ヨシュア:闇のふたつの種類 [イエス:ヨシュア]
Jeshua
Two Types of Darkness
パメラ・クレーバ経由
Channeler: Pamela Kribbe
Tuesday, 8 October, 2013?
親愛なる仲間達、わたしはヨシュア、この午後を皆さんと共有し、単純に愛と統合のエネルギーの中で一緒にいることが大好きな、ひとりの古い友人です。
皆さんは極めて頻繁に地球上の人生の中で漂って道に迷ったように感じるため、この話しは、皆さんがこれほど強く願うものです。
わたしは今ここにいて、皆さんの内部で、皆さんの魂の中で生きる真実を、皆さんに気付かせます。
それは裸眼では観察できず、そして皆さんが多忙で皆さんの数多くの活動や義務や責任に深入りする時には、皆さんは頻繁にその真実と遊離します。
どうか少し時間を取って、静かになり、そういった外部のすべての圧力から離れてください。
皆さんの内部の奥深くの静寂を、感知してください。
皆さんのこころの中のその静寂は、ひとつの虚空ではなく、もしも皆さんが日々の暮らしの喧騒から一歩退くなら皆さんが唯一感知することができる、ひとつの完全な存在感です。
わたし達は今日ここにいて、皆さんが皆さんのありのままの姿を思い出すように、そして皆さんのこころの中の完全な静寂で皆さん自身を再び活性化するように、一歩退きます。
これは、皆さんが再び生き始めることを可能にしますが、しかし今はより簡単で多くの歓びが伴います。
人生は、時にひとつの戦いのように見えますが、しかしそれは、そうなるように意図された姿ではありません。
皆さんは本質的に、皆さん自身を経験し、光り輝く光の天使達としての皆さんの強さと皆さんの美しさを思い出し、そしてその光を他の人々と共有するために、今ここにいます。
それをすることによって、皆さんは地球上で寛ぎを感じることになるでしょう。
人生は再び単純になり、簡単で歓びに溢れるものになるでしょう。
そのため、わたしと伴に内面に向かい、皆さんがそこから現れたその根源を思い出してください。
不滅で永遠の光であり、絶えず動き、変化しながら、新しい数々の姿を選び、そして依然としていつも分裂せずにひとつです。
皆さんはその流れの一部であり、そして実際に、皆さんに対して何も引き起こすことはできません。
皆さんは、皆さんの地上の身体の中に宿っている今でさえ、安全です。
皆さんは、葛藤と対立によって支配されているように見えるこの世界の中でさえ、安全です。
わたし達は今日、光と闇について、そして闇に光をもたらすことについて、伝えます。
そして闇とはなんでしょうか?
それは、ひとりの人間としての皆さんの中で、抵抗を誘い出すものです。
誰ひとりとして、闇を経験することは望みません。
誰ひとりとして、痛み、悲しみ、あるいは怖れに苦しむことを望みません。
それにもかかわらず、それはわたし達の人生の一部です。
それでは、何故その闇はそこにあるのでしょうか?
人々は、この質問を何世紀もの間尋ねてきました。
今、まず第一に、多くの物事が、皆さんがその質問を尋ねる姿に依存します。
皆さんはひとつの開放的な態度からその質問を尋ねるでしょうか?
“何故闇はそこに在り、何故これがわたしに起り、わたしはそれに対して何をしなければならないのか?”
あるいは皆さんは、怖れ、怒り、そして抵抗からその質問を中断しますか?
“いったい何故その闇はわたしの人生の中に在り、そしてどうすればわたしはその闇を打ち砕くか回避することができるのか?”
後者の質問が表現する、その絶望と抵抗を感じてください。
そして皆さん自身の内部のそういった情緒を認めてください。
何故なら、それは闇と感じるもの、不健全または困難を感じるものに抵抗する、人間のひとつの反応になるからです。
ひとりの人間としての皆さんに対する最も深い難題は、皆さんが最初に受け入れることを拒絶したその状況に“その通り”と伝えることです。
皆さんがどのような代償を払っても回避することを望むものに対して、“その通り”、と伝えることです。
闇の姿で皆さんの人生に入ってくるものに対して“その通り”と伝えることは、大いなる内面の強さが必要になります。
もしも皆さんが理解することができるその強さに気付くことができず、そして皆さんが“いいえ”と口にするなら、皆さんは、起ることに反対して、硬直化します。
そしてその闇はさらに深くなり、その絶望は高まります。
人生の中には、実際に2つの種類の闇があります。
最初の闇は、皆さんの人生の中の道筋の上で皆さんに起る外部のものです。
それは、皆さんが愛する誰かからの離婚、最愛の人の喪失、病気または事故、皆さんを深く苦しめる何らかの物事になり得ます。
ひとつの危機、ひとつの主要な挫折です。
わたしはこれを第一の闇と呼ぶことにします。
そして次に、それに対する皆さんの反応、皆さんの情緒的な反応があります。
あらゆる人間が、当初は運命に抵抗し、闇を激しく非難する傾向があります。
しかしもしも皆さんが皆さんの抵抗を維持して閉じこもり、皆さんの人生の中で起り続けているものについて批判することによって“いいえ”と言い続けるなら、その結果ひとつの追加の闇の階層、二番目の種類の闇が存在します。
わたしはこれを第二の闇と呼ぶことにします。
それは、第一の闇を取り囲みます。
第一の闇は、皆さんをひとつの強烈な深い情緒の水準に連れて行きます。
皆さんの人生の中で、多くの悲しみ、怖れ、そして痛みをもたらす何かが起ります。
そして皆さんがそういった情緒を経験する時、皆さんは非常に活き活きとします。
人生は、雷鳴轟くひとつの波のように、皆さんを通して流れます。
皆さんは、これが起ることを許すことができますか?
深い情緒の負荷が皆さんを襲います。
それは、皆さんを墳慨させます。
そしてその結果それは、その経験の中には今後皆さんを何処かに連れて行くものが存在することを信頼するための強さを皆さんが持つかどうかという、ひとつの疑問になります。
たとえわたし達が人間として頻繁にその意味を理解しないとしても、人生が意味を持つことを皆さんが信頼することです。
絶えずさらに強い言葉でそれを口にすること、皆さんの魂がこの経験を積むことを既に選択した可能性があることを受け入れること、おそらく隠されている何かを表面化すること、癒しが必要なことを皆さんが認識しなかった何かを癒すことです。
皆さんが強い数々の情緒で行く手を阻まれる時、次にひとつの選択の瞬間があります。
容認と帰順、あるいは抵抗と遮断です。
“いいえ”と口にすることを望むのは、最も人間らしいことです。
それは間違っているとわたしは言うことはありませんが、しかしそう口にすることで、皆さんは既に存在するその闇に、余分な闇の層を置くことになるでしょう。
わたしはこの層を“第二の闇”、二番目の種類の闇と呼ぶことにします。
この闇は、内部から現れます。
それは、第一の闇に対する皆さんの反応です。
もしも皆さんが“いいえ”と口にすることに固執するなら、皆さんの情緒の流れは停止し、皆さんは行き詰ることになるでしょう。
“いいえ、わたしはこれを経験することを望まない。わたしは拒否する。
わたしはそれを受け入れることはできない。”
もしも皆さんがそう言い張るなら、皆さんは恨み、怒り、そして苦汁に溢れることになるでしょう。
こうした気持ちは実際に情緒ではなく、それは皆さんの内面の情緒の自然な流れを凍結する判断です。
第二の闇は、生命力が皆さんを通して流れることを妨げます。
皆さんは数々の壁や防御を築き上げます。
結局これが、深い絶望、疎外感、そして抑鬱のような、闇の重苦しい姿を皆さんに引き寄せます。
皆さんが鬱状態になっている時、生命力の流れはほとんど停止しています。
皆さんは、内面で死を感じます
人生はいつも変化にさらされます。
もしも皆さんが基本的な水準で生命を信頼するなら、人生は新しい誕生のために、本質的に成長と癒しの可能性を維持します。
しかしもしも皆さんが“いいえ”と口にすることに固執するなら、皆さんはその可能性を遮断します。
皆さんは、人生はそうなるべきものとしてあるのではない、と主張し続けます。
そして皆さんがこのように人生を判断するため、皆さんは皆さん自身を人生から引き離します。
このようにして皆さんは、人間が経験することができる最も深い闇に到達します。
それは人々の最も深い闇の水準をもたらす第一の闇(外的な状況)ではなく、第一の闇から現れる数々の情緒を受け入れることの頑固な拒絶です。
これが第二の闇です。
内面の硬直化、皆さんの感覚の特質の遮断です。
人はどのようにしてこの種の闇に光を持ち込むのでしょうか?
もしも誰かが最初の種類の闇に到達して、とても悲しく、不安で、苦しくなるとすれば、皆さんはまだその人々に手を差し出すことができます。
彼らは依然として生きていて、彼らの身体と精神を走り抜ける情緒と触れ合っています。
そして彼らは彼らに起り続けているものの背後の意味を積極的に探し求めます。
この個人は、たとえ彼らが非常に深刻な状況に直面しているとしても、心理学的な観点からすると依然として健全で健康です。
第一の闇に取り組んでいるひとりの個人は、慰めと思いやりが必要であり、そして彼らは別の人からの愛に溢れる身振りを受け止め、感謝することができます。
彼らは依然として非常に活動的です。
しかし、自分達の受け入れの拒絶に固執し、“いいえ”と言い続ける人物は、愛を受け取ることから隔絶する、ひとりの個人です。
彼らは、自分達の内面の光に対してだけではなく、他の人々を通して他の人に現れることを望む外部からの光に対しても、遮断します。
それは孤独であり、それは道に迷っている状態であり、それは地上の地獄です。
そしてひとりひとりの皆さんが、内面からこの地獄を認識していることを、わたしは皆さんに伝えます。
もしかすると皆さんはそれを余り自覚していないかもしれませんが、しかしほとんどの人々にとって、ひとつの遮断の過程は既にその幼児期の間に始まりました。
皆さんは、ひとりの子供が世界の中で自発的で抑制されずに立つ姿と、子供達の情緒が簡単に流れる姿を認識します。
こうした情緒は、しばしば急速に子供達の存在を通過します。
何故なら、築かれた障害物や閉ざされた門が存在しないからです。
ほとんどの場合、活力がひとりの子供へ自由に流れ込みます。
言うまでもなく例外がありますが、それは一部の子供達が幼児期の初期または過去の数々の人生からの重荷を携えているからです。
しかし皆さんは、わたしが指摘している要点を把握しています。
ひとりの子供になることは、比較的開放した状態になることです。
ひとりの子供が活動的で自発的な理由は、子供はその他の状態になることができないからです。
子供はまだ、大人が行う方法で子供自身を抑制する方法を学んでいません。
しかし皆さんが成長するにつれて、皆さんは皆さんが対処する方法を認識しない数々の情緒を経験し始めます。
困難な情緒を敬遠するように、社会が人々を訓練します。
このようにして、皆さんの周りの大人達は、皆さんがそうした情緒を理解する支援をせず、それに就いて話すことを避けます。
ほとんどの皆さんが、ひとりの子供として困惑します。
皆さんは、皆さんが奇妙で普通ではないと考え始めます。
もしかすると、ひとりの子供としての皆さんは、依然として閃き、熱意、愛、数々の夢に溢れていましたが、そうした夢は、苛酷な現実性に突き当たります。
皆さんは、皆さんの家族環境の中や後の学校や皆さんが出会う人々の中に存在する数々の怖れと偏見を受けて、皆さんの感覚の特質に逆らって数々の障壁を築き始めます。
数々の扉が閉まります。
そしてこれは、頻繁に無意識の内に起ります。
しかし一部の皆さんは、それをひとつの古い悲しみとして思い出すかもしれません。
皆さんが、皆さん自身の内部のその子供、皆さんの自発性の象徴に気付くことができるかどうか、確認してください。
社交的で、遠慮せず、活動的なひとりの子供、経験としてそれ自体として存在するものに対して“その通り”と口にする者です。
皆さんは、歓び、満足、そして楽しみに対して“その通り”と口にする誰かを確認することができますか?
その内部の子供が皆さんのところに現れることを望んでいる姿を、思い描いてください。
その子供は、今もそこにいます。
空間と時間は幻影です。
内面の現実性の中では、今まで何も失われていません。
皆さんの最初の生命力の流れは保存されていて、今でも皆さんに参加することを望んでいます。
少しの間、ひとりの笑顔の子供が開放的な態度で皆さんの所に訪れている姿を、思い描いてください。
皆さんの想像の中で、その子供がこう話す声を聞いてください。
“あなたはわたしが誰か憶えている?”
その子供に目を向けて、皆さんがその子供のためにできることを尋ねてください。
その子供が成就の確認を望むひとつのこころの望みがあり、それは、皆さんが長い間遠ざけてきた可能性があるものです。
少しの間、その子供に話をさせてください。
その子供は皆さんの中の“その通り”を、生きることを望む皆さんの部分を、表します。
そのため、その子供に話をさせてください。
ひとりの子供は、今もなお信頼を保有します。
皆さんは今まで、怖れと不信に溢れた数々の発想を吸収してきました。
そしてそれが、人生に対して“いいえ”という発言を提供し、皆さんの中の第二の闇、二番目の種類の闇に貢献します。
皆さんが今皆さんの創造の中で第二の闇に姿を与えることができるかどうか、良く考えてください。
生命力とは正反対の、皆さんの部分です。
それはもはや痛みを経験することを望むことはなく、実際に今回の人生から逃れることを望みます。
皆さんは、皆さん自身のその内部の硬直化と収縮の要素を、感じることができますか?
皆さんは、物質的にそれを感じることができますか?
あるいは、もしかするとそれに関連するひとつの色を確認することができますか?
皆さんの中に、とても疲れてもはや生きることを望まない部分があります。
何故ならその部分は、今まで余りにも多くの痛みと葛藤を確認し、経験してきたからです。
その部分の重さを感じてください。
皆さんは、それに対して、“その通り”と言うことができますか?
それを瞬時に変えようとしないでください。
それがどのように起ってきたかを、理解しようとしてください。
生きることに気が進まないと言う理由によって、誰も故意に自分自身を遮断しません。
それは、絶望の属する行為です。
それは、生きるための別の方法があることを認識していない状態であり、皆さんに遮断の反射、収縮の反射、“いいえ”という発言の反射を残します。
わたしは、皆さんの人生の中の第一の闇に対してただ“その通り”とだけ口にすることを求めている訳ではありません。
困難な数々の出来事、病気、痛み、苦悩、あるいはそういった物事です。
またわたしは、第二の闇に対して、悲惨な出来事の結果として人生からそれ自体を遮断してきた皆さんの内部の闇に対して、もはや人生を経験することを望まず、人生を拒否する闇に対して、皆さんが“その通り”と伝えることを求めます。
そして皆さん自身の内部のその部分に手を差し出すためには、皆さんは非常に穏やかになることが必要になります。
何故なら、強要と強制はそこでは機能しないからです。
それは、光の本質です。
光は、闇に向かって流れることができます。
この光は、あらゆる隅々に到達することができます。
何故なら、その光は断定的な判断を携えないからです。
その光は、“嗚呼、これはだめだ、わたし達はこの防御またはその閉塞を破壊しなければならない、何故なら、生命力がもう一度流れることが必要になるからだ”、と口にすることはありません。
その光は、決してそう口にすることはありません。
その光は、単純に、“わたしは理解する”、と口にします。
その光は、こう口にします。
“それはあなたにとって非常に困難なものでした。
わたしはそれを確認することができます。
わたしは、あなた他が今まで制限してきた姿、あなたが今まで皆さん自身を遮断してきた姿、その収縮が最終的に皆さんを疲れさせ、空虚にしてきた姿を、理解することができます”。
光は穏やかで、滑らかです。
光は、最も深い痛みや苦悩、そして最も硬直化した人間の魂に浸透することができます。
わたしはもう一度、皆さんがその光に対して皆さん自身を開くように求めます。
もしも皆さんが皆さん自身の内部のその意欲に気付くことができなければ、そしてもしも皆さんがその開放性を感じてその“いいえ”を手放すことをしないなら、その時はそれがそうなることもまた許してください。
何故なら、その光はいつもそこにあるからです。
その光は、絶望がこれほど深くて皆さんの内部でこれ以上の光は存在しないと皆さんが感じるその瞬間でさえ、皆さんと伴に存在します。
その光は、そういった時期の間、そして皆さんが全体的にその光との接触を失い、決して再びその光を確認することを期待しないそういった状況の中でさえ、そこに存在します。
その光は皆さんの物ではなく、全存在に属することは、事実です。
宇宙全体、そしてすべての創造は、光です。
あらゆる物事は、光が染み込んでいます。
その光がそこに在ることを認識して、皆さんの生命力を信頼してください。
皆さんが信頼と帰順に対するひとつの小さな開放でも皆さんの人生に入ることを許すとすぐに、皆さんはその扉を少し開いています。
闇夜の間でさえ、皆さんの魂は何時も皆さんの近くにあり、光と慰めと伴に皆さんに手を差し出していることを、皆さんは認識します。
その扉はひとつの小さな隙間が空いているだけとはいえ、その光はその隙間に気付くことになるでしょう。
皆さんは、それが起ることを許すことを除いて、何もする必要はありません。
その光は皆さんと伴に在り、人生は皆さんと伴に在ります。
最終的に、人生に対する皆さんの“いいえ”は、それ自体を維持することはできません。
わたしは、皆さんがその光に帰順することを求めます。
そこでは光は、皆さんの人生の中の数々の困難に対して“その通り”、と口にすることだけではなく、また “その通り”と口にすることについての皆さんの問題や、皆さんが皆さんに無防備で脆弱だと感じさせる深い数々の情緒に対して築き上げた抵抗に対しても、“その通り”、と口にすることを意味します。
もう一度、ひとりの子供のようになってください。
活き活きとしてください!
あらゆる物事に対して、“その通り”、と口にしてください。
皆さん自身を思いやりと理解で包み込んでください。
これを行いながら、皆さんは皆さんの人生に流れを運び、そして皆さんはそれを行うことができます!
わたしは、皆さんの強さを確認します。
ひとりひとりの皆さんの中に、意識のひとつの光彩が、ひとつの輝く光の光彩があります。
わたしは今ここにいて、皆さんにそれを気付かせます。
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