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サナンダ:具体化 [サナンダ・クマラ]



サナンダ
Sananda


具体化
Embodiment



September 18th, 2016
パメラ・クレーバ経由
Via Pamela Kribbe,



親愛なる仲間達、わたしは皆さんと一緒にいて、わたしのエネルギーを皆さんのエネルギーと一緒にすることができて、とても喜んでいます。


 


皆さんは、光り輝く光の存在達です。

 

そして皆さんは、皆さんが皆さんの人生の中で日々実証するその強さと美しさを分かっていません。

 

たとえ時にその外見が暗く、そして皆さんが時々皆さんの人生の中で前進しようとすることに疲れ果てたと感じるとしても、皆さんはいつも勇敢です。

 

皆さんは、皆さんが来る日も来る日も実証するその信じ難い勇気と力に気付く必要があります。


 


皆さんは、まさにここにいる皆さんという存在感を通して、継続的により一層数多くの光りを地上にもたらします。

 

皆さん自身を皆さんの身体の中に固定することによって、皆さんは地上で皆さんの光りを広めます。

 

皆さんは、地上の生きている光であり、そして皆さんの身体はその具体化の不可欠な部分です。


 


皆さんは、ひとつの目的、ひとつの深い意図を携えてここに転生しました。

 

皆さんは、こころの中で花開こうとして、そして皆さん自身のあらゆる部分を深く経験して認識しようとして、皆さん自身のためにここにいます。

 

しかしまた皆さんは、皆さんの天使の光で地球を刺激し育もうとして、地球のために、この惑星のためにここにいます。

 

皆さんの身体は、地球そして植物や動物の王国と同じ元素からできています。

 

それは、皆さんがその存在達と共有するものです。

 

皆さんは、皆さんの周りの生命から離れていません。


 


その身体は、それ自体でひとつの奇跡です。

 

皆さんの身体の中のそういったすべての小さな細胞と、その細胞がその別々の役割を認識する姿と同時に、ひとつの統合された全体として連携する姿を、考えてください。

 

細胞達は、さらに高いひとつの力に対する表現を与えます。

 

そしてそのさらに高い力が皆さんであり、皆さんの身体の中で生きるその魂です。


 


皆さんの魂は、皆さんの人生の触発者であり、与え手です。

 

今回の生涯が実現している状態になることを選択した、皆さんの魂の選択、そしてその身体に、感謝してください。

 

この皆さんに喜びと同時に痛みと重圧さえも与えるあらゆる物事を備えた、この特定の身体です。


 


この具体化を経験することは皆さんにとって必ずしも簡単という訳ではないとしても、今からわたし達は、この身体に目を向けて、具体化されているもののその驚きを感じたいと思います。

 

そして身体のその驚きと美しさを体験することが難しい理由のひとつは、皆さんの文化が、結果的にその身体とは疎遠になっているひとつの伝統になっているからです。


 


生きているひとつの知性、個人の魂が親密に結び付けられている意識のひとつの領域として身体を観ることは、皆さんの文化の中で普通のことではありません。

 

この身体の観方が皆さんに教えられてこなかった、数多くの理由があります。

 

そしてそういった理由のひとつは、キリスト以前の時代まで遡ります。


 


それは、おそらく皆さんが今合理的な考えと呼ぶひとつの考え方が浮上した、ギリシャの時代に始まりました。

 

自我が把握するものとは異なるものとして自我が自我自体を理解する、自我が中心となる世界へのひとつの観方が浮上しました。


 


その時、自然、そしてそれと伴にその身体は、ゆっくりと客観化され、皆さんから独立して存在するものとして理解されました。

 

その結果皆さんの外部にあるものは、研究の対象になることができました。

 

そしてこれが、科学の発達の始まりです。


 


その後、17世紀の西洋の伝統の中で、現代科学が現れ、そして自我意識そして身体と自然の世界との間の二元論がさらに激しいものになりました。

 

ひとつの二元論が浮上しました。

 

そこでは物質はより一層生命感の無いものとして、身体はその通りに一塊の粘土、活き活きとしたひとつの意識を持たない物として、理解されました。


 


医学の出現は、客観的な研究を通して可能にされただけではありませんでした。

 

その魂、つまりその人格の個別性は無関係なものである、と考えられました。

 

それは重要ではないと考えられました。

 

何故なら、身体は、あらゆる人の中で同じものであるひとつの物質的な実体として理解されたからです。


 


この生命の客観的な観方が、病気の種類を分類し、数々の薬を発明することを可能にしました。

 

そういった二元論的な世界の観方に立つと、ひとつの完全な科学を発達させることができます。

 

わたしはこの観方が悪いと言っているのではなく、ただ既にそれは皆さんの文化のひとつの伝統になっていて、依然として存在するということです。


 


近代の中で、また皆さんは、皆さん化粧品産業の中で、非常に異なるやり方でその伝統を確認することができます。

 

皆さんの文化の中で、美が経験される姿に目を向けてください。

 

既にそれは、客観的なものになっています。

 

測定することができる美しさに関する特定の印象があります。

 

ひとりの女性またはひとりの男子にとって、しかじかの特徴が理想的なものになります。

 

肌のきめ細かさと質感、顔の特徴は、それが時間と共に変わる時でさえ、いつも客観的な評価に、時に皆さんが判断するために頼りにすべきものとして存在する皆さんの外部のものに曝されます。


 


病気と健康もまた、その手の条件で判断されます。

 

もしもひとつの身体が病気なら、それについて何か悪い物があるはずであり、従ってそれは良い物にすることが必要になります。

 

ここで眺められるその身体は生命の無い粘土、つまりひとつの機能の種類のようなものです。

 

従って皆さんは、二元論的なひとつの伝統の中で生きていて、皆さんに最も近いもの、皆さんが明けても暮れても生きる世界は、もはや皆さんが自然にそして親密に結び付けられるものではありません。

 

既に皆さんは、そこから疎外された状態になっています。


 


地上の最初の頃は、極めて異なるひとつの観方を持ちました。

 

近代の目を通して確認すると、その結果人々は、あらゆる物事は他のあらゆる物事に結び付けられていると信じた、ひとつの神話的な種類の時代を生きました。

 

皆さんは、樹木、動物、植物と語ることができました。

 

そして人間ではないそういったすべての生き物は、意味深い物事の担い手達でした。


 


自然それ自体は、意味に溢れています。

 

動物達や樹々や植物達が通過したひとつの生命の流れがあります。

 

そしてそのすべては、相互に結び付けられていました。


 


しかしその一方で、またその自然主義的な観方に対する数々の不都合もありました。

 

何故なら、その価値を信じる人々は、時に今わたし達が迷信や怖れと呼ぶものの虜になることがあったからです。

 

自然と自然の背後と内部に隠された神々の力に対する怖れです。


 


それは初期のひとつの伝統だったものであり、科学、そして科学の基礎になっている合理的な考え方は、既にその伝統と決別しています。

 

残念ながら、その科学的客観的な観方は、皆さんの文化や皆さんの皆さん自身に関する認知の中で、非常に不自然で支離滅裂な分裂に通じてきました。


 


皆さんが内部から継続的に皆さんの身体を経験できるその観方がどれほど異なるものかということを、まさに考えてください。

 

それは内面でどのように感じますか?

 

それは痩せ細っている、または干上がっていますか?

 

爽快または緊張を感じますか?

 

それは楽しみまたは痛みを感じますか?

 

身体が感じるものに関する内的なひとつの不変の感覚があります。


 


正反対の観点からすると、皆さんは皆さんの身体に目を向けて、認知される身体の心象に従って永遠にそうなっていなければならないものからその身体を判断します。

 

その身体は、何が実行できて、今その発達の中でどの位置にいて、どのように見えなければならないのでしょうか?

 

身体は、皆さんに強要されるそういった外的な基準を達成するでしょうか?


 


普通、もしも皆さんが病気や疾患に対処しているなら、皆さんは、二元論に属する科学的で客観的な伝統を象徴するひとりの医者の所に行きます。

 

皆さんの悪い所、利用できる薬、皆さんが抱える疾患の型に基づいた診断内容を皆さんに伝えることができる、ひとりの医者です。

 

しかしその一方で、このすべては、皆さんの身体であるそのエネルギー場とあらゆる結び付きを持つ皆さんのことを考慮しないで、行われます。


 


またその医者は、そのエネルギー場に注意を払うことなく、そのエネルギー場と結び付いていません。

 

その医者はただ単にその症状に目を向けて、それを診断し、次に分類して、既にその医者が獲得しているさらに大きなひとつの状況に一致する内容を決定します。

 

それでその医者は、その知識に基づいた必要な処置を施すことができます。

 

同時に皆さんの身体は、持続的な合図を送ります。

 

それは皆さんに固有なものであり、時に皆さんがひとりの医者のような皆さん自身の外部から把握する一般的な基準や発想と一致しません。


 


もう一度内面から皆さんの身体に目覚めて、皆さんの身体がそれに対する皆さんの行動の尺度になることを認めることが、皆さんにとって極端に重要になります。

 

もしも皆さんが病気か、あるいは身体的な疾患を抱えているなら、皆さんは、皆さん自身の内面に向かい、そこからこうした疾患と症状に対処する方法の原理を見付け出すことが必要になります。

 

唯一その後で、皆さんは、ひとりの医者、ひとつの意見、あるいは皆さんが読むべき本のような、皆さんに役立つ物事がある可能性を持つ外部の世界に目を向けるべきです。


 


しかしその一方で、そういった外部の情報は、ただ補助的に現れるだけです。

 

最初に現れるものは、皆さんの身体との内側の結び付きです。

 

そしてそれを行うためには、皆さんはまず、その文化が皆さんに伝える内容とは違うやり方で信じることが必要になります。

 

皆さんは、ひとつの機械、意識を持たない物質というような、身体に関するすべての発想を手放すこと必要になります。

 

皆さんは、実際に皆さんの身体は皆さんの案内役になることができる、と考えるようになるべきです。

 

皆さんに数々の答えを与えることができ、それ自体の中にひとつの自然な知性を持ち、皆さんに役立ちたいと望み、神々しく触発されるものです。


 


わたしは現時点で、皆さんが皆さんの身体と親密に結び付く時間を持つことを望みます。

 

そして皆さんは、皆さんの呼吸に注意を向けることによってそれを行うことと、その息が皆さんの胸を通って流れて皆さんの腹部に入る様子を感じることができます。

 

そして次に、皆さんの注意を皆さんの脚に向けてください。


 


皆さんの意識を皆さんの両足のかかとに向けてください。

 

そして、かかとが大地に触れる姿を感じてください。

 

皆さんの両足の骨と肌だけではなく、皆さんの両足の中と周りのエネルギー場を感じてください。

 

このエネルギー場は簡単に把握できるものではありませんが、しかし皆さんが感知できるどのようなものでも役に立ちます。


 


次に、同じ気配りの意識で皆さんの両手を観察してください。

 

皆さんの両手が意識に溢れて、皆さんの注意によって知覚できるものなっていると思い描いてください。

 

皆さんの意識を皆さんの指の先に広げてください。

 

そしてその指が、単なるその物質的な姿よりも皆さんの手とってより多くの意味があることを感じてください。

 

皆さんの両手の中と周りの生き生きとしてエネルギーに溢れたひとつの存在感を感じてください。

 

それでまた皆さんは、ひとつの柔らかい穏やかな輝きを確認するか感知する可能性があります。


 


わたしはここで、皆さんの注意と意識が皆さんの身体全体を通して拡大することを皆さんが認めることを求めます。

 

しかし、これを過度に努力が必要なものにしないでください。

 

これは、ひとつの精神的訓練ではありません。

 

それは、皆さんの注意を既にそこにある物事に向けることです。


 


生きているひとつの身体は、皆さんが取得しなければならないものではありません。

 

そしてそれは、皆さんが獲得しなければならないものでもありません。

 

単純に、頭からつま先まで、すでに皆さんを取り囲むその生きている領域を感じてください。

 

皆さんのエネルギー場と身体をひとつの生きている実体として知覚し、感じてください。


 


皆さんの身体の至る所でいつもそこにあるこのエネルギーの静かな流れが、皆さんに何かを伝えることを望む姿を、思い描いてください。

 

皆さんの身体が最初に皆さんに伝えたいと思うことは、それは意識であり、皆さんに役立つことを望む生き生きとした光りである、ということです。

 

皆さんの身体は、皆さんのためにそこにあります。

 

それは皆さんに、皆さん自身を表現する能力を与えます。

 

そして身体は、皆さんに役立つものになりたいと考えます。

 

そしてもしも皆さんが痛みまたは病気で苦しんでいるなら、その時はそれが起ってしまった状況に目を向けることにしましょう。


 


身体それ自体は、いつも安定を求めて努力しています。

 

皆さんの身体の中のすべての細胞が、その目的を目指しています。

 

その細胞は、安定に向けて働き、増大します。

 

皆さんが年を取っても、そして皆さんの身体がその活力を失う時でさえ、すべての細胞は安定を創り出すことに集中しています。


 


とても優雅なやり方で、沢山の苦痛や努力を経験せずに、年を取ることができます。

 

これは、身体が遺伝的に重い負担を課せられている時でさえ、身体それ自体からできることです。

 

皆さんの身体の中には、たとえ不安定が極端なものになってしまっている時でさえ、身体が癒えてそれ自体を安定させることを許す、信じ難いほど強力で、活力あるエネルギーが存在します。


 


身体自体を安定させて癒す皆さんの身体の能力を信頼してください。

 

自然の力は、非常に強力です。

 

まさに海で皆さんの周りと太陽を観てください。

 

皆さんの身体は、生きている同じ物質とそういった天然の元素と同じ意識から構成されます。


 


まさに広大な海について考えて、その波の永遠のうねりとその運動の中の無尽蔵の刷新を、その自己浄化の力を、感じてください。

 

あるいは、雨風や日光などのあらゆる物事を持ちこたえた一本の樫の古木を。

 

皆さんの身体もまた非常に強力です。

 

何故なら、それは同じ天然の元素からできているからです。


 


さて、ひとりの人間が非常に複雑な存在であることは、本当です。

 

皆さんは、ひとつの魂として、地上の現実性の中で莫大な量の経験を積んできました。

 

その幾つかは、結果として否定的な情緒になってしまいました。

 

皆さんがそう呼ぶような、不安、悲しみ、苦痛、怒りという感覚です。

 

こうした情緒が身体に作用することがあります。

 

そして時間と共に、身体は安定を失います。


 


情緒もまた、非常に強力な力です。

 

そのエネルギーは非常に強力であり、ひとつのエネルギー水準で数々の閉塞を創り出す可能性がある場所で、身体に作用することがあります。

 

わたしが先に伝えた皆さんの身体の自覚はそこで皆さんに役立ちますが、しかしその一方でそうなってしまう理由は、身体の意識は魂をひとりの主人として理解するからです。


 


魂が持続的な怒り、あるいは一部の陰鬱な情緒を経験している時、身体は最終的にそれをその意識に吸収して、いわゆるその情緒に流されることになるでしょう。

 

その時情緒はその身体を握り締めて、疾患または病気の姿を取ることがあります。

 

身体は自然な安定状態を回復しようとして依然としてその最善を尽くしていますが、しかしもしも情緒があらゆる場所に広がり、そしてひとりの個人がそういった情緒を通して感じそれを変える能力を持たないとすれば、その結果病気になる可能性があります。


 


ひとつの病気の原因もまたいつも情緒的なものであることに注目することが、重要になります。

 

身体に最も大きな損害を創り出すものは、皆さが人生の中で経験するその情緒、皆さんが集める霊の痛みです。

 

そしてこれには幾つかの理由があります。

 

その情緒とその情緒に対する皆さんの反応についての一部の外的な判断があるのではなく、むしろそれは、身体がそれを対処する支援ができるように、皆さんが皆さんの情緒を内部から認識することが重要になります。


 


安定のために努力する皆さんの身体の自然な意識ともう一度結び付くことによって、皆さんはどの情緒が皆さんを憂鬱にしているか、皆さんを阻害しているかを見抜くことができます。


 


わたしは、今まさにそれをすること皆さんに求めたいと思います。

 

最初の頃、わたし達はいつもそこにあるその底流であるその身体それ自体の生き生きとしたエネルギー場と、そして身体の自然な知性と、結び付きました。

 

そして今、皆さんもまたひとつの情緒的な身体を持つことを、思い描いてください。

 

秘伝的な伝統の中で、身体の意識はエーテル質の身体と呼ばれてきた一方で、情緒の身体はオーラ、あるいはアストラルの身体と呼ばれ、皆さんの物質的な身体を超えて広がるものです。


 


ここで少しの間、皆さんの周りにはひとつのエネルギー場があり、そしてそれは雰囲気と情緒を変えているそのエネルギーで構成されていることを、思い描くことにしましょう。

 

この皆さんの周りのエネルギー場は、皆さんの身体からおよそ3フィート(約90センチ)外側に広がっています。

 

わたしは皆さんに、その領域について少しの物事を尋ねてみることにするので、それについて考えずに頭に浮かぶその最初の印象を持ち続けてください。


 


皆さんはそのエネルギー場の只中にいます。

 

それは穏やかな状態か、あるいはその内部に緊迫感がありますか?

 

そしてもしも緊迫感があるなら、皆さんはその緊張がそのエネルギー場の中の何処にあると感じますか、それは皆さんの前でしょうか、後ろでしょうか?

 

皆さんの注意が皆さんのエネルギーの身体の中のその箇所に向かうことを、許してください。

 

皆さんがそこで緊張を感じるのは、皆さんの人生の外的な出来事からの圧力のせいであり、単純にそれが存在することを許してください。

 

皆さんは、それを修正しようとする必要はありません。

 

ただそれがそこにあることを認識してください。


 


次に、皆さんの身体の中のひとつの目立たない静かな場所に進んでください。

 

皆さんが穏やかな状態でいる皆さんのエネルギー場の中のその場所を見付け出してください。

 

おそらく皆さんが寛いでいると感じたひとつの時間から、あるいは皆さんが歓びを感じるひとつの状況から、自然に幸せな記憶が現れます。

 

少しの間、そのエネルギーを感じてください。


 


最後に、皆さんがひとりの壮麗な天使であることを思い描いてください。

 

皆さんは皆さん自身の後ろに立ち、そして皆さんの光と翼の内部に、皆さんのオーラと皆さんの情緒の身体、そして皆さんの物質的な身体とそれが含むエーテル質の領域の、両方を包み込みます。

 

そして皆さんであるこの壮麗な天使が叡智と思いやりと強さに溢れているおかげで、その結果皆さんは、理解され、愛され、支えらえていると感じます。


 


皆さんの魂の具体化、皆さんの身体は、皆さんの一緒に物事が順調であることを望みます。

 

身体は平衡と安定のために努力し、そしてある意味で、それはまた皆さんの指針でもあります。

 

そして別の側面から見ると、皆さんを大切にし、皆さんのために無条件にそこにいる、天使の皆さんがいます。

 

この天使存在は、皆さんのさらに高い自己であり、これが皆さんです。

 

そしてその2つの中間には皆さんのアストラルの身体があり、その中で情緒が行き詰ったまたは阻害された状態になることがあります。


 


まさに今、それをそのようなものとして受け入れようとしてください。

 

まさに今、それがそうなっている状態を許してください。

 

そして、皆さんのありのままの姿に敬意を持ってください。

 

何故なら、皆さんは天使に囲まれた勇敢な人々になるからです。

 

皆さんは、皆さん自身のためだけではないとしても、皆さん自身のためにこの旅を選びました。

 

皆さんはここに現れたのであり、そして最も深い闇を目指して降下しました。

 

そのため皆さんは、大宇宙の中のあらゆる物事を担うその光を確信しています。

 

すべてを満たすその光です。


 


一本の樹の最も小さな枝や木の葉、最も小さな昆虫や草の葉は、生き生きとした光りが染み込んでいます。


 


自然の力と同時に天の霊の力を感じてください。

 

それはこの道筋の上で皆さんを支えるために皆さんと一緒にいます。

 

重苦しい情緒の雰囲気を光りと知識と理解へと変えるという路です。


 


皆さんはひとりではなく、わたし達が皆さんの直ぐ側にいます。

 

そして、皆さんの身体は皆さんの友、皆さんの協力者であり、そして天使の皆さんと一緒に、皆さんが花開く援助をすることを望むことを、忘れないでください。

 

真実となっているものを受け入れてください。

 

皆さんは勇敢であり、皆さんは成熟し、そして皆さんはひとりの美しい存在である、ということです。


 


皆さんに利用できる皆さん自身の富とその宝石の価値を、信じてください。

 

それで皆さんは、皆さんが皆さんの身体の中のさらに多くの明るいこころと寛ぎを経験することに気付くようになるでしょう。

 

皆さんのための癒しがあり、その価値を信じてください。


 


ヨシュア

Jeshua



[コピーライト] Pamela Kribbe

www.jeshua.net
“Jeshua: Embodiment,” Channeled by Pamela Kribbe, September, 2016, at www.jeshua.net

http://sananda.website/sananda-via-pamela-kribbe-september-18th/






翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。
転載される場合には、出典を明記してください。

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