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地上の先導者:自己愛 [地上の先導者]

地上の先導者
Earthen Master

自己愛
Self Love

16 February 2012 - 9:23am
ジェニファー・ホフマン経由
Channeler: Jennifer Hoffman

わたし達自身を愛する、とは何を意味しているのでしょうか?


すべての愛は自己愛から流れ出し、わたし達は決してわたし達がわたし達自身を愛する以上にわたし達を愛している誰かを見付け出すことはないだろう、とわたしが伝えたことを、皆さんは耳にしたことがあるはずです。


しかしわたし達自身を愛するとは何を意味していて、そしてわたし達がわたし達自身を愛していいないことを、わたし達はどのようにして認識するのでしょうか?


それは、わたし達が愛の定義の仕方に、わたし達自身の定義の仕方に左右され、そしてわたし達がわたし達の人生の中で経験してきたかどうかという判断基準を用いる時の、その計量に左右されます。


何故なら、わたし達自身を愛することはこうした物事とは関連性がないものの、わたし達が愛にふさわしいかどうか、そしてわたし達を愛することができて、あるいは愛するべきなのかどうかを決めるのは、そういった物事を通して行われるからです。


わたし達は、愛がわたし達に示しているものを絶えず求めているでしょうか?


わたし達の愛についての会話は実際には人間関係についての会話であり、わたし達はそこで、見返りとしてわたし達を愛している、あるいは愛していない誰かを経験します。


そしてわたし達は、名詞としての愛と、動詞としての愛を混同する傾向があります。


そこでは、存在状態の代わりに、愛は、人が意のままに与え、取り去ることができるひとつの行為になります。


そしてこの点が、わたし達が愛を掌握していないと感じるところです。


何故なら、愛として“存在”することよりも、わたし達は愛を“経験する”ことに意識を集中しているからです。


そしてわたし達が愛について語る時、わたし達は余りにも頻繁にその議論に別の個人を引き入れてしまいます。


わたし達を愛していると口にしてきた誰かとわたし達が人間関係を持つ時、わたし達は愛を経験します。


そしてもしもわたし達が経験しないと、わたし達は愛の無い状態だと考えます。


しかし、わたし達自身を愛する時にわたし達の最も巨大な難題となるものは、わたし達が愛することになる、その‘自身’です。


わたし達はわたし達をひとつの物質的な存在として理解し、さらにわたし達の霊的な側面さえ含めている可能性がある一方で、その他にもわたし達の本来の姿に対する数多くの異なる側面が存在しています。


わたし達は今まで傷付いてきて、そして数々の側面全体や可能性、そして認識されている数々の側面について、わたし達は過去と現在の側面を持っています。


わたし達が愛してない人々はわたし達が恥ずかしいと思っている人々であり、それは苦痛に満ちたものであり、あるいは数々の悪い記憶を象徴しているものです。


わたし達が愛することができる人々は、わたし達が幸せに感じる人々です。


その時、わたし達のわたし達自身を愛する能力は、数々の‘良い’側面が‘悪い’側面を凌駕しているかどうかに左右されますが、しかしそれにもかかわらず、わたし達が事実通りわたし達自身を愛する時、わたし達はすべての側面が問題となっているわたし達自身のひとつの側面だけを愛しています。


わたし達自身を愛するということには、数々の情緒、記憶、あるいは複数の人間関係が含まれていません。


それは、それぞれの瞬間にわたし達が行うあらゆる物事の中で、わたし達自身を健全で完結した、完全なものとして理解し、そして受け入れるために断定的な判断から動くことが含まれている、ひとつの存在状態です。


わたし達は、愛から、そして愛の中から、いつでも愛として存在しています。


愛はわたし達のこころを脈打たせるエネルギーであり、そのためわたし達は、決して愛無しで存在することはできません。


それはわたし達に生命を与えている神聖なる光の閃光であり、それはあらゆる瞬間にわたし達と伴に、そしてわたし達の内部に存在しているものです。


わたし達がわたし達自身を愛さないということは不可能ですが、しかしわたし達が断定的な判断を下す状態になり、またわたし達の本来の姿に批判的な状態になり、わたし達の行動を恥じ、あるいはわたし達の行動によって恥ずかしく思い、わたし達の信念や考え方によって制約を受ける可能性もあります。


わたし達がそういった状態を破棄することができる時、わたし達が愛にふさわしいことをわたし達は認識し、わたし達ひとりひとりの内部に存在する神の光をわたし達自身に戻ってくるように反射することによって、その状態が、わたし達を愛にふさわしく、愛することができ、そして愛されるようにします。



Copyright [コピーライト]2012 by Jennifer Hoffman and Enlightening Life OmniMedia, Inc. This material is protected by US and international copyright now and may be distributed freely in its entirety as long as the author’s name and website, www.urielheals.com are included.

http://lightworkers.org/channeling/152939/self-love

翻訳:森のくまさま...ありがとうございます。

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ギデオン

今日の絵本 「高貴な香りは隠せないウメ」も 見せていただきました

私の小さな自宅の庭でも 桜桃 (ゆすらうめ)が開花を始めています
毎年のようですが ほぼ“桜(ソメイヨシノ)”と開花時期が同じのようです

春の訪れ 本当に 一年経つのは早いものです

そして 今日のテーマは 「自己愛」でしたね

私も 漠然としか判りませんが ・・・ 
“愛”には 大きく四つのものが あるようです
 親子の愛=ストルゲー 友情=フリィア
男女の愛=エロス 利他的な愛=アガペー

勿論 私達は 万物の創造主なる神(ヤーウェ)から 
御子イエス=キリストをとおして 慈しみ深い愛を受けて
多くの生命の犠牲の下に いまを 生きていますが
そのこと全てに 感謝を有して 歩みたいと 
あらためて 気づかせてくださりました

twinkle☆starさん  森のくまさん  
本日も ありがとうございました
お二人に 神の大きな祝福が ありますように

少しばかりのお礼と 一本の洋画を掲載させていただきました
もし宜しければ 時間のある時にでも ご覧くださいませ

  http://www.youtube.com/watch?v=fADr-rIIC78 
  George Benson  “The Greatest Love of All”

  http://www.youtube.com/watch?v=MNPoxmwLC1c
  “The Passion of the Christ” 
上映時間2:06:32
  



by ギデオン (2012-03-22 02:33) 

twinkle☆star

ギデオンさま...☆

子供向けのような絵本やお話には、上の世界からダウンロードしたのかな?と思えるようなのが多いですね。

この、「高貴な香りは隠せないウメ」のお話も、本来の身分を隠して、時期を待つという部分が、まるで光の戦士を思わせますね。。。

いつもご紹介していただいて、ありがとうございます。

光の存在、ドイツのアドルフ・シュタイナーは有名ですが、そのシュタイナー教育で推奨されているライアーという楽器の音色が素晴らしいです。

この音色を聴きながら、絵を描いたり、リラックスすると良いそうです。


cerena(セレナ)-美しい世界のはじまり-ライアーleier
http://www.youtube.com/watch?v=fnw7SYmbvV8&feature=related

Ave Maria (Bach/Gounod) -Leier
http://www.youtube.com/watch?v=4dle2GfC7_E&feature=related

いつも、ご訪問とメッセージありがとうございます。
by twinkle☆star (2012-03-23 20:45) 

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