評議会:皆さんの道筋 [評議会]
The Council
Your Path
ロン・ヘッド経由
Ron's Channeled Messages
The Council
わたし達に、そしてその覆いの両側の案内者達に尋ねる最も共通した、いや、その普遍的な質問は、“わたしは正しい道筋に沿っているのか?”というものです。
その次は、“わたしは何をしなければならないのか?”というものです。
わたし達は今日、皆さんと一緒に少し時間を取って、それを明確にできるでしょうか?
わたし達がこの話に持ち込むことができる、数多くの物事があります。
おそらくわたし達は、皆さんがアブラハムと呼ぶその根源の単純な言葉で、その物事全体を答えることができます。
“あなたはまだそれを仕上げることはできず、そしてあなたそれを悪く解釈することもできない。”
しかしその一方で、そんな言葉よりもう少し話し合えることを伝えても構わないでしょうか?
まず、これからわたし達が皆さんに指摘することは、皆さんは、皆さんの現在の転生の理由と方法について決断し、決断し続けている指導霊達、教師達、霊的指導者達、そして魂の仲間達と協議しながら、そこに留まった上に今も留まっている存在達のひとつの象徴的な側面としてそこにいる、というものになるでしょう。
皆さんという存在のさらに遥かに大きな部分は、実際に皆さんが今の皆さんだと考えるその小さな物質的な身体とその限定された精神ではありません。
皆さんは、その実現に向かって成長しているところです。
そうすることが、実際に皆さんの目的の大きな部分になっています。
皆さんは、今皆さんがいる場所にいることに対するひとつの目的を持っています。
ほとんどの皆さんが、それが何かを憶えていません。
そしてそれがほとんどの皆さんにとってひとつの謎のままである理由は、皆さんは皆さんのさらに大きな部分を利用できると考えないか、あるいは皆さんは、皆さんのさらに大きな部分があるのではないかと疑問を持つことさえしないからです。
まあ、それはあります。
そして、人類の霊の側面がさらに前面に現れているため、それはより一層広範に認識されるようになっています。
例えそれぞれの皆さんが、そこで彼または彼女自身に気付く今回の旅を始めなければならないとしても、皆さんはすべてその道筋の上にいます。
皆さんが立つ場所は、その道筋の上にあります。
皆さんの次の段階は、その道筋の上にいることになるでしょう。
皆さんは他のどのような場所にもいることはできません。
別の道筋の上にいることは、皆さんに少しも役立つことはありません。
皆さんは何をしているべきなのでしょうか?
皆さんは、皆さんが最も得意で、行っていることが最も心地良く感じるものを行っていることが必要になります。
今まで皆さんは、もしも皆さんが楽しいと感じるなら、皆さんは最も良いことを行っていない、と教えられてきました。
皆さんがそのように教えられていた理由は、そう教える人々が皆さんに期待するものを皆さんが行うことを、その人々が望んだからです。
事実は、歓びの感覚と達成感、充足感こそが、皆さんの大文字の自己が皆さんに対するその導きを手にする方法です。
さて、もしも皆さんが今までそのすぐ後ろに追随していたなら、皆さんは、さらに別の方法もあることを認識しています。
わたし達が上で話したように、皆さんはこの評議会の一部です。
皆さんは、皆さんが必要とする導きや情報を持つあらゆる存在によって、絶えず導かれ、助言され、指導を受けています。
ご存知のように、皆さんが眠ることが必要なのは、その理由のひとつです。
そして、皆さんは自然や瞑想等々の中で時間を過すべきだと頻繁に伝えられるのは、それがその理由です。
一部の皆さんは、幻視、記憶、皆さんの頭の中で聞こえる叡智の言葉の印象を持ちます。
一部の皆さんは、皆さんには何も起こらないと考えます。
もしも皆さんがそうするように努力するなら、その努力は決して無駄ではないことを、わたし達は皆さんに保証することにしましょう。
しかしもしも皆さんがひとつの方法の中で最も良く学ぶ者だとすれば、別の方法で教えられることを期待していないでください。
実際に、皆さんが行うために最も効果的な物事そのものは、皆さんの感覚の中央にある皆さんの意識と一緒に時を過ごすことであり、過去(判断)または未来(心配)の中で考えることを止めることです。
皆さんはどのような場所でもそれを行うことができますが、しかし自然、ひとつの公園、ひとつの庭の穏やかさ、生命がただ生きることだけに関心を寄せる場所の穏やかさは、今後確実に皆さんを素早くさらに気分良くさせるようになるでしょう。
さて、皆さんはそれを間違って受け取ることはないとわたし達が伝えたことを、憶えていますか?
それが本当である理由は、今後皆さんと宇宙はいつも何かを学ぶからです。
皆さんの本当の質問は、“わたしが望むと考えるどのようなものが、最も速くわたしのこころを捕らえるようになるのだろう?”というものです。
それは正確ではありませんか?
また、“わたしはどのようにすれば大きな間違いをすることを避けることができるのだろうか?”、というものです。
それに対するひとつの答えが、上で伝えたことです。
別の答えは、今後皆さんは皆さんが必要とするものを受け取るようになる、というものです。
しかしわたしたちは、こう提示することになるでしょう:もしも皆さんが、皆さんが手にするものと皆さんが受け取るものに対する評価と感謝に留まるなら、皆さんは間違うことはあり得ません。
さて、皆さんは、“わたしはあらゆる物を手放して、走り去って、ひとりの(ここに好きな言葉を埋めてください)になることなんかできない。
わたしに義務はない。
わたしは食べならければならない”、と考えるかもしれません。
皆さんはほんの数分でもそれを行うことはできますか?
皆さんは、それについてさらに多くの物事を学ぶことができますか?
皆さんは、それを行う誰かをまじまじと見ることができますか?
言いたいことは分かるはずです。
おそらくそれが、皆さんが引き受けなければ‘ならない’皆さんの道筋になります。
わたし達がその言葉を引用符で括らなければならない訳を、どうか気付いてください。
わたし達が伝えたいことは、それが皆さんの学びと成長に有益なことを、おそらく皆さんは気付くはずだ、ということです。
そしてまた皆さんは、それは皆さんがその世界と共有できるひとつの才能であることに気付くはずです。
皆さん自身をさらに高い周波数のままにしておくことが、皆さんが世界に対して貢献できる唯一のものです。
妙な話ですが、それは皆さんが幸せになることが非常に役立つことを意味します。
そして、もしも皆さんが幸せになろうと決めるなら、それは皆さんがそうなることができるものです。
それは、皆さんにできることです。
そうなってください。
大いにそうなってください。
それを、人々が皆さんについて考える時に、その人々がそう考えるものにしてください。
https://oraclesandhealers.wordpress.com/2015/06/16/your-path-the-council/
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