サナンダ:自由は奉仕を求める [サナンダ・クマラ]
Sananda
Freedom Requires Service
キャスリン・E・メイ経由
Channeler: Kathryn E. May
Sananda:
わたし達は皆さんに、通貨の再評価まで毎日ひとつのメッセージを伝えることを約束しました。
そしてわたし達はすべてその通りにしてきましが、しかしある日、わたし達の親愛なる交信者が一日中外出することが必要になりました。
そのためわたし達は、昨晩のブログトークラジオの母なる神とサンジェルマンからの美しいメッセージの後で、皆さんに啓発、希望、そして歓びについてのもうひとつの覚書を伝えるために、今ここにいます。
(http://www.blogtalkradio.com/channelpanel/2014/07/17/dr-kathryn-meg-mother-god-and-st-germain)
わたし達はわたし達が一緒に計画した出来事が今展開していることを確認する時、それはわたし達にとって、大きな喜びになります。
今までその進展は一時的に中断し、進み具合が一定せず、中断によって長引くものになってしまうものになっていましたが、わたし達が70億を上回る人々に対応している時には、すべての人々がお互いに交流しながらこの劇的な出来事が展開すべき姿に関する自分自身の意見を持っているため、それはただ予想の範囲のことに過ぎません。
これが、そうあるべき姿です。
何故なら、皆さんの誰もがことごとく皆さんの契約が必要とする自由意思を持ち、そしてそれぞれの皆さんが間もなく花開く歴史的な移行に向けて一緒に進む時に、皆さん自身の魂の発達にとってその命運を左右する課題を学んでいるからです。
わたし達は、これから訪れる日々の中で実権を握るようになる指導者達である皆さんに準備をさせて、あらゆる物事に対処できるようにしようとしています。
わたし達は、皆さんが皆さん自身のこころに従うことができる独立した思想家になることを望んでいます。
わたし達は、皆さんが疑問を持ち、いつでもすべての疑問または問題に対する最も精緻で最も高い水準の解決策を探究するように働きかけます。
その通り、皆さんは今まで試されてきました。
新しい答えを探し、皆さんの人生の中のすべての選択肢を比較検討して、皆さん自身のために皆さんに適したもの、より大いなる善を提供するものを決める数々の機会を、わたし達は皆さんに与えてきました。
この皆さんに適したものを選ぶ課程は、魂の発達と個人的な成長の中で、生涯にわたる課題になります。
今皆さんが学んでいるのは、事実通り皆さんに適したもの、皆さんのこころを響かせるものは、いつもより大いなる善と一致するという、より深い課題です。
この状態になることは成熟と経験が必要であり、人生の誘惑や、いかなる瞬間でも皆さんに提供される無限の選択肢が与えられます。
すべての皆さんにとって変化するための最も大きな障害のひとつが古い怖れのパターンになっていて、それがお金についての心配と絶望というひとつの感情の中に皆さんを閉じ込めてきました。
その状況が、充分なお金を手にしていないという怖れから皆さんが大いなる飛躍と変化を起こすことを妨げました。
皆さん自身や皆さんの家族を養うための充分なお金、養うに足りる充分な労働時間、そして充分に高い賃金水準です。
皆さんはそれで、長い時間働いて依然として生き残って皆さんが愛する人々と少しばかりの時間を過ごすことができました。
それは、数多くの人々にとって、不安、満たされない希望、満たされない夢というひとつの感情で埋め尽くされた、苛酷な生活になっていました。
この有限の時間という幻影の中で、皆さんは、皆さん自身、皆さんの両親、皆さんの文化によって皆さんのために設定されたその目標を達成しようとしても、ただこの短い人生を手にするだけです。
こうした数多くの目標は、与えられた世界の状態では、非現実的なものです。
例えば、あらゆる人が裕福になることはなく、最も裕福で力を持つ者がよりその富と権力を持つという不正な制度を与えられます。
限定された資源しかない有限の体系の中で、惑星の中で最も小さな比率に入る人々を除いたその他の人々は、不利な立場に立たされています。
そして依然として、皆さんは皆さんが拡大し成長するためになんとか数々の選択肢を創りだそうとしました。
皆さんを待ち受けているわたし達が手にする繁栄プログラムは、皆さんにお金だけではなくそれ以上のものを提供するように意図されています。
わたし達は、皆さんが苦役や抑圧から皆さん自身の自由を買い戻すために役立っています。
そのプログラムが皆さんの統治体制の中の真の自由の新たな開花に結び付けられてきたのは、これがその理由です。
皆さんは、むしろ突然で、多少破壊的な変化を確認することになるでしょう。
それは、数多くの人々が、尊厳、主体性、そして自分自身の要求の自由な表現を要求する自分自身の力を感じ始めるからです。
最初に皆さんが気付くのは、どのような時でも皆さんが望むあらゆる物事を行い、話し、要求することが自由だという発想に、数多くの人々が混乱する状況です。
言うまでもなく自由とは、ただ他の人々の注目を集めるか、皆さんがたまたま嫌悪感を持つ様々な物事について大声で意見を述べるよりも、さらに複雑な存在状態です。
それは、権威を表すあらゆる物事に反抗することは含みません。
また、皆さんがかつて皆さんに中断または苦痛を引き起こしたかその可能性があるすべての人々に反対の立場を取ることも、要求しません。
それは子供の意見であり、皆さんの身体にどれほど影響を与えるか、あるいは皆さんが他の人々に対する不快感を創り出す時に影響を被る可能性がある人々にお構いなく、皆さんが望むだけ沢山のキャンディーを食べることにこだわるようなものです。
自由は、真正な自己表現と他の人々への奉仕の間の繊細な平衡状態の達成です。
その通り、わたしは他の人々への奉仕を含めます。
何故ならこれが、他の人々と一緒にいて快く生きるという状況の中で真の個人の自由を達成する、唯一の方法になるからです。
それは、個人の充足、したがって精神の穏やかさを達成する、唯一の方法です。
そのため、ご存知のように、他の人々に役立つことは、課外活動ではありません。
それは、そこからすべての高い振動が流れる泉であり、深い親切と愛の源泉です。
他の人々への奉仕とは何でしょうか?
まず、そうでないものを消去することにしましょう。
賃金を貰うために皆さんが行う仕事は、他の人々への奉仕ではありません。
しかしその一方で、皆さんが皆さんの仕事にもたらすその言動や情緒的な調子、皆さんが皆さんの行動を通して表す愛は、看護師達が薬の処方やその日の予定に注意を払うことから離れて患者達に愛と心遣いを表すように、追加のものです。
彼または彼女の生徒達を愛するひとりの教師になること、あるいは御馳走の品揃え全体に喜びと愛で微笑む料理人になること、こうしたことのすべては、他の人々に対する奉仕の行いです。
わたし達はここで、むしろ扱いにくいひとつの要素を明確にする必要があります。
皆さんが内面で憤っている時に笑顔を見せて親切を装うことは、他の人々への愛または奉仕とは見做しません。
それは単純に誤魔化しです。
ただ皆さんの幸せなこころの最も深い部分から現れるものへの配慮が、本当の感情です。
もしも皆さんが怒っているなら、皆さんは皆さん自身や他の人々にそのように話す方法を学ぶことが必要になりますが、しかしそれは別の課題です。
そうする間にも、笑顔や優しげな発言は、愛とは同じものではありません。
どちらも言葉による再確認ではなく、甘ったるい表現に過ぎません。
愛は単純であり、直接的であり、そしていつも受け手にとって心地良く感じます。
もしもそれが皆さんのこころの中で分裂、混乱、そして苦痛を創り出すなら、それは愛ではありません。
そのため数多くの皆さんが対立、不安、そして苦痛の中で育ってきたため、愛に溢れる人間関係の中でさえ、皆さんはその種の感情を期待するようになってしまいました。
最愛なる皆さん、わたしは皆さんに伝えますが、純粋に愛に溢れる人間関係の中には、胸が痛むような苦痛はありません。
また嫉妬もなく、相手を支配する必要もなく、別れあるいは見捨てられるという怖れもありません。
そういった感情もまた、幼児期の感情です。
別れまたは死の中でさえ、愛に溢れる協力者達は、真の愛の目印になる深くそして確実な結び付きを感じ続けます。
そしてその関係は、どのような物事を経ても、その感情を維持します。
わたし達が板挟み状態の自分自身に気付く時、例えば皆さんが愛してきた誰かが皆さんか別の人に皆さんの大嫌いなことをする時、皆さんはどうしますか?
数多くの皆さんが、許し、愛を送るように教えられてきました。
これは良い助言ですが、しかしそれは、最初の対応にするべきではありません。
まず皆さんは、皆さんが物理的に可能なら、この個人に対する皆さんの感情を伝えることが必要になります。
皆さんが伝えない限り、皆さんはそれについて決して完全だとは感じません。
一方的な判断をする状態にならずに、皆さんが考えることについてひとつの意見も表すことなく、その人々に伝えてください。
その代わり、皆さんが感じること、個人的な感じることを伝えてください。
その人々の行動が皆さんにどのような影響を与えたでしょうか?
例えば、その人々の悪口を言わず、微かに触れることさえなく。
“あなたがわたしから離れた時、わたしは傷付きました”という言葉は、“わたしはいつもあなたが詐欺師であることは分かっていた”、という言葉よりも、遥かに強力で正直です。
皆さんの西洋の文化の中では、悪口や言葉による虐待というとても不快な伝統があります。
自分自身を愛に溢れ、寛大な光の活動家と考える人々でさえ、他の人々に口答えするか、他の人々が深く傷付くことを口にする罠に陥ります。
最愛なる皆さん、他人のこころの状態について、あるいはその人の個性の資質、あるいはその人の内在する動機についてその人にそれを伝えて役に立ちたいとこころから望む人の人生には、そんな余裕などありません。
他の人々を査定すること、そして他の人々の価値を明白に示すことは、皆さんの本分ではありません。
わたし達が今まで皆さんに明らかにし続けてきたように、皆さんもその一部である天の集団は、条件を持たず、非難することもなく、いつでも皆さんを受け入れます。
皆さんの最も暗い雰囲気の中、あるいは皆さんの最も輝く瞬間でさえ、わたし達は皆さんを限りなく愛します。
わたし達は皆さんの逸脱を確認し、そしてわたし達は皆さんにさらに多くの愛さえも送り、皆さんが皆さんの確信を取り戻し、皆さんの怖れを克服する、その支援をします。
怒り、憎悪、軋轢、そして対立の解決策は愛であることを、わたし達は認識しています。
今日、わたし達すべてが未来のためにこころに描くことができる穏やかな解決のために、皆さんの愛をガザに送ってください。
今、わたし達はここで明確にする必要があります。
皆さんが他の人々を傷付けることを行う時、天の集団でさえ、皆さんの態度を受け入れることまたは承認することはありません。
わたし達は単純に、その破壊的な態度に背を向けることになるでしょう。
その一方で、わたし達は皆さんを受け入れます。
生きてさらに高い数々の次元に戻るその周期の中で、皆さんは皆さんが必要とするものを学ぶことになるでしょう。
そして現在の課題は、皆さんのさらに大いなる叡智の一部になるでしょう。
わたし達は罰しませんが、しかしそれは、その無垢な状態を保護する、わたし達天使の奉仕の不可欠な部分です。
こうした天使の介入はほとんど明らかになりませんが、しかしもしも皆さんがこころを開いてそれに気付くなら、皆さんはわたし達の影響力の効果を感じることができます。
親愛なる皆さん、わたし達はこの時点で、皆さん自身の言動、信念、行動、そして感情を見直して、古いすべての恨みと怖れを根絶することを勧めます。
わたし達は皆さんに、それぞれのメッセージで、それを通して皆さん自身と他の人々に目を向けるひとつの異なる窓を与えておきました。
わたし達は、皆さんがこうした古臭い方法を一掃するようにいつも皆さんに働き掛けますが、しかし今、そうすることが皆さんにとって特に極めて重要になります。
何故なら、数々のエネルギーの津波がすべての物事に打ち寄せる時、わたし達は、皆さんが飲み込まれる姿を、あるいはさらに悪いことに、無価値さまたは怖れという一部の古い発想のせいで船外に投げ出される姿を見ることを望まないからです。
今は、“屈することなく頑張る”時です。
わたし達の愛で皆さん自身を包み込んでください。
それで皆さんは、その争いの上に浮かび、皆さんの始まり確認し、波の中で溺れるよりもむしろ波と遊び、皆さんの周りの他のすべて人々に役立つ皆さんの機会に気付くことになるでしょう。
頑健なこころになり、愛に溢れる感情を差し出してください。
皆さん自身を高めて、その瞬間を超えて、皆さん自身や皆さん自身の懸念を超えて、確認してください。
他の人々が皆さんにもたらすものにかかわらず、今回の人生の中で皆さんが出会うすべての人々に愛を運ぶという、皆さんのその約束を果たしてください。
もしも皆さんが、皆さんの敵に回ってしまった人々に対してその愛の不備を充分に補うことができないなら、その時は、中立的な立場に立ってください。
非難し、罰し、あるいは反対することは、皆さんの仕事ではありません。
人生の優雅な状況に向けて、そのすべてから離れてください。
それが最終的に、すべての間違いを正すことになるでしょう。
皆さんは、皆さんの人間の能力の中で、皆さん自身の感情を明確に話すことによって、また他の人々を、特に子供達を、皆さんの能力の限り保護することによって、そして不正と不平等を助長する体制を変えるために努力することによって、正当性を守ることができます。
これは、世界に対する皆さんの素晴らしい贈り物です。
わたし達は今、その新たな日に近付きます。
黎明の最初の光が、空に輝き始めています。
闇から離れるにつれて、藍色から、最も澄んだ最も明るい夜明けの瑠璃色になります。
ご存知のように、皆さんは既に最も暗い時間の外に出ています。
純粋な愛である神の光が、惑星中に広がります。
今回の目覚めの多くは、皆さんの献身と、皆さんが今までこの惑星や他の肯定的で気持ちが高まる光の集団達のところに連れてきた、その人々のおかげです。
その覆いが薄くなっているため、わたしたちは最近の数年の中でよりはっきりと約束を果たしてきました。
しかし、今まで他の人々に対する感応の閃きになっていた充実したひとつの人生の中で皆さんの確信と歓びを維持するのは皆さんであり、皆さんの能力です。
わたし達は、困難な時期を通した皆さんの断固たる献身に対して、皆さんに感謝します。
それは、不平または疑いを持たずに皆さんが目的を貫き、いつも本能的に光へ、待ち構えているわたし達の抱擁へと進んできた、皆さんの熟達性のひとつの印です。
最愛なる皆さん、光に向かうこの道筋に沿って、歩き続けてください。
そしてわたしは、いつも皆さんの側にいることになるでしょう。
美しい詩篇23篇をわたしと一緒に思い出してください、それは、“死の陰の谷間を歩むことになっても、わたしには災いの怖れはありません。
あなたがわたしと共にいてくれて、あなたの杖、あなたの鞭がわたしの慰めとなるからです...”、と伝えています。
最愛なる仲間達、わたし達がわたし達のこころの夢、地上の平和とすべての人々の豊かさを実現させる時、わたしはいつも皆さんと一緒にいます。
わたしは愛の中で皆さんと一緒にいます。
皆さんのサナンダ/イエス
I am with you in Love,
Your Sananda/Jesus
Transcribed by Kathryn E. May, July 17, 2014, 12 PM, New York
コメント 0