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イエス:愛と許しの力は完全に奇跡的なもの [イエス:ヨシュア]


イエス
Jesus


愛と許しの力は完全に奇跡的なもの
The power of love and forgiveness is absolutely miraculous



September 7, 2012 by John Smallman
ジョン・スモールマン経由
Channeler: John Smallman


 

 

愛情のない人々は、実際に愛を求めて泣き叫んでいます。

 

 

すべての存在という神聖なる創造的な根源に対する彼らの確信は、とても弱いものです。

 

 

彼らは、孤独、喪失感、脅威、そして危険を感じます。

 

 

その結果彼らは、彼らが怖れる物事を壊滅させる強力な防御を築き上げようと試みます。

 

 

しかし、彼らは、彼らが怖れる物事がさらに一層強力で脅迫的なものになって行き、彼らを破壊する力を発現させるようになることを怖れています。

 

 

そのため、彼らはより一層強力な防御を築き上げようとします。

 

 

 

 

 

 

それは事実通り、身動きの取れない逆説的な状況です。

 

 

それに巻き込まれないでください。

 

 

何故ならそれは、すべてが神の力で配慮されていて安心できることをすべての人々が理解することを目指して皆さんの光を高く掲げる、という皆さんの霊的な仕事から、皆さんの注意を逸らすからです。

 

 

神の光は無差別にすべての人々に向けて輝きますが、しかし悲しいことに、数多くの人々が怖れの中で、その光から目を背け、自分自身はその光が提示する愛に値しない、と考えています。

 

 

 

 

 

 

彼らは、それは今もこれからも利用できないことを認識しながら、自分達の懐疑を正当化するために、究極の知性である神の存在の科学的な証明を要求することを選択します。

 

 

何故なら、言うまでもなく、科学は、それが決定するもの以外のどのようなものでも存在できることを理解することができないからです。

 

 

皆さんの歴史は、科学が間違っていることが証明される時、何度も繰り返し皆さんにこの事実を明確に示します。

 

 

残念ながら、科学は頑ななままです。

 

 

未知に対する怖れのため、科学はそれ自体の前提を通して、勝手な思い込みに通じる歴史的な経験則に基づいて、物事を説明することを望みます。

 

 

そのため、次に科学は、予想外の出来事や新しい発見によって疑問を持つことを強要されるまで、疑問を持つことを拒否します。

 

 

 

 

 

 

神の存在を証明できないことが、世界は敵意を持った脅迫的なひとつの環境であると考えて人々がその怖れに溺れることを許し、まるで彼らが経験している人生は、自分自身の個人的な進歩だけのための使用に最も適しているかのように振る舞うことを、つまり 最も多くのオモチャを持って死ぬものが勝つ ことを、正当化します。

 

 

そのため、個人的な予定が人々の人生を駆り立て、単調な規則性と伴に敵対的な状況が彼らに襲いかかります

 

 

 

 

 

 

幻影の内部で、皆さんは人生と暮らしを破壊している暴力と苦悩を確認します。

 

 

そして皆さん自身と皆さんの愛する人々を護るために、皆さんは途方もない予防措置を講じる必要があります。

 

 

皆さんが未来に関して心配しないようにすることは、それが皆さんの人生に悲惨で予測し得ない数々の出来事をもたらす可能性があると皆さんが考えるように、極端に困難です。

 

 

そして数多くの人々が、こうした心配を助長することによって、その生計を立てています。

 

 

 

 

 

 

どのような状況においても、怖れを手放し、愛を受け入れることが、唯一の満足できる対応です。

 

 

その怖れにもかかわらず、思い切って行動し、愛情ある言動や態度を受け入れる人々は、人生が遥かに円滑に流れることに気付きます。

 

 

数々の困難は起り続けますが、しかしその困難に対処する自分達の能力に対する確信を押しつぶすことはありません。

 

 

そのため、そうした人々は上手に対応し、その自信は大きくなります。

 

 

彼らの愛情溢れる特質が、他の人々に影響を与え、他の人々を触発します。

 

 

そして彼らは、その人生の苦闘の中で、もはや自分自身がひとりではないことに気付きます。

 

 

何故なら、他の人々が彼らと創造的に協調し、最初は極めて怯えさせるようなものだった数々の困難を取り除くために役立つ人々のように見えるからです。

 

 

 

 

 

 

愛が歓迎されるところはどこでも、愛は愛自体に気付き、愛自体と手を組み、すべてを包括的に受け入れるためにその交わりを拡大し、愛自体から愛を引き離そうとする数々の障害を解消します。

 

 

愛は、価値の階層あるいは順位がない愛の範囲に入ることを選択するすべての人々を、歓迎します。

 

 

愛は、愛と手を組むすべての人々を、無差別に受け入れます。

 

 

愛は神であり、究極の根源であり、神聖なる意識であり、存在するすべての物事がそのかけがえのない本質的な部分になっています。

 

 

ひとりの構成員としてこの高貴な集団に参加しようとする誰もが必要とすることは、ただ彼らが既にその構成員であるという認識だけです!

 

 

 

 

 

 

怖れとは、神から離れることは可能であり、神の愛に値しないことは可能であり、人を神に受け入れられない者にする何かを考え、話し、あるいは行うことが可能であるという信念です。

 

 

正気とは思えない数々の行動や、怖れの中で生き、個人的あるいは国際的な規模で戦争に従事する人々の振る舞いは、それが引き起こす苦痛と苦悩という明らかな現実性にもかかわらず、非現実的なものです。

 

 

彼らは、自分達は神から、従ってお互いから切り離されていると信じている人々との、ひとつの仮想的な競争に携わっています。

 

 

神の目から見た他の人々の価値の無さと自分自身の価値の高さを実証することによって、神のご機嫌を取ることは、勝算のない企てです。

 

 

価値のない人など誰ひとりいないため、その前提は勝算がありません。

 

 

 

 

 

 

この哀れで混乱した状況から抜け出す方法は、断定的に判断されてきた人々を許し、そしてその断定的な判断をしてきた人々も許すことです。

 

 

許しは、断定的な判断を創り出す意識の集中の狭く偏った領域から自覚的意識が拡大することを許し、神聖なる愛の領域がそれを貫き、満たし、そしてそれを解消することができるようにします。

 

 

圧迫感と敵対的な緊張は自覚的意識を激しく収縮させて縮小させ、次は知覚できる意識の巨大な拡大に身を委ねる状態を消し去ります。

 

 

敵対的な物事が起っているように見えていたひとつの状況と、その不協和を引き起こしてきたものの完全な再評価は、以前はそう見えていた敵対的で受け入れられない状態を遥かに少なくすることが認められています。

 

 

するとすぐに、すべてに報いるひとつの解決策が、急速に達成されます。

 

 

 

 

 

 

愛と許しの力は完全に奇跡的なものであり、そして皆さんが皆さん自身をどのように状況の中で確認することがあるとしても、絶えず利用できるものです。

 

 

皆さんの怖れが皆さんを失望させて 皆さんの人生の中あらゆる問題を驚くほど解消することができるこうした素晴らしい神聖なる贈り物を最大限に活用させない状態を引き起こすことがないようにしてください。

 

 

皆さんが幻影の中に降下してしまった時、皆さんが帰ることを選択した時に皆さんがそれを解消するために数々の贈り物を利用して皆さんの天の故郷に帰ることができるように、皆さんの父はこうした数々の贈り物が皆さんと伴に存在することを保証しました。

 

 

その時が急速に近付いています。

 

 

 

 

皆さんの愛情溢れる兄弟、イエス

Your loving brother, Jesus.




http://johnsmallman2.wordpress.com/2012/09/07/the-power-of-love-and-forgiveness-is-absolutely-miraculous/

翻訳森のくまさま...ありがとうございます。

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