ドラゴン:皆さんの経験は、ひとつの固有な経験 [ドラゴン]
The dragon
Yours is a unique experience
ブライアン・ザ・ドラゴン経由
Channeler: Brian, the dragon
皆さんこんにちは、わたしは龍。
Hi everyone, this is the Dragon.
わたし達は以前、この経験は固有なものだと伝えておきました。
わたし達は、それは普通に経験される物事ではないと、伝えておきました。
本質的には、極端に稀ではありません。
皆さん自身の銀河のためにひとつの数が与えられることはありません。
何故なら、直線的な時間はただ銀河の経験のひとつの部分集合であり、同じ時系列上に2つの世界が存在することを決めることは、思い描くことができるような単純なものではないため、それはそのように機能しないからです。
他の数々の文明がそこでその状態になることは、部分的に皆さんに委ねられています。
しかしその一方で、もしもひとつの数が可能だったとすれば、それはむしろ皆さんの天の川銀河の中の沢山の恒星のために小さな部分になっています。
それを必要とする幾つかの包括的な物理法則があります。
皆さんのような文明が繊細で脆弱な理由は、それがまだその文明を維持するひとつのやり方で銀河または複数の銀河に入植していないからです。
さらには、入植する数々の文明は、しばしば接触を失います。
実際に幾つかの点で、皆さんはそういった文明のひとつです。
厳密にではなく、しかしある意味で、皆さんはそうです。
皆さんが惑星地球上に転生する時、皆さんはまさに頻繁に皆さんの他の“文明”との接触を失います。
しかしその一方で、皆さんの出身の社会をひとつの“文明”と呼ぶことは誤った呼び方であり、それは皆さんが親しみのあるものです。
わたし達はこの交信の中で、3次元や5次元という一般用語を用いることはないでしょう。
何故なら、一般的ながら、それは不正確な用語になるからです。
わたし達は時にそれが極めて便利であることに気付き、その言葉の大幅な親しみ易さからそれを用います。
しかしその一方で、わたし達はその代わりに、密度の高い比較的低い振動の物質的な経験について伝えることになるでしょう。
それでは、密度の高い比較的低い振動の物質的な経験は珍しいものでしょうか?
完全にそうとは言えません。
皆さんが皆さんのさらに高い自己の今の状態のようにさらに高い振動の存在達である時、皆さんはいつでもこうした状態を創り出します。
もしかするとひとつの“日”の少しの時間かもしれず、そこでわたし達は“日”を、おそらく皆さんが日中に行うような暗喩的に同じ活動量のよう見えるものを意味します。
皆さんがこの経験に入る時、物事はエネルギーに関してある程度収縮し、そして経験の長さの把握に関して拡大します。
皆さんの地上の経験もまた、こうした物事のひとつです。
しかしその一方で、ほとんどいつも、その経験は非常に異なります。
わたし達は、その違いを説明する際に役立つひとつの言葉を持ち込むことになるでしょう。
その言葉の幾つかの使用法の中で、ひとつの典型は、何かのための理想的な型として目を向けられます。
それで、私有地のひとつの典型は、完璧な塗装、完璧な芝生、完璧な歩道等々を持つ完璧な状況の中の、一軒の家になるでしょう。
皆さんが経験するあらゆる物事は、皆さんがそれを信じるかどうかにかかわらず、思考が顕在化されたものです。
あらゆる物事が単純にひとつの典型であるひとつの経験の中で、その時思考から経験に向かうことは、非常に単純なひとつの努力です。
地上では、ほとんどあらゆる物事は不完全であり、意図的にそれ自体の装置が崩壊する余地がある程度残されています。
不完全性の本質は、明らかにするためのより多くの強烈な集中力と専念が実際に必要になり、従って、単純に典型を明らかにするよりもさらに多くのエネルギーが必要になります。
わたし達はこれについて以前に話したことがあり、そのためわたし達は、皆さんが戻って他の数々の交信を参照できるため、その細々とした詳細に立ち入ろうとは思いません。
しかしその一方で、わたし達がここで伝えたいことは、宇宙全体でほとんどの存在達が参加する多少典型的な物質的経験のひとつの味わいを与えることです。
そういった物質的な経験の中には、皆さんがそれを見る方法に左右される一連の目標、ある種のゲームつまり実験があります。
しばしば、それは一連の時間枠を持ちます。
地球の3年と同等だとしましょう。
あるいは、それは異なる経過を辿るかもしれませんが、しかしその参加者達は変わり、他の人々がその役割から離れる時に、特定の“個性”という役割を引き受けます。
何れにしても、設定された規則、そして基本的にひとつの台本があります。
自由意志に対するひとつの不自由な意志の現実性という概念が、ここで作用し始めます。
ひとつの台本が存在する時、それは自由意志のために沢山の余地を残すことはありません。
皆さんはただ皆さんの役割を選択し、それを演じるだけです。
既に皆さんが類似した種類の規則に取り組む数々のゲームを創り出し始めていることは、驚くことでしょうか?
皆さんは始めるためにそのゲームを選択したため、そのゲームの規則に従わない理由などありません。
そして他の参加者達は、皆さんの、全存在の、他の表現です。
そして皆さんは、これを認識しています。
皆さんは、本質的な物事、そしてそうではない物事を決めます。
本質的ではないどのような物事も、普通はただひとつの典型として提示されます。
もしも何かが不完全に見えるなら、その時それは意図的なものです。
何故なら、それをそのようにするひとつの必要な理由があるからです。
おそらくそれは、その経験の焦点の不可欠な部分です。
そのため、ひとつの具体例を挙げてみましょう... 人間の龍の猟師と数々の龍の両方が心霊能力を持つひとつの世界と、次にまさにある意味で多少その間に巻き込まれていて、特殊な能力を持たずに散在する典型的な数々の村を思い描いてください。
龍の猟師達は、龍達を殺します。
わたし達はここで判断を下すことはないでしょう。
それは、単なるひとつのゲームです。
龍のエネルギーとしてそれ自体を重ね合わせるひとつの霊は、ひとりの龍の猟師の役割さえ引き受けるかもしれません。
それは実際に問題ではありません。
そのゲームは、3年と等しい間続き、次にそれが終り、次に世界は消滅し、それ以上存在しません。
この世界の中のほとんどあらゆる物事が、ひとつの典型です。
数々の村は、それがほとんどひとつの夢から現れるように見えるでしょう。
城壁は、もしも皆さんが皆さんの頭の中でそれを築いていたとすれば、少なくとも一頭の龍がそれを倒壊しない限り、皆さんがそれを思い描くようなものになります。
森は茂って予測通りのものであり、そして草原は自然に見える充分な多様性を持ちますが、それでもそれは庭師達によって維持されているように見えます。
長期間または果てしないひとつのゲームの中で、時に新しい個性達がまさに完全に物質化するか非物質化するかもしれず、次にあらゆる人が“納得”し、その結果その人々はその物語に統合されます。
時に数々の個性達が、非物質化されます。
それはその点では、より地球のようになり始めます。
しかし、それは依然として非常に異なります。
通常皆さんは、生まれることはなく、従って最終的に死ぬこともありません。
皆さんは皆さんのありのままの姿について、あらゆる物事を思い出します。
それに加えて、皆さんは決してそこで“行き詰る”という感覚を持ちません。
皆さんが宇宙を隅々まで飛んでこのような世界にいつも気付くことは、かなり見込みのないことです。
それはおそらくいわゆるひとつの異なる宇宙の泡の中にあるものであり、さらに高い振動のひとつの領域の中にある一体性です。
しかしそれは、一体性が気付くことが不可能なものであることを意味する訳ではありません。
生命は、いつもひとつの方法を見付け出します。
もしも皆さんが次元間の潜在的可能性と伴にひとつの宇宙船に乗り込んで一体性気付いたとすれば、それは興味深いことではないでしょうか?
実際に、彼らの一部は以前地球を発見して既に皆さんの世界の上ですべての種類の損害を引き起こしています。
何故なら、彼らはその時の状況を理解しなかったからです。
愛と伴に
ドラゴン
With Love,
The Dragon
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