メリー・マグダレン:魂の闇夜 [メリー・マグダレン]
Mary Magdalene
The Dark Night of the Soul
パメラ・クレーバ経由
Channeler: Pamela Kribbe
Tuesday, 16 October, 2012
親愛なる仲間達、わたしは皆さんの姉妹、メリー・マグダレン。
皆さんの非常に親しい友として、わたしは皆さんのすぐ側にいます。
わたしは皆さんよりも高く位置付けされているのではなく、皆さんが内面から認識する者です。
わたし達の深い結び付きを察してください。
わたし達はひとつであり、同じ仲間の一部です。
わたしもまた、地球上で人間となる道筋を旅して、その深さを認識し、探索して、わたしを触発して捕えた明るく色鮮やかなひとつの光に胸を打たれ、そして地球上のさらに美しいより良い世界を夢見て、それを待ち焦がれることに気付かされ、それを願うようになりました。
わたしは光と同時に闇の両極端を認識しました。そういった極値は、同類の柱です。
それはお互いの推進力であり、皆さんは、生命は光と闇という正反対を目指しているように見える、と口にするかもしれません。
両者が呼び起こす感覚は、正反対のように見えながら、それにもかかわらず、両者の間にはひとつの隠された結び付きがあります。
光と闇は、一方が存在しない状態で機能することができません。
光は、決して闇から現れる時を超えて良く見えるようなことはありません。
その日の目覚めの時の最初の太陽の光、世界を浸している温かい朝の光について考えてください。
特に皆さんが寒く、暗い夜から浮かび上がる時、その光がどれほど深く皆さんの胸を打つことができることでしょうか。
明暗の差が、生命、運動、成長、変化といった原動力を創り出します。
そのため、闇はわたし達の人生の中でひとつの機能を持ちます。
しかしその一方で、人間は変化と成長のための原動力としてではなく、頻繁に光の対立物として、皆さんが巻き込まれてもはや身動きが取れないひとつの罠または落とし穴として、闇を経験します。
その深い落とし穴から、それは皆さんが光との接触を見失って、まるで皆さんから既に切り離されたもののように見えます。
皆さんはすべて、光から切り離されている、皆さんの人生の中で意味と目的というひとつの感覚を奪われている、精神状態を認識します。
それは実際に、死んでいる状態です。
死に向かう唯一の方法は物質的な死ではなく、皆さんのこころ、皆さんの感情、皆さんの精神の中のあらゆる動きを止めることです。
実際には、死は存在しません。皆さんの魂は永遠に生き続けます。
皆さんに関して死を免れない物事は、ただその姿形だけです。
皆さんの本質は永遠で、死ぬことはあり得ません。
しかしその一方で、皆さんは一時的に、皆さんが精神的に頑なで動きを止める程まで皆さんの本質を見失うことが起り得ます。
皆さんは内面で死に、そして皆さんは極端に憂鬱になります。
これは、極端に悲痛な状態です。
少しの間、わたしに付き合ってください。
わたしと一緒に鬱屈した状態に降りて行き、虚心坦懐にその状態を良く調べてください。
誰かがすべての希望を失い、萎縮して、内面から湧き上がるすべての感覚に対して無力感に襲われるとすれば、何が起るでしょうか?
普通、この反応は、破壊的な外部の出来事によって引き起こされます。
ひとりの個人が、彼または彼女の価値判断の基準の中に配置することができない出来事です。
そしてそれは、その個人の人生のあらゆる物事を不明確なものにします。
それは、身近な誰かの死、発病、失業、あるいはひとつの人間関係の破綻といった、一大事が引き起こす可能性があります。
こうした出来事が、人々に深く影響を与え、そして人々を深淵の縁まで連れて行くことがあり得ます。
しかしその一方で、また闇は時に、外部からの明確な原因がない状態で、内部からそれ自体を明らかにする可能性があります。
皆さんがかつて皆さんの魂の記憶の中に蓄えた古い情緒的な重荷が、表面に現れます。
おそらく以前の人生に起因している悲痛な経験が、皆さんの深淵から芽を出し、そして皆さんは暗い感情、怖れ、そして疑いを解決することが必要になります。
欠如、孤独、そして敗北感という深い経験が、理由もなく皆さんの魂に入って行く可能性があります。
その状態は、皆さんに起るあらゆる外部の出来事と同じように、皆さんが皆さんの足場を失うような状況にすることができます。
誰かが絶望に、魂の闇夜に捕らわれた時、それはいつも、呑み込まれてしまってそのすべての情緒に対処することができない、という経験と伴に現れます。
大き過ぎて耐えることができないものとして、皆さんは悲痛で重たい情緒の流れを経験します。
皆さんはその情緒に押し切られ、またはそのように感じて、そして皆さんはひとつの深い無力感から、すべてを遮断します。
その瞬間に、皆さんは目を背け、その情緒に立ち向かうことを拒絶し、皆さんは行き詰ります。
そういった情緒は自由に流れることを望みます。
情緒にとって、海辺に向かうひとつの波濤のように、外部に向かって動き続けることが不可欠です。
しかし皆さんは、それを許すことを怖れ、そのため皆さんはその動きと足並みを揃えることを拒絶し、こうした情緒の氾濫から皆さんを引き戻します。
皆さんはひとつのダム、障壁を築き上げ、そしてこう口にします。
“わたしはこれに対処できない。
わたしはこれを望まない。
わたしはその関係を絶ちたい。”
しばしば純然たる無力感からもたらされる皆さんの反応が絶望を創り出し、それが無感覚の状態、生命から遮断された状態になります。
時間と伴に、その状況は耐えられないものになり、そして皆さんはもはや生きることを望みません。
地上のひとつの視点から、人生は容認できないものになっているため、皆さんは死を望みます。
魂の視点から確認すると、皆さんは死んでいて、そしてそれはこれほど耐えられない経験であるため、皆さんはその状況を終わらせるために皆さんにできるあらゆる物事を行うことを望みます。
死への願望は本質的に変化への願望であり、再び生きるためのひとつの願望です。
自殺することを望む人々は、人生に対する深い欲求を持っていて、死への欲求ではありません。
内面で死んだ状態というまさにこの感覚が、人々を極端な絶望に駆り立てます。
人々の生きるための衝動が、人々を導いてその物質的な生命を停止させます。
皆さんが絶望を経験する時、皆さんの中には、深い抵抗の組合せと同時に、極端な脆弱性があります。
絶望は、皆さんを脅かして呑み込む情緒の巨大な力に抗って皆さん自身を護る、ひとつの方法です。
皆さんは、絶望が皆さんを破壊することになるだろう、と考えます。
そのため皆さんの無力さの中で、皆さんは皆さん自身の周りにひとつの殻を築きます。
皆さんは、望まない、あるいは何も感じることができないひとつの繭の中に、皆さん自身を包み込みます。
皆さんは、諺に出てくる砂の中に頭を埋めた駝鳥のように、もうこれ以上ここにいることを望みません。
皆さんは砂の中で息が詰まり、そしてそれにもかかわらず、それは脱出できる唯一の方法のように見えます。
そしてしばらくすると、皆さんはもはや皆さんの頭を絶望という砂の外に出すことができなくなります。
皆さんは人生から、そしてあらゆる感覚から遮断された状態になってしまい、みなさんはもはや物事を好転させて変化をもたらすことができなくなります。
皆さんの情緒に対して “肯定の返事” を口にする選択は、皆さんの力を超えて嘘をつくことのように思えます。
絶望はここで、ひとつの絶頂に達しています。
一方で、みなさんはみなさんの怖れ、絶望、悲しみ、そして孤独を受け入れ、あるいはそれを他の人々と共有することができません。
同時にもう一方で、みなさんは、情緒がない状態で生きることは苦痛を伴うほど悲痛な状況であることを認識し、それを感じます。
それは死のひとつの姿であり、みなさんの生きる核心の全面否定です。
しばらくすると、みなさんは再び感じることを望みます。
感じないという苦痛は、みなさんの情緒を感じる苦痛よりも大きなものです。
これがみなさんの救済であり、そしてこれが転換点になります。
感じることの拒絶、そして
“いえ、わたしはできない。
わたしはそれを望まない。
わたしは死にたい。
わたしは消えたい”
と口にすることは、みなさんをこれほど虚ろで中身の無い状態にして、みなさんはもはやそれを持続することができないようにします。
魂の視点から起っていることは、生命がここでさらに強くなっている状態です。
それは、無制限に抑制することはできません。
生命力が非常に長い間強力に抑制されている状態が続く時、それは正反対の力を創り出し、それが最終的に噴出します。
海辺に向かって進むことを望む潮流の強さは、永久に押し止めることはできません。
特定の瞬間に、みなさんの内部から、たとえ皆さんがそれを意識的に自覚していなくても、ひとつの “その通り” という肯定的な返事が浮上します。
生命の中では静的なものは何もありません。
生きるための衝動は、止めることができません。
皆さんがひとつの頂点に到達し終えた時、みなさんは皆さんの生命の中で、変化を提供する数々の出来事を創り出します。
それが、ひとつの突破口を創り出します。
時に、自殺未遂という姿でこれが起ります。
もしも自殺に失敗すると、その個人の苦悩が外部世界に対して非常に明らかになるため、ひとつの上昇スパイラルになる可能性があります。
個人が自分に対する他の人々の配慮の大きさに気付く時、より多くの光の開放が現れて、理解と共感の受け入れに向かう可能性があります。
しかしその一方で、また個人がこころを開かず、鬱屈したままになる可能性もあります。
突破口が発生する方法に対する固定的な処方箋はありません。
しかしその一方で、生命はひとつの後押しと原動力を経験し、それが意識の静的な状態を無限に続けることを不可能にします。
実際に、皆さん自身の生命を奪うことによって地上の人生が終わる時でさえ、皆さんは瞬時に別の側面の新たな数々の選択肢に直面しなければならなくなります。
何故なら、皆さんは依然として、そこでみなさんの数々の感覚を経験しなければならなくなるからです。
生きている時にそこにあった憂鬱は、その苦痛と不安の感覚と伴に、ここでさらに先鋭に表面化する可能性があります。
時に、みなさんが死の後で落ち着くアストラル領域が、皆さんが抑制した数々の情緒を皆さんに突き付け、これを通してその情緒が再び流れ始めます。
例えば、死んでしまった人が人生は本当に終わっていないことに気付いて、絶望と恐怖を感じる可能性があります。
あるいは、人は地球上の自分の家族の情緒、家族の嘆きと悲しみを理解し、その大きな影響を受けます。
かなり胸を打たれることによって、既に死んだ魂の中で新しい動きが発動される可能性があります。
それがひとつの突破口につながる可能性があり、その魂が地球と天界の両方でいつもそこにいる指導霊からの援助に対してこころを開くようにします。
もしも皆さんが援助にこころを開けば、援助はいつもそこにあります。
みなさんがどの道を曲ろうと向きを変えようと、生命はどのような死の望みよりも強力です。
生命はいつもその存在する権利を再開し、皆さんはそれを殺すことはできません。
したがって、いつも希望があります。
皆さん自身のために、しかしまた皆さんが苦しんでいることを確認している他の人々のために、希望を手放さないでください。
物事は時に絶望的に見えますが、しかしたとえ皆さんは皆さんの精神の中でそれが可能な方法と変化が起り続けている姿を思い描くことができないとしても、いつも別の展望があります。
生命はいつも死よりも強力であり、光は死よりも強力です。
水は最終的にひとつのダムを突き破ります。
何故なら、水は動く力を持っているからです。
水は押し進み、生きています!
水の力は、それを押し止めようとする抵抗力よりもさらに強力です。
少しの間、皆さん自身の中の生命の推進力を感じてください。
時にひとりひとりの皆さんが、行き詰って、無限にそれ自身を繰り返す数々のパターンに陥っている部分を持つ、そういった皆さん自身に気付きます。
皆さん自身についての疑い、劣等感、不確実性、不信、怒り、抵抗です。
ここで、そういった部分がまさにそこにあり、しかも生命が同時にその周りで流れ続けている姿を思い描いてください。
その水は流れ続け、そしてそれでもその流れの中にはかなり固定されて動かないようにみえる巨大な岩が残っていますが、その岩は今もなお水の動きですり減らされて、水の動きの圧力がその岩を押し退けています。
それは時間がかかりますが、しかし皆さんの本来の姿を忘れないでください。
皆さんは生きている水です!
皆さんが皆さん自身でそれをより多く思い出すほど、皆さんはその流れの中に横たわっているそういった巨岩や石からのエネルギーをより多く取り戻すことができます。
そこに留まり続けている過去に由来する痛みがあります。
皆さんはそれを軽視するか、あるいはそれを無関係なことにする必要はなく、しかしまた、そういった巨岩をその河から運び出す必要もありません。
皆さんはただ、皆さんは水であることを皆さん自身に気付かせることだけが必要になります。
皆さんは皆さんのエネルギーを阻害するそういった巨大な岩と同じだ、と皆さんはある程度認識してきたため、これは時に困難なものになる可能性があります。
“わたしは適切に地に足が付いていない人間だ。
わたしは少しも心休まることがない。
わたしは過去からの悲しみとこころの傷を引き摺っている。”
そしてそれはすべてその通りですが、しかし少しの間、そういった発想を大きな広い河、ひとつの巨大な運河の中の岩や石として思い描いてください。
何故なら、それが皆さんの本来の姿であり、それが皆さんの実際の生命力だからです。
それが皆さんの魂であり、泡を立てながら、急に押し寄せて大きな音を立てて、探索し発見しながら、いつもその道筋に沿って流れ続けています。
その流れは、そういった遭遇する巨大な岩について、断定的な判断を持たず、その岩を呑み込みます。
皆さんはひとつの選択肢を持っています!
言うまでもなく、皆さんが余りにも長い間それと自分とを重ね合わせ始める時、皆さんは折に触れて、そういったひとつの閉塞の中で皆さんの意識に行き詰ります。
しかし皆さんは、ただ皆さん自身を流れる水として経験することによって、その閉塞から距離を置くことができます。
皆さんはひとつの生きている魂の意識であり、いつも動き、流れていて、そういった数々の巨大な岩に拘束されません。
皆さんは自由です。
皆さんが皆さんの意識をより多くそういった巨大な岩、そこに横たわる数々の岩から引き離すほど、その数々の岩はより簡単にその流れに自分達を差し出すことができます。
皆さんが岩を手放し、皆さん自身を動いている水に重ね合わせているため、数々の岩はさらに早くそれ自体を解き放つことができます。
その水が皆さんの魂であり、そしてそれは誰も押し止めることはできません。
それが流れ、動き、煌めいている姿を感じてください。
それが皆さんを洗い流している姿を思い描き、その泡立つ強さ、その中で煌めいている光を感じてください。
皆さんの魂がその最も深い部分で、皆さんが経験する闇によって、これほど固体で頑強に見えるこうした巨大な岩によって、脅かされない姿を感じてください。
皆さんの魂は、そこにあるものによってまったく妨害を受けません。
何故なら、魂はその巨大な岩がそこに属していることを認識しているからです。
それは、生命の風景の一部です。
皆さんがそういったひとつの巨大な岩の内部で行き詰る時、側を勢い良く駆け抜けている水に耳を傾けてみてください。
その水と、その水が流れる容易さを忘れないでください。
皆さんは、あらゆる物事を皆さん自身でする必要はありません。
生命は皆さんに無限の機会と可能性を提供します。
それは時に皆さんを深く、暗い警告に連れて行くかもしれませんが、しかしまた皆さんを光に向けて駆り立てます。
皆さんがもはや苦闘することができないという感覚を持ち、そして物事が好転する姿を皆さんが確認できない時でさえ、生命は依然として皆さんを駆り立てます。
生きるということの優れた技能とは、たとえ信頼する者が何も存在しないように見え、皆さんが確実視していたあらゆる物事が皆さんの人生から消え失せた時でさえ、皆さんの信頼を持続することです。
地球上のこの時期に、数多くの人々は古代の闇の処理に巻き込まれています。
一部の魂は、まさに今、光になり始めていて、確認されることを望んでいます。
そして何故そのようになっているのでしょうか?
何故なら、皆さんはひとつの前進の跳躍を引き起こしているからです。
それは本当に、人類の意識の進化におけるひとつの跳躍です。
この跳躍は、怖れ、不信、あるいは皆さんが地球上で経験してきたあらゆる物事についての非常に深い悲しみで満たされている、その皆さんの意識の中の最も暗い場所に手を伸ばすことをしないで、実現することはできないものです。
その闇を怖れないでください、それを歓迎してください!
皆さんが闇に対して、“その通り”、という肯定的な返事を口にする時、闇はそれを解き放ち、自由に流れ始め、そしてそれがこの人生を生きる技能です。
そして皆さんが、“わたしは本当に闇に対してその通りと言うことはできない”、と感じる時、それ皆さんの中に依然として “その通り” と口にしている何かがあることを忘れないでください。
これが、今後皆さんを救い、生命への信頼に沿って、皆さんをさらに遠くまで連れて行くようになるものです。
わたしはすべての皆さんを愛し、皆さんはわたしにとって大切な人々です。
もしかすると、皆さんはこう考えるかもしれません。
“どうすればそれはそうなることができるのか?あなたは個人的にすべてのわたし達の認識することはできない。”
しかしひとりの人間としての皆さんは、魂の伝達網の広がりが本当はどのようなものかを認識せず、あるいは自覚しません。
皆さんが既に魂から別の人と結び付いている時、それがひとつの永遠の結び付きです。
一度忘れた結び付きでも、時間を通して離れることはありません。
何故なら、わたし達の次元の中では、時間は存在しないからです。
魂としてわたし達を結び付けているひとつの生きた伝達網があります。
わたし達は、ひとつの特定の歴史、ひとつの特定の願い、わたし達の意識の中でかつて点火されたひとつの光彩を共有します。
この光彩で、地球は次第に明りを灯されています。
すべての人々の中の目覚めた意識が、わたし達をひとつにして、ひとつの新しい基礎を創り出し、そしてその基礎から、その意識の跳躍が実際に発生するようになるでしょう。
皆さんはこれについて、考え過ぎる必要はありません。
皆さん自身の過程、皆さん自身の方法を続けてください。
それで充分です。
皆さんの中だけではなく、他の数多くの人々の中にも、生命の強力な突き上げを感じてください。
それを通して、ひとつの意識の波が地球に押し寄せ始めています。
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