ヨシュア:皆さんは、皆さんがどれほど恵まれているか、認識していますか? [イエス:ヨシュア]
Jeshua
Do You Know How Blessed You are?
ジュディス・コーツ経由
Channeler: Judith Coates
Jeshua: Do You Know How Blessed You Are?, as channeled by Judith Coates, January 2014, athttp://www.oakbridge.org| Thanks to Golden Age of Gaia.
最愛なる者、皆さんが最初に何かを創り出すことを考えた時、皆さんは皆さんの一部を、依然として皆さんの中にある皆さんに属するひとつの自覚的意識を置き去りにしました。
皆さんはそこから離れて、“わたしは創造したい。
わたしは何を創り出すことができるのか?”、と口にしました。
そして皆さんは今まで、すべての世界、すべての筋書き、今回の生涯の中で皆さんが思い描くことができるあらゆる物事とそれ以上を創り出してきました。
何故なら、皆さんは皆さんの創造性に富んだ能力を認識することを望んだからです。
最初に、皆さんの創造は愛からのもの、そして存在しているという存在性からのものでした。
次に、その後で、その創造的なエネルギーは、そこで他に存在し得るもの、愛とは異なることができるものを認識することを願いました。
そのため皆さんは、ひとつの試みを始めました。
皆さんは、“完全にわたしの創造に夢中になること、他の誰かの創造によって創造的に挑戦されることは、どのように感じのだろうか?”、という点を認識することを望みました。
皆さんは数々の転生を経験しましたが、そこで皆さんはひとつの姿、そして皆さんが考案したひとつの創造から外見的に離れている誰か、現れて皆さんの創造を破壊するか何らかの意味でそれに挑戦する誰かを考案しました。
皆さんの世界の報道媒体が皆さんに報道するように、これは依然として起っています。
しかしまた皆さんは、既に皆さんが次元上昇をしているひとつの場所に現れています。
今、次元上昇についての沢山の話題、3次元の意識から5次元の意識への移行に関する沢山の話題が取り上げられていますが、そして事実通り、その数は問題ではありません。
人々はかつて、“さて、4次元はどうなったんだ?わたしは寝ている間にそれを通り越したのだろうか?”、と口にしました。
さて、皆さんはそう口にすることができます。
皆さんがそれを定義してきたように、5次元は、皆さん自身や他の人々や世界の中で起り続けていることとの穏やかな関係に向けて次元上昇している皆さん自身に、気付く場所です。
皆さんがあらゆる物事が目覚めという壮大な目的のために起ることを認識し、皆さんが深呼吸をして穏やかさの中に留まるその場所に訪れることができる時、皆さんは、世俗的な霊の中ではなく、皆さん自身の霊の中に留まります。
そして、今後皆さんが実践する時、皆さんが今後穏やかさと許しという空間の中に存在することを繰り返しながらあらゆる物事の中に祝福を探す時、皆さんは、故郷の場所に戻り、そこにさらに長く留まることは、さらに簡単であることに気付くようになるでしょう。
皆さんはその時、次元上昇を達成しています。
さて、それについて伝えられていて、これほど非常に望まれている次元上昇は、集団意識の次元上昇になるでしょう。
それは、最終的には起るように見えますが、しかしそれは、皆さんが個人的に確認するように、ひとりの個人によって、そして別の個人によって、その人々自身の選択とその人自身の魂の時刻表に応じて、行われることになるでしょう。
そして最終的に、事実通りただわたし達の一体性が存在するという認識が表れる時、その結果集団意識は、“わたしは既に次元上昇をした。わたしは既にわたしのすべての部分を呼び集めた。
そしてわたしは既にわたしの一体性を思い出した”、と認めることになるでしょう。
そしてその時、次元上昇は意識的に認識されることになるでしょう。
皆さんは、既に次元上昇を認識しています。
皆さんはそれを感じることができます。
皆さんは、わたし達がそれについて伝えるように、それを思い描くことができます。
しかし、いつでもその空間で暮らすことは、まだ多少ひとつの難題です。
何故なら今後その世界が出現して、こう伝えることになるからです。
“その通り、しかし皆さんは数々の驚きについてどのように感じるのか?
皆さんは数々の驚きを冷静に受け止めて、それが事実通りひとつの大いなる目的に役立つことを確認することができるのか?”
あるいは、皆さんが数々の期待を持つことを、そして数々の期待は人間の光景の一部であることを今までわたしが確認してきたように、そうした期待が正確に現れない時、その結果、断定的な判断の時が訪れて、皆さんは非常に急速に判断を下そうとします。
わたしはその感覚を認識します。
ひとりの小さな者として、またわたしも数々の期待を、わたしの母、わたしの父、村の社会が行おうとしていることに関する数々の期待を持ち、そしてまたわたしがするべきことに関する数々の期待を持ちました。
しかしわたしは、そういった期待はただ一時的なものであり、過ぎ去ってゆくものであることに気付きました。
そしてわたしは、わたしがその数々の期待に応えることができたことを、理解しました。
もしかすると、もしもその人々がその方法で満たされなかったとすれば、それがより良い結果が出る方法で、その人々は満たされるようになる、とわたしは考えました。
そのためわたしは、数々の期待を持つことを諦めました。
それは人間の領域の中で行うことは困難ですが、しかし皆さんはそうすることができ、そして皆さんは、物事がそうなららなければならない姿、または皆さんがそうならなければならない姿、あるいは“人々”はそうならなければならないという大きな期待に関して、期待を持たないことで現れる、その穏やかさを感じることができます。
その大きな期待は、最も頻繁に皆さんを躓かせる期待です。
その一方で、もしもその期待が満たされない時には皆さんがどれほどすぐにその数々の期待を諦めるかということに関して、皆さん自身に金星を与えてください。
今、皆さんはそれに目を向けて、そして皆さんはそれについての感覚を持ち、皆さんはそれに関する判断を持ち、そして次に皆さんは、“やれやれ、わたしが確認するよりもこれに対してさらに多くの物事があるに違いない”、と口にします。
そして皆さんは、皆さん自身に金星を与えながら、皆さんがどれだけ速くその判断から容認の場所へ移動することに関して、測定することができます。
わたしは今まで、皆さんがこれを行う姿を確認してきました。
そこで皆さんは、何かについての非常に強い情緒を持つことができます。
そしてその結果、しばらく後で、皆さんはこう口にしている皆さん自身に気付くことができます。
“やれやれ、それはその時にわたしの手にした情報に基づいたわたしの期待だった。”
皆さんがそこから離れた場所に立つ時、皆さんはより大きな状況を確認することができます。
皆さんが実践する時、皆さんは、皆さんが皆さん自身に与えているひとつの才能によって祝福されている皆さん自身に気付くことになるでしょう。
“ほら、これは、それはそうなるだろうとわたしが考えたものよりもさらに良い”、と口にする、穏やかさという才能、容認という才能、歓びという才能です。
その時、あるいは一瞬またはその程度、皆さんは既に故郷に到着しています。
それは普通、長い間続きませんが、しかしそれは、皆さんがそれを測定できるほど充分に長く続き、そして皆さんは皆さん自身について幸せを感じ、“やれやれ、もしもわたしがかつてそれをしたとすれば、おそらくわたしはもう一度それをすることができる”、と口にします。
そしてそれは、毎回さらに簡単に現れます。
何故なら皆さんは、既に容認に関する練習と経験を積んでいるからです。
もしも皆さんがそれを許すようになるなら、これから訪れる数々の年に、かなりの叡智が現れます。
それは、充分なほどの期待が今まで皆さんが満たされるようになると考えた方法で満たされていなかった時、そして実際に今までよりも良くなるように皆さんが何かに対処しなければならなかった時に現れる、かなりの叡智です。
しかし時に皆さんは、皆さんが後からの判断に足を踏み入れて、それがすべてお互いに一致する姿を確認するまで、その良さを理解しません。
それは普通、少しばかり時間がかかり、少しばかり叡智を必要とします。
その時皆さんは、容認という空間の中に留まります。
たとえそれが最初の場所で肥料のように見えるとしても、皆さんは皆さんが創り出すあらゆる物事によって、とても祝福されます。
たとえその配偶者が皆さんに、“わたしはもうこれ以上あなたを愛さない。
あなた自身で他の誰かを探しに出掛けること”、と伝えることになるとしても、たとえそれが、異なる地政学的な集団の敵対勢力になって、おそらく皆さんがその一部になるように求められるかもしれないように見えるとしても、皆さんは一歩退いて、その代わりに穏やかさを確認することができます。
たとえその勤め先が、こう伝えるとしても。
“今はひとつの変化の時代だ。我々はこの集団の構造の中のあらゆる物事を変えているところだ。
そして我々はもうこれ以上あなたを必要とすることはないだろう。
我々はあなたを幾つかの科学技術と交換する。
それはさらに速く考えることができる。
それはさらに速く計算することができる。
それは、あなたが行うよりもさらに上手に記録を維持することができる。
従って、あなたの地位はもはやこの会社には必要ではない。”
そして皆さんの最初の感覚は、“嗚呼、何ということだ、わたしは今何をすれば良いのか?わたしは必要とされることが必要であり、わたしが金貨を必要とするのは、わたしは他の人々に金貨を払うことを約束してしまっているからだ”、というものです。
そのため、一瞬かそこら、普通はそれより長い間、皆さんが非常に創造的になる時、“分かった、わたしは他の何処で必要とされるのか?”、と理解してください。
時に皆さんは、皆さんが必要とされる場所を見付け出す最良の方法は、もしかすると金貨が与えられないかもしれないひとつの場所で奉仕活動を行うことだということを、既に気付いています。
皆さんはもうかなりの金貨を必要としませんが、しかし皆さんは必要とされることが必要です。
皆さんは役立つことが必要です。
そのためわたしは、移行の中にいる可能性がある皆さんに伝えますが、皆さんが役立つことができるひとつの場所に気付いてください。
金貨は後で皆さんのところに現れることになるでしょう。
しかし皆さんは、役立つ際に、感謝の交換、必要とされることの交換、価値があることと自尊心の交換が、以前の職業から手にしていたすべての金貨よりも価値があることに気付くかもしれません。
わたしは、数多くの人々が今、移行を経験していることを認識しています。
そこでは、数々の変化が起り続けています。
そしてわたしは、数多くの人々がこう疑問に思っていることを認識しています。
“明日は何が起るのだろうか?”
しかしわたしは皆さんに伝えますが、たとえ最初の様子ではそう見えないとしても、明日は皆さんに最も役立つものをもたらすことになるでしょう。
皆さんは後で、それを振り返ることができるでしょう。そして皆さんは、その中の祝福を確認することができるでしょう。
しばしば、祝福は極めて明白なものです。
祝福は、太陽がこれから皆さんに挨拶をする午前中のように、まさに皆さんの前にあります。
もしかすると、それは一日中外出しないかもしれませんが、しかしおそらくそれは、午前中に皆さんに挨拶を送ることになるでしょう。
あるいは、もしかすると皆さんは、日没の中のその日の終わり近くでそれを確認することになるでしょう。
そして皆さんは、今は皆さんがそれを確認する目を持つ、その美しい数々の色彩を確認することになるでしょう。
遠い昔に、皆さんは皆さんが今確認するすべての色彩を確認しなかったことを、皆さんは認識していますか?
その具象化の初期の頃、人間の姿は色彩の様々な振動を確認するようには考案されていませんでした。
そして皆さんの歴史の中で、もしも皆さんが戻ることができて、充分に戻ってそれを調査するなら、それは皆さんの科学の中の出来事でさえ、あらゆる物事は、皆さんの創造の中で、黒か白、そして灰色の濃淡に見えました。
その時皆さんの創造力の部分は、“もう少し違って見えるように、我々はどのようにすれば振動を変えることができるだろうか”、という状況でした。
そしてその結果皆さんは、今後異なる数々の振動の受容体になる目を創り出しました。
同じことが、皆さんの聴覚で起りました。
最初、その聴覚は、今のような方法に順応しませんでした。
そして皆さんは、皆さんが今でも皆さんの動物達で観察するように、聴覚が今よりもより敏感になった時期を経験しました。
しかし耳に現れるさらに多くの振動を経験することは、大きな妨害になるように感じられました。
そのため皆さんは、聴覚を少し抑えました。
そして皆さんは、もしかすると人が数々の年と叡智を獲得するにつれて、時に聴覚もまた、多くは外部ではなく内部で、人が聞くことができる場所を変えることができ、しかしそれでも、彼らはそれについて完全に幸せではないかもしれず、そしてそれをひとつの祝福として理解しないかもしれないことを、気付くようになりました。
しかしそれは、ひとつの目的に役立ちます。
現在の日々で、皆さんが確認しない多くの物事があります。
そしてまたそれは、ひとつの目的に役立ちます。
皆さんが、皆さんの周りのすべてにある数々の振動によって圧倒されないようにするためです。
皆さんは、皆さんのコンピューターという最も素晴らしい科学技術を持ちます。
それは、皆さんを兄弟姉妹達と結び付けます。
皆さんはその人々を決して物質的な目で確認しませんが、しかし皆さんは、インターネットと呼ばれるもので結び付くことができ、そして皆さんは、記述されているものによって、その個人と知り合うことができます。
無線の振動は、皆さんと伴にまさにここにありますが、しかし皆さんは、皆さんが圧倒されないように、排他性の科学技術を考案してきました。
その上、皆さんは、皆さんを取り囲む、兄弟姉妹達からの極めて少数の振動しか経験しません。
皆さんはすべて、皆さん自身の振動を生み出しています。
植物はその生命エネルギーを振動させています。
電灯は、振動を生み出しています。
皆さんは数々の振動に囲まれています。
皆さんが内面に向かい、内面の穏やかな場所に進む時、皆さんは振動に、その穏やかさの中の皆さん自身の振動比率に、気付くことになるでしょう。
皆さんは、今後音楽に波長を合わせるように、それに同調することができます。
それは、皆さん自身の主題歌になるでしょう。
そして皆さんが皆さん自身の空間であるその空間に向かう時、それは身近に感じることになるでしょう。
皆さんが既に静かな状態になっていて、既に瞑想状態になっている時、皆さんは既にこれを感じています。
皆さんは既に、皆さん自身の振動、皆さん自身の空間を感じていて、そして皆さんがそこにいる時、皆さんはそれを認識しています。
そして皆さんは、皆さんの内部の故郷であるその場所、皆さんのものであるその穏やかな場所にもう一度現れる方法を、認識しています。
皆さんが静寂の中で腰を下ろす時、皆さんは、事実通り振動するひとつの音符に等しいと考えることができるひとつの場所に訪れています。
ひとりひとりの皆さんが、皆さん自身の音色を持ち、皆さんがそこにいる時、他には何もありません。
皆さんが皆さんの空間、皆さんの音色の中にいる時、一瞬たりとも他には何もありません。
それは、その振動の中のまさにそこで、皆さんが生き、動き、皆さんという存在を経験する場所です。
そして、世界が皆さんの所に現れる時は何時も、皆さんは、皆さんの空間、皆さんだけの空間に、急速に戻ることができます。
今、“皆さんの空間の皆さんだけの空間”と語ったのは、他にその空間を共有する皆さんと同じ音色の誰かがいるのでしょうか?
もしも実際にただわたし達のひとりしかいないなら、わたしは皆さんに保証しますが、これはその通り真実です。
しかし、それはひとつの単一の音色だけではありません。
一体性として共有されるものは、すべてを含んだ広い振動の波長分布です。
皆さんは、本質的に、ひとつの音色ですが、しかし皆さんが既に組み込んでいるエネルギーとして、皆さんはひとつの振動比率を持ち、そしてそれは変わります。
人々がオーラの写真を撮るなら、皆さんはこれを確認することができます。
皆さんは皆さんの周りの振動比率を確認し、皆さんの考えでさえそれが変わる様子を確認することができます。
そして皆さんの内部の振動もまた、変わります。
皆さんはいつも非常に動いています。
皆さんが穏やかで非常に静かだと感じる時でさえ、皆さんは依然として振動を続けています。
何故なら、あらゆる物事がエネルギーとして存在するからです。
皆さんは特定の周波数に共鳴しますが、しかし皆さんは、いつもその周波数に留まる訳ではありません。
それは、一瞬毎に変わります。
それは、皆さんが誰かと話すように変わります。
皆さんが誰かに気付いて、“わたしは本当に彼女と振動している。
わたしは本当に彼女と共鳴している。
わたしはこの人を知っている、そしてわたしが彼女といる時、わたし達はまさに同調している”、と感じるかもしれません。
皆さんはその通りです。
皆さんは同じ振動水準で出会っています。
そして皆さんは、特定の人々と伴にそれを感じます。
他の人々については、皆さんがその共鳴の場所に達するまでしばらく時間がかかりますが、しかし、それは訪れます。
皆さんは、この生涯に、微かなものかもしれませんが、皆さんの一体性を認識し、皆さんの一体性を感じる機会、皆さんが最も美しい夕日に同調することを許す機会を、組み込んでいます。
皆さんは、この時期に、それを考案しました。
皆さんは、皆さんが様々な色を確認しなかった別の時期に、考案しました。
そしてわたしは皆さんに伝えます。
皆さんがまさに今夢見ることさえできない別の色彩を確認するようになる時期が、これから訪れることになるでしょう。
皆さんは、今皆さんが液体の結晶質として認識しようとしているひとつの姿の中で、移動し、流れるようになるでしょう。
流れながら振動する美しい液体の結晶質です。
わたしが液体と言う理由は、それが流れるからです。
皆さんは、炭素基から結晶構造基に変わることになるでしょう。
それは既に進行中です。
時に、皆さんが少し奇異に感じる日々が訪れますが、その理由は、物事が変化しているからです。
皆さんの外部ではなく、皆さんの内部です。
それは漸進的なひとつの過程ですが、それでも、時にそれを急がせることを望む人々がいます。
そしてその人々は、自分達を変化した状態に置く様々な物質を利用し、それはちょっとした混乱を創り出す可能性があります。
それは、非常に密度の高い炭素基だったものから、わたし達のような神聖なる霊として流れるもの変えようとする、その人々の試みです。
皆さんは、皆さんが今まで皆さんの周りに置いてきたすべての自然によって、祝福されます。
皆さんは、皆さんの支援が現れるその山に目を向けます。
皆さんの支援は、高いところ(より高いひとつの意識)から現れ、そしてその山々は、皆さんに対してそれを示します。
皆さんが皆さんの目をその山々の頂に向ける時、それは皆さんが皆さんの意識の中でさらに高く昇ることを許し、そして皆さんがその山の頂にいることができ、皆さんは山頂の皆さんを見ながら渓谷の中にいることもできて、それはすべてひとつであることを認めています。
皆さんは、身体と身体の振動を円滑にする流れる水と水の幸福を持ちます。
皆さんは流れる水と、水の中で生きる生き物達、とても美しく泳ぎ飛び跳ねる魚を持ちます。
皆さんは、皆さんが呼吸するために必要な貴重な酸素を皆さんに与える、樹木を持ちます。
皆さんは、樹木が花や葉になり始める時に樹木に注目し、皆さんは葉の色が変わる時に樹木に注目し、そしてその葉は、穏やかに舞い散ります。
そしてその時皆さんは、次の季節にはそれが戻ってきていることを、認識しています。
新しい葉、新しい生命の拡張です。
皆さんは、数々の奇跡に取り囲まれています。
皆さんは、付き合うことが最も難しい人を、愛することができます。
そしてそうする中で、皆さんは、皆さんが持っているとは認識しなかったひとつの能力を認めます。
皆さんが好きですらないものを愛する能力です。
“しかしわたしは、あなたを愛し、あなたを許すことができる。
わたしはあなたを好きになる必要はなく、そしてわたしはあなたのいる所にいる必要はない。
しかしわたしはやはりあなたの前途を祝福する。わたしはやはりあなたを愛す。”
その時皆さんは、“ほら、もしもわたしがその個人を愛することができるなら、わたしは今まで認識しなかったさらに大きな愛の能力を持つはずだ。
もしかすると、結局わたしはそれほど締め付けられていないかもしれない”、と気付きます。
そしてそれと伴に、ひとつの目覚めが現れ、そこで皆さんは、“ご存知の通り、もしもわたしがそれを行うことができるなら、他の人々もそれを行うことができるかもしれない。
もしかすると、世界の中に愛があるかもしれない”、と自覚し始めます。
そして皆さんは、愛があることを認識します。
わたしが十字架に釘付けにされた時、わたしは兵士達、百人隊長達がその仕事をするのを確認しました。
彼らのすべてがそこにいることを望んだ訳ではありません。
彼らのほとんどは、起こっていることが好きではありませんでした。
しかし、世代的な教えのせいで、彼らは彼らに期待されていることを行いました。
彼らの魂の奥深くでは、それは彼らが行うことを望んだものではありませんでした。
兄弟姉妹に拷問を加え、怖れを創り出すことです。
それはその時、彼らが彼らに権力をもたらすと考えたものです。
そのため、十字架から、わたしは彼らを愛しました。
何故ならわたしは、彼らが認識されていない愛であることを確認することができたからです。
彼らがまだ表現していない、その認識されていない愛です。
そして彼らは彼ら自身のために他の生涯を生み出したため、わたしは、今後の転生の中で、それを皆さんと共有することになるでしょう。
彼らはその愛を実現し、彼らの気持ちを声に出すことができました。
彼らがその生涯の中で行う特定の仕事に就いた時、彼らは彼らが自由に話すか感じることができるとは感じませんでした。
皆さんは、皆さんが今まで皆さん自身に提供してきた数々の才能、幸福に取り囲まれています。
皆さんは今まで、“わたしは創造するだろう”、と口にしてきました。
そして、愛とは異なるものを創り出して、それほど心地良くないことを経験してきました。
皆さんは、こう口にしてきました。
“今、わたしは、愛に溢れるもの、胸を躍らせるもの、わたしが拡大してわたしという存在のすべてを理解し始めることを許すものを創り出すことにしよう”。
皆さんは刻一刻と皆さんの現実性の立体映像を創り出していて、そして皆さんは刻一刻とそれを変えることができます。
皆さんは、これほど恵まれています。
皆さんが皆さんの数々の可能性と数々の確率と、皆さんがその科学技術から生み出す数々の現実性を認めるためにそれが利用される時、皆さんは、すべての自然に、すべての科学技術に非常に恵まれています。
皆さんは、皆さんの自覚的式の中にあるあらゆる物事に恵まれています。
皆さんの立体映像を、美しいものにしてください。
皆さんの立体映像を、皆さんのこころと共鳴するものにしてください。
皆さんは恵まれています。
そうあらしめよ。
Blessed art thou. So be it.
http://lightworkers.org/channeling/194248/do-you-know-how-blessed-you-are-jeshua-judith-coates
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