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イエス : 容認は、人類の目覚めの過程のひとつの不可欠な側面 [イエス:ヨシュア]


イエス
Jesus


容認は、人類の目覚めの過程のひとつの不可欠な側面
Acceptance is an essential aspect of humanity’s awakening process.



May 13, 2016 
ジョン・スモールマン経由
By John Smallman



すべてはひとつです。

 

皆さんはそれを認識し、わたし達のすべての読者や聴衆もそれを認識し、それにもかかわらず、疑問が湧き上がります!

 

身体を持った人間として、確かに個々の人間が他のすべての人々から完全に切り離されているように見える理由は、身体がお互いと溶け込むことはないからです。

 

しかし皆さんは、皆さんの身体ではありません。

 

皆さんは、分離は実在せず、不可能であることを学ぶために、身体が提供する強烈な閉塞感と孤独を経験することを選択しました。

 

皆さんが皆さん自身の外部に愛を探し求める理由は、皆さんがそれほどひとりで離ればなれだと感じるからです。

 

皆さんの自然な状態は、神、根源、愛とひとつであり、皆さんがそれを体験できない時、皆さんは恐ろしくなって、皆さんを受け入れてくれる誰かからの愛を探し求めます。

 

数多くの人間関係が崩壊する理由は、それに対するそれぞれの当事者が、自分自身の内部でしか見付け出せないものを他の人々に期待しているからです。

 

皆さんが、皆さん自身の内部の愛と、自分自身の内部に愛を持たない人は誰ひとりいないことに気付く時、皆さんは、愛が皆さんに戻ると直ぐに愛を共有し、愛を広げることができます。

 

何故なら、すべてはひとつであり、愛は決して皆さんから離れたことがないからです。


 


皆さんが皆さん自身を愛として認識する時、次に皆さんは事実通り別の人との愛に溢れた人間関係に入ることができます。

 

しかし皆さんが皆さん自身をそのように認識するまで、皆さんは、皆さんが人間関係を確立しようとする他の誰かに対して、ただ空の器を提供しているだけです。

 

そしてその他の誰かが持つものは、ほぼ間違いなく、見返りとして皆さんに提供する空の器だけになります。

 

愛は包括的なものです!

 

しかし皆さんは、この真実に気付くことを拒否することができます。

 

そしてその拒否の中で、皆さんは皆さん自身が空の器だということに気付きます。

 

他の誰かが皆さんに提示し、従って皆さんの分離管を解消してくれることを期待する愛で満たされることを、死に物狂いで必要にしている、空の器です。

 

しかしそこに始めから分離感がある理由は、皆さんそれぞれが、怖れのせいで、死に物狂いでその他人から受け取りたいと思うものを差し控えているからです。

 

皆さんはこれを信じることを、あるいは認めることを最初は拒否しますが、しかし時が経つに連れて、あらゆる瞬間に積極的に共有された愛の欠如は、それぞれがその失敗に対して一方を非難する内に皆さんの最大の怖れが妥当だと証明されるように、その人間関係が失敗して崩壊する事態を引き起こします。


 


わたしや他の数多くの存在達が皆さんに何度も繰り返し伝えてきたように、存在するのはただ愛だけです!

 

皆さんがそれは良く分かっていると考える理由は、皆さんの信頼は、ある段階で、もしかすると数多くの段階で、裏切られてきたからであり、皆さんはそれが皆さんにもたらすその痛みで決して苦悩しなくないと決心しているからです。

 

しかし、信頼はただ裏切られるように見えるだけです。

 

愛は永遠に存在し、誠実で、率直で、癒し、共有し、情け深く、寛大で、癒しをもたらします。

 

愛が決して裏切らない理由は、そうすることは完全に愛の本質に反しているからです。

 

怖れの中で、皆さんは、陳列用に築き上げた受容性の仮面の後ろに皆さん自身を隠し続けたままで、お互いにただ皆さんの身体だけを提供しますが、しかし身体は実在せず、決して信頼することはできません。

 

大文字のYの皆さんは愛であり、そして皆さんは皆さんの身体ではなく、皆さんは身体を遥かに超えています。

 

身体は、神、根源から分離した実在しない状態を経験するために皆さんが一時的に宿ることを選択した、制限的な乗り物または器です。

 

皆さんが、根源で皆さんの終りのない永遠の在り方を絶えずそして間断なく経験する理由は、神が創り出すものは、まさにその本質によって永遠に続くからです。


 


身体は幻影に属します。

 

そして幻影の内部には、皆さんがそこで演じているそのゲームのひとつの本質的な側面があります。

 

しかし、それにもかかわらず、身体は実在せず、皆さん導くために身体の判断を用いることは、いつも失望と苦悩に通じます。

 

身体は、痛みに苦しみ、歓びを楽しむことができ、またそうしますが、しかし痛みと楽しみの両方は、皆さんの人生の道筋に沿って皆さんが身体に指示する通りに、皆さんが行う選択のひとつの結果として現れます。

 

身体はどのようなことも引き起こすことはなく、身体はただ皆さんの意志に反応するだけです。

 

そして皆さんは、皆さんが身体のために選択するものを、しばしば気付きません。

 

皆さんにとって、それは物事がただ皆さんに起るように見えますが、しかし皆さんが遭遇するあらゆる状況は、皆さんが学びたいと願う課題のために前もって調整されたものです。

 

皆さんがこれを認めないという事実がそれを変えることはありませんが、しかしそれは、皆さんが皆さんの課題を学ぶことをまさに難しいものにします。

 

何故なら、学ぶためには、ひとつの課題が提示されていることを皆さんが認める必要があるからです。


 


それでわたし達は、わたし達が呼び掛け続けている主題、つまり内面に向かうことに戻ります。

 

皆さんの外側には、答えはありません!

 

皆さんが人間として関与するそのゲームは、時に選択によって、時に偶然に、皆さんが夢中になっている皆さんの外部で起っている状況のように見えます。

 

しかし、気付くと皆さんが夢中になっているその状況を皆さんにもたらすものは、皆さんの信念と態度です。

 

もしも皆さんが判断や正しさの必要性にしがみつき、他の人々を間違っていると理解するなら、皆さんは、皆さんの公正な判断を要求するように見える数々の状況を皆さんに引き寄せることになるでしょう。

 

しかし、皆さんは判断する必要はありません!

 

判断することまたは判断しないことは、皆さんがあらゆる瞬間に行うひとつの選択です。

 

皆さんの本質は愛であり、そして愛は決して判断しません。

 

皆さんが皆さんの本質から作動する時、皆さんは判断すべきどのようなものも確認することはないでしょう。

 

そして判断がなければ、対立が起ることはありません。


 


日々内面に向かうことが不可欠になります。

 

何故なら、皆さんが自分を見詰めて皆さんの聖なる内面の聖域に向かい、皆さんのこころを開く時、愛がこころを満たすからです。

 

そして次に、その感じられた判断の必要性は、剥がれ落ちます。

 

皆さんの間には、ひとつの困難な状況の中で、時に判断的にまたはもしかすると無分別にではなく、優しく対応してこなかった人など、誰ひとりいません。

 

そしてその結果は、対立ではなく解決になってきました。

 

時にそれは皆さんを驚かせてきましたが、しかし皆さんが判断をしなくなるほど、皆さんが気付くと対立に携わっている状況はほとんどなくなるでしょう。


 


しかしその一方で、皆さんの自我は対立を望みます。

 

自我は対立のために生きます。

 

何故なら、分離は対立だからです!

 

皆さんは、安らぎを探し求めている、と主張するかもしれません。

 

そしておそらく皆さんはそれを探し求めますが、しかしただ皆さんの言葉の上だけでのことです!

 

それは、既に皆さんが、皆さんの自我が皆さんの考え、言動、そして態度に命令する状況にすることを選択していることを意味します。

 

すると直ぐに他の人々の自我が喜んで反応して、対立が後に続きます。

 

それぞれの皆さん、それぞれの自我は、最終的に傷付いて腹を立てて撤退し、相手が不当な勝者だったように見えるため、皆さんが今経験している苦悩に対してお互いを非難します。


 


苦悩は自我の選択のひとつの直接的な結果であり、人間が経験する存在状態である幻影は、対立を要求します。

 

そして、ある意味でそうなる理由は、人間として存在することは、既に分離を経験することを選択していることになるからです。

 

そして数多くの人間が、人間の在り方を現実として理解し、霊の数々の領域を実在しないもの、現実性に対処するほど充分に強くないために弱者が信じることを選択する神話の領域として理解します。


 


皆さんの自我は、実在しないものを実在させることによって、そして真の現実性を拒絶することによって、物事を要領良く引っ繰り返します。

 

人類が居住するように見える世俗的な幻影の内部で、物質ではなく、姿を持たないどのような物事も、存在せず、幻影的で、非現実的なものとして判断されます。

 

その結果皆さんは、皆さんの信念体系や皆さんの文化的宗教的な信条と一致しないものを、間違っていて必要であれば力ずくで矯正する必要があるものとして判断しながら、自我の理由と論理で問題を解決しようとします。

 

判断は、決して安らぎに通じることはありません。

 

何故なら、判断は別の人の拒絶であり、その人の見解と意見は実際に皆さん自身のものとそれほど異なるものではないからです。

 

その理由は、人々は、皆さんのように、他の人々を悪いと考えて自分自身を正しいと証明しようとする自我の要求を持つからです。

 

しかし、すべてはひとつです!

 

そして人間のこの問題の取り組み方は、間違いなく、完全に常軌を逸しています。

 

善悪はなく、あるのはただ違いだけです。


 


人類が行っているように、目覚めることは、家族、種族、国家、文化、そして政治的または宗教的な信念の間の違いは他の人々を悪者にする理由ではなく、神の聖なる家族の人々の様々な成員の間の違いを称えるための好機です。

 

神の最愛なる子供達は、完璧に創り出されました。

 

何故なら、神は無限の完璧さであり、従って神が創り出すものは永遠に変わらないため人々は完璧なままでいるからです。


 


容認は、人類の目覚めの過程のひとつの不可欠な側面ですが、しかしそれは無条件であるべきものです。

 

そしてこれほど数多くの皆さんが皆さん自身の自己受容に苦労しているため、皆さんが他の人々を無条件に受け入れることについて考えることさえとても難しいものになります。

 

皆さんは、皆さんが最も受け入れることができないことに気付く他の人々の側面を、皆さん自身に延々と指摘しています。

 

そしてそういった側面は、皆さんが皆さん自身の内部で最も残忍に否定するものです。

 

皆さんはすべてお互いに対する鏡であり、そして皆さんが確認するものと他の人々から最も強烈に跳ね返ってくるものは、皆さんが皆さん自身の中で最も称賛するもの、あるいは皆さん自身の中で最も嫌悪するものです。

 

皆さんが恋に落ちる時、その相手は皆さんに皆さんの最も称賛すべき特性を反映しています。

 

そして皆さんが誰かを嫌悪する時、その人々はしばしば、皆さんが皆さんの意識水準の遥か奥深くに埋めてしまった皆さんの最も容認できない特性だと判断するものを、映し返しています。


 


数多くの人々が今、この埋められたすべての事柄が思いがけずにその人々の意識へと外見的に表面化していることに気付いています。

 

心理学がひとつの個性の影の側面として言及するものです。

 

自分自身のために自分自身や世界に対する非常に強く効果的な仮面を築き上げてきた人々にとって、そういった容認できない考えや願望の表面化を経験することは、非常に衝撃的なものなることがあります。

 

その人々が全面的に受け入れることができないものだと判断する考えや願望です。


 


肩の力を抜いてください。

 

皆さんはひとりではなく、あらゆる人がひとつの影の側面を持ちます。

 

ただそういった恐ろしい考えや願望を認めて、それに関与しないでそれが皆さんを通して流れることを許してください。

 

それについての皆さんの怖れの部分は、もしもその部分がそこにあるなら皆さんはそれに基づいて行動するかもしれない、と皆さんが考えるからです。

 

その部分に基づいた行動が現れるのは、ただその部分が極端に虐待されてきた誰かによって全面的に抑圧される時だけです。

 

その部分は一般的に、把握された不当な扱いまたは攻撃のひとつの結果として皆さんの自我によって提供された、単なる情緒的な防衛反応に過ぎません。

 

その部分は事実通り、人間として存在する極めて普通の側面ですが、しかし子供の時、そういった考えを表現することは全面的に禁止され、結果として皆さんの中で侮辱され沈黙させられました。

 

その結果として、生き残るためのひとつの安全な環境を必要として、皆さんはそれを葬り去りました。


 


皆さんが目覚めの過程を進む時、この隠されたすべての事柄が認められ解き放たれることが必要になります。

 

皆さんがこれを行う時、この事柄は皆さんではないことが明らかになります。

 

皆さんは、ひとりひとりが聖なる変わることの無い神の子供であり、皆さんの創造の瞬間以降、皆さんがその部分にしがみ付くことを選択しない限り永遠に神とひとつです。

 

その部分に付随するどのような考え、心配、不安も、手放してください。

 

これが皆さんの雑念を払い、そして最も確実にそうなるように、皆さんの本質、愛が花開くための空間を作ります。


 


皆さんの愛情溢れる兄弟、イエス。

Your loving brother, Jesus. 



https://johnsmallman2.wordpress.com/2016/05/13/acceptance-is-an-essential-aspect-of-humanitys-awakening-process/

翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。
転載される場合には、出典を明記してください。

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