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地上の先導者 : 情緒 [地上の先導者]


地上の先導者
Earthen Masters


情緒
Emotions



3 May 2016 - 1:21pm
ペトラ・マルゴリス経由
Petra Margolis


 


今日、わたし達は情緒について、あらゆる種類の情緒について、話をしたいと思います。


 


わたし達は、皆さんが地上の全ての種を、人間と同時に動物にも目を向けて、情緒が実際にそうなっている姿を自分の眼で確かめて貰いたいと思います。


 


わたし達が数多くの動物の種に目を向ける時、わたし達は、一部は少なく、しかし一部はとても類似した、情緒の範囲を確認します。


 


数多くの人々が直ぐに経験することは、自分自身を保護しようとする強い感覚、縄張りを守ろうとする強い感覚です。


 


皆さんがライオン達に目を向ける時、実際に怒りまたは愛の情緒からではなく、たとえそういた情緒が混ざっているとしても、ライオン達は彼らの縄張りを守ろうとするでしょう。

 

それはその集団、自分達の子供を保護することを目的にしていて、時にほとんど自分自身を目的にしません。


 


愛の情緒は、自分達の子孫の保護に関連するひとつの愛以上のものであり、確実に自分達の種が生き残るようにしています。


 


怒りの情緒は、自分達の生き残りの本能を妨げようとする者達を打ち倒すためのひとつの力として用いられます。


 


動物達は自分達の情緒を明確にしません。それは動物達が、思考よりも本能に基づいて行動するからです。


 


人間は考えることができるためある意味で違いますが、しかし基本的な本能は、それぞれの人間の内部に存在します。


 


動物種は、自然な形で、食べ物の可用性と理想的な住環境に規制されますが、しかし動物達は時に何らかの方法で自分達を順応させることができます。

 

しかし普通他の種、あるいは異なる自然環境のどちらかを通して、自然が規制の主要な要因になります。


 


人間が地上にさらに多く存在して、動物達がある意味で人間と、殺される可能性がある人間と、しかし考えることができて最初に動物達を殺す方法を見付け出した人間と、自分達の縄張りを共有するように強いられた時、これが変わりました。


 


まさにこれが、動物達に影響を与えました。

 

一部はより攻撃的になろうとしました。

 

わたし達はそれを、さらに多くの怒りを表現しようとした、あるいは普通おそらく自分達の保護しようとする必要性だったその情緒が変わり、より一層強くなり、ひとつの怒りの姿に転じた、と言うことができるかもしれません。


 


動物達の基本的な本能と情緒の範囲は、自分達の普通の敵ではない物事の影響を受けました。

 

わたし達が理解できるように、それは動物達がお互いにさらに愛するようにするのではなく、お互いや自分達をさらに防御するようにしました。

 

ある意味で、数多くの動物達は、自分達が殺されないようにさらに利己的になる必要がありました。

 

動物達が普通に防御または攻撃しようとする時に、多くの場合両者は生き残りました。

 

今、人間が存在し動物達を狩猟しているため、動物達は防御できるかもしれませんが、しかしこれを行うことはまた殺されるさらに大きな機会を意味しました。

 

またそれは、動物達は自分達の種を守るために防御する際に、さらに攻撃的にならなければならなかったことを意味します。


 


言うまでもなく、数多くの種が動物達と人間の間の戦いに敗れました。


 


人間は極端なほど情緒を利用することが好きであり、自分達が感じている情緒を説明する方法さえ見付け出します。

 

人間は、愛、情熱、怒り、憎しみ、怖れのような言葉や、それ以上のものを取り込みます。

 

動物達は、自分達の基本的な本能に従い、それを定義すること無く、たださらに強い情緒を感じるだけです。


 


動物達は、決して怒りを悪い情緒と考えようとしません。

 

何故なら、その感覚だけが動物達を保護し、存続させ、自分達の種を維持するものになるからです。


 


人間は、自分達を存続させるひとつの情緒として愛を考えるため、異なる努力を行います。


 


実際には、人間に自分達の縄張り、自分達の種、自分達の信念や他の物を保護させることによって人間を存続させるものは、怒りという情緒です。


 


さて、わたし達はそれを、ほとんどの人がこう理解するように、怒りの情緒と呼びます。

 

実際に、その基礎は、わたし達をまさに動物のように行動させるひとつの本能です。


 


それは、わたし達が動物と同じだということではなく、人間が自分達と動物達とを区別するために、人間は考えることができ、動物はそうではないと区別することによって、怒りと愛を利用することが好きなことを意味します。


 


これは事実であり、今まで人間は情緒を利用して、さらに極端に情緒を探索してきました。

 

何故なら、人間は考えて気付くことができるか、あるいは情緒を説明できるからです。


 


人間は、ある意味で、生き残りの本能を抑圧してきました。

 

さらに多くの人間が地上にいて、過去に経験したような縄張りのための戦いが家の中の縄張りのための戦いになり、時にそういった人間はお互いに非常に似ているため、その種の戦いでさえさらに不可能になっているからです。


 


これが結果として、保護と縄張りのための戦いの情緒になっていて、怒りとしてさらに強く感じられる情緒に変わっています。


 


怒りの情緒の基礎は自己防衛ですが、しかし人間は色々な意味で、さらに規制されるか、あるいは動物よりもさらに規制された人生を生きます。

 

怒りは非常に強力なひとつの情緒であり、他の情緒よりもさらに強く感じることさえできるものです。

 

そしてそれは、自分に向けた怒りの情緒を感じる人々に、怖れをもたらします。


 


ひとつの怖れの感覚が、防御の基本的な本能として作動して、自分自身を保護します。

 

しかし人間は既にほとんどの場合自分達の基本的な本能を取り除くまたは抑圧してきたより一層深い支配体制を経験しているため、このように数多くの情緒を不適切と考えます。

 

これには、怒りと怖れが含まれます。


 


自分自身を保護することは、実にある意味で人が不適切だとさえ考えるようになることを目的にするものです。

 

それは、人間はさらに深く自分達の情緒または基本的な本能の抑制にまで進んでいるからです。


 


人間は、人間としての自分達の基本的な本能に従う代わりに、時に極端に走る傾向を持ちます。

 

この最も大いなる理由は、反対されてきたその支配です。

 

それは、部分的には地上のかなり数多くの人々のせいであり、部分的にはそういった地上の数多くの人間を支配しなければならないさらに大いなる必要性のためです。


 


わたし達は動物に目を向けることができますが、動物達は、人間が行っていることを決して認めようとはせず、たださらに屋根屋を重ねることによって人間が行うやり方で自分達の縄張りを共有しているゴリラのひとつの集団を思い描くだけです。

 

地上のゴリラのひとつの集団、樹木の中段部分にいるひとつの集団、そして樹木の頂点にいる別の集団について、まさに考えてください。


 


人間はこれに順応してきましたが、しかし何らかの重要性が無い訳でもありません。

 

人間の情緒はさらに極端に増えてきました。

 

そしてこれによってわたし達は、すべての情緒、愛、憎しみ、怒り、怖れ、そしてそれ以上のものを意味します。


 


もしもわたし達が小さな種族を垣間見るなら、彼らは縄張りを巡って争うことになり、ほとんどの場合死ぬまでではなく、ただ自分達の家族が食べる充分な食べ物を確保できる場所を守るだけであり、生き残るために自分達の縄張りの中で充分な天然資源を確保することです。

 

動物達は、わたし達があらゆる人を愛さなければならず、わたし達が怒ることができないでいるようなものとして、これを見ません。

 

動物達はその基本に目を向け、その愛と憎しみと同時に怖れは、大都市の中で生きる数多くの人間と同じような極端なものではありません。


 


動物達の愛はただそれだけであり、動物達はそれを定義せず、同時に動物達は実際にその怒りまたは怖れをわたし達がそれを行うように定義しません。

 

また動物達は、他の動物達の判断を利用して、他の動物達がより愛情深い、あるいはより怒っている、あるいはより憎んでいるかを確認しません。

 

情緒はただそれだけのものであり、動物達の情緒は外部の判断や支配体制によって管理されません。


 


情緒の抑制は、既に主流の発想に、ほとんどひとつの宗教になっています。

 

そしてそれは既に結果として、ストレスを感じて治療を受けているさらに数多くの人間という結果になっています。

 

ストレスは、情緒の抑制として、人間の身体に多大な影響力を持ちます。

 

何故なら、たとえそれがどのようなものでも、ひとりひとりの人間に、物質的そして精神的に、多大なストレスをもたらすからです。


 


情緒を抑制する、ただひとつの特定の情緒だけを感じるために情緒を変えることは、人間がどれほど霊的になるかどうかにかかわらず、基本的本能と、存在する人間の情緒の部分を否定します。


 


わたし達は、定義することを止め、わたし達がわたし達の情緒全域を感じることを認め始めるべきです。

 

わたし達はこのようにしてまで抑制する必要はありません。

 

そしてまたわたし達は、このようにしてまで、単なる怒りあるいは憎しみの突発を遥かに超えた場所に通じる抑圧を経験することはなくなるでしょう。

 

それと同時に、それは他の人々を判断する必要性を感じているわたし達を安心させます。

 

そして、またわたし達人間の身体を普通に流れる一部のエネルギーを抑圧する代わりに、そのエネルギーを充分に流れるようにする方が、人間の身体にとってさらに良好です。


 


皆さんは、人間性を抑圧することによって、地上で生きているひとりの霊的な存在になることはできません。

 

皆さんは、人間性を取り込むことによって、唯一ひとりの霊的な存在になることができます。


 


 


ペトラ・マルゴリス


201653


Petra Margolis


May 3, 2016

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翻訳★森のくまさま...ありがとうございます。
転載される場合には、出典を明記してください。

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