メルキゼデク : 愛による体調不良 [メルキゼデク]
Melchizedek
De-Conditioning with Love
ジュリー・ミラー経由
Channeler: Julie Miller
De-Conditioning with Love
Melchizedek’s Weekly Message ~ September 21 – 28, 2014
received by Julie Miller September 21, 2014
あらゆる個人は、比類なく異なって生まれます。
たとえ皆さんが皆さん自身へのかなりの類似性を持つ一部の親愛なる魂に気付くとしても、その人々はすべてその人々自身の固有な潜在能力、天稟、そして自然に生まれた才能を備えて現れます。
子供達が生まれる瞬間、親達は、自分自身の望みと必要性に応じて、その子供の身繕いを始めます... 親達はその子供がある特定の方法で行動するように訓練を始めます。
そして時に行われるその訓練は破壊的なものになり、不必要な苦悩を創り出すことがあります。
数多くの親達が、子供達が幼くて親達は子供達を操作できる間、子供達はその親達に奉仕するためにそこにいるという概念を持ちます。
子供達は、大切にされなければならないひとつの祝福であり、愛の贈り物です... 子供達は、無条件の愛と思いやりを実証し、その子供を成長させるだけではなく親も子供達と一緒に成長することができる、親の機会です。
あらゆる親愛なる魂が、幸せで穏やかなひとつの人生を生きることを望みますが、それにもかかわらずこの願望はしばしば満たされません。
何故なら、皆さんは繰り返される難題に遭遇し、恨みと絶望以外の何らかの物事を理解することが難しくなるからです。
皆さんの条件付けの厳しさとそれがもたらす損傷の程度に応じて、幸せと愛の探求は、ひとつの道筋の途中で、有害で潜在的に破壊的なものを簡単にもたらすことがあります。
その親達または介護者達による厳しい条件付けを受けた数多くの親愛なる魂達は、彼らが気付くどのような愛でも、それを維持することが困難に感じます。
何故なら、彼らは決して彼ら自身を愛し、彼ら自身に親切になり、他の人々を同じ愛と親切で扱う方法を教えられなかったからです。
ただ条件付きで愛する方法だけを認識する人々が、相手を傷付ける可能性がある一種の愛を供給し、共有します。
条件付きの愛は、ひとつの好みのような種類の愛であり、自負心や多くの場合自尊心に効果を発揮します。
親愛なる皆さん、皆さんの自負心の基本的な源泉は、ひとりの子供だった皆さんを世話した人々によって皆さんが考慮された方法、皆さんに対するその人々の感じ方、その人々が皆さんに対してその人々の愛を明言する方法で始まることを、忘れないでください。
もしもひとりの親自身がその親自身を尊重しない両親を持ったなら、またその親はその概念に基づいて育てられたことになり、子供として... その小さな個人はおそらくひとりの大人が受ける等しい敬意を受けなかったことになります。
皆さんが今皆さん自身について考える方法は、ひとりの子供として始まりました。
しかしそれは、もしも皆さんが現在皆さん自身を良く思わないとすれば、皆さんは変わることができないことは意味しません。
何故なら皆さんは、条件付けを取り消すことができ、皆さんは皆さんが望む個人になり、幸せと愛にあふれた皆さん自身のための人生を創り出することができるからです。
皆さんが今生きる時代は、他の人々を愛するにはかなりの重圧を受けることになるため、愛を明言する個人は、何度も愛の真の力、決して尽きることのない無条件の愛の力を過小評価してきました。
ひとりの個人として、皆さんは皆さんの子供達を愛することを期待され、子供として、皆さんは皆さんの両親または介護者を愛することを期待されますが、しかしその愛することをすべて行うことは、本当は意味を持つことを教えられる愛です。
愛が言明される時、その言葉の中に感情はあるでしょうか、またはそれはその空間を満たすための言葉でしょうか?
愛のそういった強力な感覚は、その言葉と感覚が意味するものに関する理解があり、すぐさま“わたしはあなたを愛しています”と言うような、聖なることばを投げ散らかすことがないようにする必要があります。
そして親愛なる皆さん、本当のところは、皆さんに愛することを条件付け、愛することを強要し、愛するように伝える人々は、皆さんが何度も好きになれない人々そのものです。
子供として、もしも皆さんがそういった言葉を皆さんが好きではない人々につぶやかないとすれば、皆さんは恩知らずのように見えることになるでしょう。
この種の条件付けは、若い人々の精神の形成や、そういった若い人々の精神の成人期への成長に有害です。
皆さんは、かなり愛することに焦点を当てられるおかげで、こころの真実が頻繁に危険に曝される、ひとつの社会の中で暮らします。
こころに基づいて生きること、愛のあるひとつの場所に基づいて生きることは、ひとつの強要された生き方ではありません。
それは、破壊的な幼児期の条件付けからの自由を提示する、ひとつの方法です。
それは、その個人が同じような好き嫌いを持つ他の人々に引き寄せられることを許し、自己発見のさらに深い潜在能力を展開し、育み、愛し、親切になり等々といった... その経験をもたらした、その場にある愛を育む支援をします... しかしそれは、すべてが充足感、幸せ、そして穏やかさを提示する意味を持つものです。
愛が条件付けられる時、その状況は、愛情を求める要求に基づいた、ひとつの悪意ある生き方を創り出します。
それは健康的なことではなく、そしてこころからの純粋なものではありません。
また条件を伴って現れる愛は、見捨てられるという怖れも伴って現れます。
それは、まったく愛されていないということを意味します。
条件付きの愛は、自分自身の自我の目的のために別の親愛なる魂を支配するという、ひとつの自己中心的な手段です。
条件付きの愛は、皆さんの自負心から力を奪い、劣化させて、自尊心が危機的な状態になります。
なぜなら、皆さんが行うあらゆる物事は他の誰かのためのものになり、ただその人々が皆さんを価値あると感じるかどうかという問題になるからです。
世界の中では数多くの人々が愛されることに飢えていて、自分達は価値があり、好感を持たれ、こころから愛することができることを、まだ理解していません... これを理解するためには、皆さんは数々の変化が必要になります。
皆さんが数々の変化を実行することができるようになる前に、ひとつの主要な変化、ひとつの発達あるいは深刻な状況が起ることが必要になります。
人生を変えるような数々の変更が起ることができるようになるのは、ただ皆さんが特定の生き方または存在の仕方の損失を理解するための何かが既に起っている時に限られます。
皆さんは、光が発生する場所で、より優遇され、皆さんの条件付けの鎖を断ち切るだけの価値があります。
ほとんどの人々は、過去に数々の感覚、共感、健全な人間関係を発達させる方法、あるいはひとつの家族の内部で本当の価値が意味するものについて決して教えられることはありませんでした。
しかし皆さんは、皆さんの精神を操作する方法を学び、皆さんのありのままの姿を学ぶことによって、依然として皆さんが本当にそうなりたいと望む者になることができ、そしてすべての否定的な条件付けから皆さん自身を引き離して、皆さん自身をほとんど裸の状態で理解する方法を学ぶことができます... その時、皆さんは何を理解しますか?
その答えは、皆さんです。
まさに皆さんは、新しい視線で世界に目を向ける準備が整っていて、既に人々をまさに今の人々の姿として愛する方法を学んでいます... それにもかかわらず、取り組むべき弱さがあることは認識していますが、しかし、強化と閃きに役立つ強さに意識を集中しています。
親愛なる皆さん、否定的な、あるいは有害な条件付けから皆さん自身を癒すためには、こころから育み、愛することが意味するものを把握し、無条件の親切と感謝を与えることが重要になります。
皆さん自身の精神のひとりの囚人にならずに、皆さん自身を愛で自由にしてください。
今まで皆さんが他の人々に役立つように教えられてきた状況で、皆さん自身を愛する方法を学ぶことがひとつの簡単な技能ではないことを、わたし達は認識しています。
皆さんが別の人を愛する時、皆さんは皆さん自身の一部を共有し、言葉を用いることなく、皆さんはまさにその人々の固有性を配慮し、皆さんがその人々を変えようとする願望を持たず、しかし皆さんはまさにその人々と伴に成長してお互いから一緒に学ぶことを望むことを実証しています。
愛は美しく、無限です。
愛がこころから現れる時、それは無条件であり、そのためどのような条件もありません。
皆さんが皆さん自身を癒し、皆さんの内面の自己を成長させ、そして皆さんがそうなることを望むその人柄に向けて成長する時、皆さんは成長という唯一の目的のために皆さん自身を育みながら、かつて皆さんがそうだったものよりも良くなる方向に向かっています。
そして皆さんが別の人を愛で育む時、それは同じ目的のためでありながら、しかしその経験はもはや単独で行うものではなく、それは共有されるひとつの経験になります。
妬みまたは競争はなく、ただ励まし、思いやり、そしてお互いに対する熱狂があるだけです。
親愛なる皆さん、皆さんが皆さんの無条件の愛を、非常に希少で繊細なひとつの花として共有することを望む姿を、こころに描いてみてください。
この希少な花は、成長してそのすべての色彩と素晴らしい芳香の中で適切に開花するための優しさ、愛に溢れる配慮を必要とします。
花は祝福と考えられ、微笑みと笑い声をもたらします。
そして花は、数多くの人々に感謝されます。
皆さんが別の個人を育んでいる時、この発想または概念を選択して、その人々を、気持の高まり、愛、そして配慮を必要とする、繊細な花として理解してください。
皆さんがそういった配慮で別の親愛なる魂を育む時、皆さんはまた、まさに同じように重要なものとして、皆さん自身を育んでいます。
もしも皆さんがそれについて考えるなら、ひとりの新生児もまた、一輪の花です。
彼または彼女は、それぞれの段階で純粋な愛と配慮で育てられ、育成されるようにすることが必要です。
皆さんは、その花に、皆さんは今の姿のその花以上の何かにするために育ててきたと、決して求めることはありません。
皆さんは、今の花の姿に対して、その花に感謝します。
たとえその花が一片の花びらを失って成長するか、正しい色彩で充分に成長しないとしても、皆さんはその花を損なうことなく、愛と集中した配慮でその花の世話を続けます。
若いあるいは年老いたそれぞれの個人は、感謝され、愛され、そして配慮されることが必要な、一輪の花です。
皆さんがもたらすことを目指している数々の変化、皆さんがそれに従って生きるために今まで皆さんに提示されてきた何らかの条件付けを今後皆さんが克服するために役立つ数々の変化を起こすためには、皆さんはまず、皆さんは皆さんの精神ではなく、皆さんは皆さんの考えではなく、そして最も明確にすると、皆さんは皆さんの感覚ではないことを理解し始めることが必要になります。
皆さんの精神の観察者になり、皆さんが気付くものを探索し、数々の真実を明らかにして、そして親愛なる皆さん、皆さんが皆さんの意識を成長させて、皆さんの真の自己に目覚める時、皆さんは意識であり、皆さんは愛であり、そして皆さんは、時々ではなくいつも、充分に純粋な無条件の愛と思いやりを与え、受け取ることができることを、学んでください。
皆さんが皆さん自身の観察者になる時、最小限度の注意で観察して、断定的な判断を持たずに見て、その潜在能力を探し、そして学び、成長して、好かれない部分を変える機会を探してください。
皆さんが起こすどのような変化も、皆さんによって行われ、決して他の誰かによるものではありません。
その変化は皆さんの責任であり、その責任を通してその変化を理解します。
その通り、その実行は多少厳しいものになり、皆さんは気が付くと幾つかの真実または困難に直面しているかもしれませんが、しかし今後皆さんは、さらに強くさらに豊富な知識で、その状況を乗り越えているでしょう。
皆さん自身を他の人々と比較するのは止めて、あれまたはこれになるために皆さん自身を執拗に悩ませることを止めて、皆さんになることを始めてください。
皆さんの意識がひとつの手段になるようにして、皆さんの自己全体と皆さんの周りの世界をさらに自覚してください。
怖れが、皆さん自身に対するまたは他の人々に向けた本当の思いやりから皆さんを遠ざけることを、許さないでください。
条件付けを癒して克服して皆さん自身に優しくなるためには、時間が掛ります。
皆さんが癒える時、ただ皆さんだけに目を向けずに、支援、愛、そして導きのために勇敢に他の人々に手を差し出して、わたし達に、神に、あるいは皆さんに最も近い神性に手を伸ばすことを忘れないでください。
皆さん自身を怒りの目で確認する要求を終りにして、皆さん自身を愛で理解し、皆さんの精神という監獄の扉を開き、そして皆さんのこころを通して皆さん自身を自由にしてください。
皆さんが皆さん自身を育み、皆さん自身に親切になり、皆さん自身を愛する方法を学ぶ時、皆さんが経験することができた最も重要な関係に感謝することを、忘れないでください。
皆さん自身との関係です。
皆さんが他の個人、神の被造物のひとつ、一輪の花、または皆さんに意味がある他のどのような物事を愛することができるようになる前に、皆さんは皆さん自身を愛することができるはずです。
皆さん自身を愛するためには、皆さんは、まさに皆さんの今の姿として皆さん自身のすべてを受け入れることができる必要があります。
神はまさに皆さんを支援し、いつも皆さんのためにそこにいるという内面の認識で、皆さん自身を価値ある者、敬意に値する者として理解してください。
親愛なる皆さん、神はただ一回の心臓の鼓動分しか離れていせん。
皆さんが皆さんの精神の中で寛ぐ時、皆さんが適用した無償の育成から癒えるために必要な時間を皆さん自身に与えた後で、皆さんはそこで安全と安心を感じ、次に皆さんは、皆さんの自己の傷付いた部分が皆さんの身体と精神に現れることを許すことができ、そのようにしてその部分を癒して手放すことができます。
内部に向けて意識を集中することによって、そしてその癒しの過程が皆さんの他の数々の側面、さらには皆さんの精神的そして情緒的な能力の傷付いた部分に浸透することを許すことによって、皆さんは皆さん自身に感じることを認めています。
親愛なる皆さん、内面に向かうことによって、皆さんはかつて感じたどのような痛みまたは絶望の減速を続けて、どうような感覚も減速してこれを最後に掻き消えることを許しています。
その時皆さんは、純粋で無条件な愛が、今まで皆さんが認めることを阻止して拒絶してきたすべての物事をどれほど癒すことができるかという事実を、理解することができます。
皆さんが愛して皆さんの完全な潜在能力の状態になることを今まで制限してきたすべてです。
親愛なる皆さん、皆さんはその能力を持ち、どのような苦痛に満ちた瞬間からでもいつも皆さん自身を自由にすることが必要になります。
わたし達は、皆さんが不調和な数々の感覚や情緒を手放して、それを神に与えるように働き掛けます。
神を信頼して、それを選択して、それを愛で置き換えてください。
脅えることなく、自然に、皆さんにとって完璧な速さで成長し発達することができるように、充分に皆さん自身を愛してください。
何らかの条件付けの痛みまたは何らかの虐待からの傷が既に離れる時、その結果また皆さんは、日常の暮らしに起因する追加の痛みを創り出すことを終りにします。
皆さんは、怖れ、恨み、または羞恥を選ぶ代わりに、愛、思いやり、そして感謝を選択しています。
皆さんは、皆さんの精神を、感謝と愛の考えで満たし、そして皆さんの把握はもはや歪んだものではなく、明晰さに溢れています。
条件付けと困難な状況に起因する傷を克服する過程を維持することが、極めて重要になります。
何故なら、それはさらに深いひとつの開放性をさらに遠くまで発展させるために役立ち、皆さんは皆さんの意識との関係を持ち続けるからです。
皆さんはもはや過去に生きているのではなく、皆さんは、それはひとつの天稟であるという現在の認識を受け入れています。
皆さんは、置き去りにされて不在であると感じているようなことはなく、皆さんは結び付けられていると感じながら、そして皆さんは無限の愛の貯水槽を持ち、それは皆さんの内部から現れることを感じ、そして認識することができます。
もしも皆さんがいつもこの内面の愛の源泉を疑うなら、単純に神に求めてください。
神は、皆さんのこころに戻るその道筋を、照らし出すことになるでしょう。
皆さんのこころは、永遠に神のこころに結び付けられています。
親愛なる皆さん、皆さんが育成のために、成長や変化のために皆さん自身に内部に向かい、皆さんがそうなることを望む姿と役割を学ぶ時、皆さんは、そこには事実通り素晴らしく美しい一輪の花、神のように比類のない特別な花があり、そしてその花が皆さんであることに気付きます。
今後皆さんは、この結論に達することになるでしょう。
わたしはメルキゼデク、ジュリー・ミラー経由
I AM Melchizedek through Julie Miller
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