることを選択してきました。
しかしそれは、完全に実在しないものであり、そしてただそれが存在すると信じることを皆さんが選択する限り実在するように見えるものです。
皆さんはすべて、これほど熱心に演じ続けてきたそのゲームから目覚めて、それは実在しないことを意識的に気付き、忍耐強く皆さんを待ち構えている無限の愛に響き合うように、呼び掛けられています。
何故なら、その愛は、皆さんが帰り続けていることを認識しているからです。
愛はいつも皆さんと一緒です。
何故なら、愛は皆さんであり、そして皆さんは愛であり、根源と、母なる父なる神とひとつだからです。
皆さんが目覚める時、皆さんは、皆さんの天の父が意図するように、あらゆる瞬間に無制限になるでしょう。
悠久の間埋められてきたか否定されてきたすべての問題点が承認と解放を求めて表面化するため、数多くの皆さんが、現時点で計り知れない情緒の激変と動揺を経験しています。
今まで皆さんは、恥辱の中あるいは補償の望みの中のどちらかで、数多くの姿をした罪悪感、怖れ、怒り、そして恨みにしがみ付いてきました。
しかし事実通り、それはすべて、完全に実在しません。
皆さんは、そのゲームを考案しました。
そして皆さんは、その規則を考案しました。
そしてゲームと規則は、しばしばそれほど辛辣に、必然的に判断を伴うものです。
今は、これを最後にしてそれを止める時です。
その第一歩は、許すことです。
皆さんが皆さん自身と他の人々を許すまで、皆さんは、前進することができません。
何故なら、許すことの拒絶は、たとえそれが許すことの必要性に気付いていない状態だとしても、愛することの拒絶になるからです。
そしてただ愛だけが存在するため、皆さんが行く場所は何処にもありません。
皆さんは、それが現実であり皆さんはそこで逃げ場を見付け出すことができるという信念で幻影に執着し続けているため、道に迷った、価値が無い、恥辱の限りだ、受け入れられない、愛されそうにない、と感じます。
しかしそういった感覚はそのゲームの側面であり、それ自体が実在しません。
神は皆さんを完璧に創り出しました。
そのため皆さんは、永遠に完璧なままです。
しかしその一方で、皆さんは皆さんの周りを見回して、他のゲームの担い手達に関与します。
すべての人間がゲームの担い手であり、皆さんはあらゆる分野で判断に遭遇します。
友達、家族、職場の同僚、政治活動家、宗教改宗者、他の民族性あるいは国籍の人々の、そしてその人々による判断です。
その一覧は無限です。
そして判断はいつも非難と、次に対立に通じます。
皆さんが判断することが必要な状態を選択する限り、皆さんは、その長さの分だけ、皆さん自身を愛から締め出すことになるでしょう。
愛はいつも皆さんと一緒にいて、皆さんは永遠に愛の神聖なる方法の中に包み込まれます。
しかし母の愛を込めた支配を逃れようと格闘している錯乱状態の幼児達のように、皆さんはそれが近付くことを絶対的に拒否します。
皆さんは、皆さんが信じる人々は皆さんが愛ある最初の行動を起こすように皆さんを配慮し、称賛し、愛し、尊重し、待つべきだ、という傷の激怒で、もがきすすり泣くことを好みます。
そして皆さんが実際に最初の行動を起こすことを選択する時でさえ、皆さんの提案は却下されることになるという怖れのために、それは慎重にそして仕方なく行われます。
それが皆さんの態度である時、それが皆さんのエネルギー場で非常に強力な効果を発揮し、次に以下のメッセージを送り出します:“近づくな!”。
そしてそれにもかかわらず、すべての激怒の底で、あらゆる皆さんがただ愛されることだけを望みます。
それは皆さんにとって、極端に紛らわしいものです。
もしも皆さんが何よりもまず、皆さんの容認を待ち望みながら愛がいつも宿る皆さんの聖なる個人的な聖域を目指して内面に向かうなら、そしてそこで皆さんのすべての思い違いと間違いに対して皆さん自身を許そうという意図を定める間、たとえ皆さんがそれを他の人々への法外な侮辱あるいは攻撃と理解するとしても、皆さんは、あらゆる瞬間に愛を込めて皆さんを見守る霊の数々の領域の存在達によって、充分に支えられることになるでしょう。
今後皆さんは、皆さん自身を許すために皆さんのこころの中でそれを見つけ出すことになるでしょう。
何故なら皆さんは、皆さん自身の奥深くで、皆さんは実際に何も悪いことはしてこなかったことを、認識しているからです。
皆さんが神の神聖なる抱擁の内部で永遠に抱き締められる時に、皆さんはどのようにしていつも何か悪い物事を行うことができたというのでしょうか?
皆さんが罪そして怠慢として感じ取り、経験するものは、今まで皆さんが演じてきたその実在しないゲーム、最終的にそして永遠に皆さんが止めることを選択しているゲームの、数々の側面に過ぎません。
帰順と謙虚さの中で皆さんがそれは実際にそうだとそれを確認するように、しばしば、死に物狂いで愛と探し求めながら傷つき怯えている子供達として、最初は他の人々を許すことはより簡単になります。
その時皆さんは、その中で皆さん自身を認め、そして皆さん自身に許しを広げることができます。
後になれば、皆さんの霊性が意識的に深まり、高まるため、皆さんは、事実通り、許すものなど何もない理由は何も起こっていなかったからだということを、理解するようになるでしょう。
その結果皆さんは、その通り、ただ愛だけが存在する、その通り皆さんは愛である、そして他のあらゆる人も同じだということを、認識することになるでしょう。
それがそれ以外になることがあり得ない理由は、父なる母なる神、すべてである神聖なる根源の内部には、存在するすべてが存在し、そしてそれが皆さんだからです。
皆さんの愛情溢れる兄弟、イエス。
Your loving brother, Jesus.
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