クートフーミ:実存の在り方 [クートフーミ]
MASTER KUTHUMI
THE EXISTENCE OF BEING via Nathalie Glasson
ナタリー・シアン・グラッソン経由
Channeler: Natalie Sian Glasson
THE EXISTENCE OF BEING BY MASTER KUTHUMI
~Channelled through Natalie Glasson-
www.omna.org - Sept. 5, 2013
最愛なる皆さん、わたしはキリストの黄金の光を皆さんという存在まで延ばして、皆さんが維持するその美しさ、愛、そして光度に光を当てます。
わたし達はすべてキリストのエネルギーであり、わたし達という存在の内部の創造主のキリストの側面を保有します。
これは、わたし達はすべて意識を持つ愛の存在であり、意識的に創造主として存在するすべてと意識的に同調し、連携していることを象徴します。
皆さんはそれぞれの日に、皆さんは目覚めて地球上のひとりの意識的な愛の存在になり、創造主として存在するすべてと同調し連携するという完全な承認を、皆さん自身に与えますか?
意識的な愛が要求され、皆さんという存在の内部に存在して経験されるこのキリストの黄金時代の中で、今は、皆さん自身が、皆さん本来の美しい存在になり、そして皆さん自身をそのように経験することを認める時です。
そこには意識的な愛があり、これからはいつも、流れ、目的、真実、自覚、明瞭性、癒し、そして神聖なる経験が存在することになるでしょう。
今は、皆さん自身に、地球上のひとりの意識的な愛の存在として存在する承認を、意識的に与える時です。
愛の数々の活動、反応、複雑な絡み、そして顕在化を見逃さないでください。
これは、すべての高位の霊的指導者に共有されているひとつの神の摂理であり、そのためわたし達は、同じものを皆さんと共有して、皆さんに皆さんの神聖なる権利を気付かせるように働き掛けられています。
その権利は、皆さんが皆さんの現在の物質的な現実性の中で獲得し、受け入れることが不可欠なものです。
わたし達は、皆さんがより完全な経験と顕在化のために、皆さん自身の神聖なる自己を受け入れて、意識的な統合に留まり、皆さんの神聖なる自己と融合することを勧めます。
皆さんは、皆さんの霊の旅に向けて目覚めることに関する、皆さんの最初の経験を憶えていますか?
皆さんは、皆さんが作った結び付き、皆さんが受け取った理解、皆さんが解き放った痛みを憶えていますか?
そうした経験は、皆さんがそれを自覚してもいなくても、皆さんの物質的な現実性の中で毎日続いています。
皆さんが創り出すそれぞれの霊的な経験または自己探索の経験には、ひとつの目的が存在します。
その目的は、皆さんが皆さん自身に、皆さんの神聖なる自己の中の存在し、その自己として存在するように求めていて、そしてまた、皆さんの意識的な愛の中とその愛として存在し、そして創造主の中と創造主として存在することを求めています。
皆さんが瞑想する時、皆さんは皆さん自身に求めていることは、皆さんの身体、物性、霊の本質または魂の自覚と伴に、皆さんという存在の内部のその穏やかさの中に存在し、その穏やかさを経験することです。
皆さんは、皆さんという存在のすべてと、皆さんという存在の内部で起こり続けているすべてを意識するための時間を皆さんが取れるように、皆さん自身に進む速度を落とすことを求めています。
皆さんの完全なエネルギーは、頻繁にひとつの実存として分類されます。
これは皆さんに対して、皆さんが皆さんのエネルギー全体のさらに巨大な自覚の中にいる時、皆さんは存在しているという事実を、象徴し、描写しようとしています。
皆さんは意識的な意思疎通をして存在しながら、皆さん自身と同調しています。
実存とは、皆さん自身が幸せになり、光を発すること、あるいは寛ぐことを許している状況になぞらえることができるかもしれません。
皆さんが皆さんの現実性を穏やかに進む時、皆さんはこうしたすべての側面になることができます。
皆さんが皆さん自身をひとつの実存として受け入れ始める時、皆さんの目的はまた、実存として皆さんがその行うことの目的と配慮を消し始めることであり、それは、意識的な状態にならずに、あるいは皆さんの神聖なる自己や創造主と同調せずに、活動的になることです。
皆さんがわたしの伝達を読む時、皆さんはまるで皆さんが行っているまたは実存しているように感じますか?
皆さんは読むことによってひとつの活動を完了していますか、あるいは皆さんは、その言葉とエネルギーで皆さん自身が意識的な統合の中に存在することを許していますか?
色々な意味で、それは皆さんの視点であり、その視点は、皆さんが皆さんの現実性を達成してそれを経験する際に、皆さん自身を把握する方法の中で変えることが必要かもしれません。
皆さんが皆さんの現実性のそれぞれの状況と瞬間の中に存在することを許すことによって、皆さんは集中し、自覚し、機敏になり、意識的になり、皆さんの内部と周りで起こり続けているすべての物事、実際に創造主として存在するすべての物事と、同調しています。
皆さんは、創造主の神聖なる流れに対してこころを開いています。
皆さんは、創造主の神聖なる流を経験し、その流れになります。
実際に皆さんは、創造主の神聖なる流れと伴に存在しています。
創造主のエネルギーは、絶えず流れ、進化し続けています。
皆さんは創造主のひとつの側面または表現であるため、皆さんのエネルギーは、同じものです。
実存は存在することですが、しかし皆さんがそれと伴に、そしてそれとして存在するために選択するものを決定することが、必要になります。
数多くの人々が、自分達の個性の後ろに隠れ、自分達を識別し象徴すると自分達で信じる特性または習慣を創り出します。
したがって、人々の特性、個性、そして習慣が、その人々の在り方を創り出し、規定します。
皆さんが実存することを皆さん自身に許す時、皆さんはまた、創造主であるあらゆる物事そのものとして存在することを皆さん自身に許します。
皆さんはそれを、一体性あるいは統一存在として描写することができます。
事実通り皆さんを規定するものは何も存在せず、そしてそれにもかかわらず、皆さんは皆さん自身が一体性として、一体性と伴に、そして一体性の中に存在し、あるいは創造主と一緒にいる意識的な自覚的意識として、存在することを認めます。
この存在を受けて、達成されることが必要な目標またはこの世の活動がどのようなものであれ、もはや皆さんの現実性の中には、行われることが必要になるどのような物事も存在しません。
これは、創造主との一体性に属する皆さんの意識的な存在から切り離すことを皆さんに要求するものは、何も存在しないことを意味します。
しかし皆さんは、皆さんの内部から、創造主がすべてを達成することを許す経験と活動を通して進むことを、求められます。
これが実存することです。
皆さんの現実性の内部のあらゆる状況と経験の中で皆さんの内部の創造主の意識的な自覚と伴に存在することは、皆さんはいつも創造主の導きと神聖なる意思に従っていることを意味します。
あらゆる物事が動き始め、途方もない易しさで遂行され、達成されます。
何故なら皆さんは、創造主と伴にそして創造主と一体となって、皆さん自身、精神、情緒、そして活動を含めた、皆さんのすべての経験を調整しているからです。
皆さんは、皆さん自身が実存することを許しながら、皆さん自身と自我の特定の側面がありそれは今後皆さんが帰順するか手放すかを求められることを自覚するように、働き掛けられています。
何故ならその側面は、皆さんの創造主との在り方、皆さんの創造主とひとつとして在り方と、対立を引き起こすからです。
帰順の過程は、皆さんの内部の皆さんの創造主の自覚を高める一方で、皆さんが単純に存在し、創造主の神聖なる光を吸い込むための空間を設けます。
実存は、身体または現実性の中の静寂を目的にする訳ではありません。
皆さんは、人類から皆さん自身を隠す必要もありません。
ひとりの行う存在よりもむしろひとつの実存する存在に向けて移行する、数多くの方法があり、こうした移行のほとんどは、皆さん自身の探索、観想、そして内面の洞察から現れることになるでしょう。
ひとりの個人が実存に意識を集中することは、ひとりの個人が行うことに意識を集中するよりも遥かに多くの物事を達成することになる可能性が高いことを、良く理解することが重要になります。
何故なら、人々は無意識に宇宙と創造主に対して、人々を通して機能して、人々を触発して神聖なるタイミングで正しい場所に存在して、最も適切な知識を維持して、必要なすべての物事を引き寄せるように呼び掛けることになるからです。
また、皆さんはどのような物事も見失っていないこと、何も欠けていないこと、あるいは、どのような物事に対しても罰せられていないことを自覚することも、重要になります。
皆さんが皆さんの在り方の中で満足し、しかし神聖なる愛、豊かさ、数々の奇跡と魔法と結び付くことができる時、その結果どのような物事も可能になり、そして皆さんは、ひとつの深い圧倒的な満足感を経験します。
皆さんは再び、創造主として存在するすべての物事の自覚と伴に、皆さん自身が創造主の振動の中に存在することを許しています。
皆さんは、皆さんの中心の自覚を通して、実存の過程を獲得して、皆さんの注意を皆さんの中心に戻すことができます。
皆さんの中心は、ひとつの単純な愛の愛または歓びの感覚になることができ、そして皆さんは皆さんの周りと内部で起こり続けているものに関係なく、そこに戻ることができます。
その結果皆さんの中心は拡大して、皆さんのエネルギーのすべての側面に対する癒し、調整、そして明瞭性に戻ります。
皆さんは、一日に5回、愛の感覚を涵養する実践を行うことができ、それは、皆さんが創造主と一体になって存在する経験を把握することを許します。
別の実践は、皆さん自身に皆さんの眠りから目覚めて、“わたしは今日何になる必要があるだろうか?”あるいは、“わたしは今日、どのようにすれば必ず創造主と一体になって存在することができるだろうか?”と尋ねることです。
また皆さんは、皆さんの内部の創造主の意識的な自覚で、これを達成することができます。
それは皆さんが、導きまたは支援を求めている皆さんの内部の創造主のエネルギーとの結び付きを必要としているのかもしれません。
また皆さんは、皆さん自身に、決意と歓びで、“わたしは今、わたし自身が創造主との意識的な一体性の中で存在し、実存することを許します”、と伝えることを望むこともできます。
これから訪れる週の間、わたし師クートフーミのエネルギーに呼び掛けて、皆さんの現実性のあらゆる瞬間の内部で、創造主として存在するすべてと伴に、存在と一体性の中で一緒に意識的に実存の過程を観想することにしましょう。
わたしは、皆さんを触発し、支援する準備が整っています。
実存することはまた、開放性と容認の中で存在することです。
わたしの神聖なる実存から皆さんの神聖なる実存へ、
師クートフーミ
Master Kuthumi
http://lightworkers.org/channeling/188131/master-kuthumi-existence-being-nathalie-glasson
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